抗がん剤治療の副作用で脱毛。残った髪をそり、最後の抗がん剤を意味する“ラスケモ”から、髪が生えるまでも撮影。「つるつるになった頭は生きるために頑張った証しです」

 2人に1人ががんになる時代。がんは身近な病気だが「まさか自分の身体の3つの部位からがんが見つかるなんて」と話すのがYouTuberのさくらさん。42歳で発症し、5年が経過したが後遺症には今も苦しめられる。2度の結婚生活もそれぞれ夫のがんで幕を閉じた。「この瞬間を悔いなく。何が起きても不思議はないのですから」

4つ目に受診した大学病院でがんの診断が下る

がんがわかる前は、レバーのような塊が出てくる不正出血に悩まされました。ほかにも下腹部のチクチクする痛み、慢性的な倦怠感、排尿痛と排便痛など、自分でもおかしいと思うような不調が1年ほど続いたんです

 と話すのは、がんサバイバーでYouTuberのさくらさん。もともと子宮筋腫があり、生理が重い体質。さらに検診で子宮ポリープが見つかり、手術をしたばかりだった。

おむつ型の生理用ナプキンが30分と持たないほどの大量出血したこともありました。婦人科に行き、経膣エコーで診てもらうと、子宮筋腫以外に卵巣が腫れていて、『腫瘍があるかもしれない』と指摘されました」(さくらさん、以下同)

 大学病院を含めた複数の病院で診察と検査をしてもらうが、卵巣の腫れは何度も“良性”と言われる。悪化していく自覚症状と、医師から伝えられる検査結果はかけ離れたものだった。

「私はずっと『卵巣が悪いのでは?』と思っていたのですが、『卵巣腫瘍の9割は良性だから』と言う医師もいて。医師の常識ではそうなのでしょうが……。

 不安でたまらなくなり、頼み込んで血液検査、MRI、腫瘍マーカー、子宮頸がん検査、CT、胃・大腸の内視鏡など、ありとあらゆる検査をしてもらいました。まさにドクターショッピングの状態。4つ目に受診した大学病院で子宮体がん検査をお願いしたところ、ようやくがんの診断が下りました

 自身がおかしいと感じていた卵巣ではなく、先に見つかったのは子宮体がんだった。それがさくらさん42歳、2018年7月のこと。婦人科で検査をしてからがんが判明するまで、すでに半年以上が経過していた。

がん告知から1週間後に開腹手術をすることになり、子宮と卵巣、卵管、臓器を覆う組織の大網を摘出。その後、病理検査に出して、約2週間後、子宮体がんは卵巣から転移したがんだとわかりました。手術前のCT検査で肺にも影があっため、卵巣の結果がわかるまでの間に肺がんも告知されました

2人目の夫が余命宣告されてから3回訪れた沖縄は、思い出の場所。「若くても病気になる可能性はある。だからこそ健康なうちに人生会議をして、生き方について家族と気軽に話してほしいです」

 卵巣がんを原発とした子宮体がん、肺がんの2種類、計3か所のがんが判明。幸いにも肺がんは転移したものではなく小さいこと、卵巣腫瘍の大きさは約6センチで破裂していないことなどから、卵巣がんステージ2と診断された。

不安と恐怖に押しつぶされそうに

「がんだとわかったときは、病気に対する怖さより『やっと悪いものを切れるんだ』という安堵感のような、複雑な思いがありました。

 同時に、生存率が低いといわれる卵巣がんが原発と知り、ほかの人の体験談を知りたいと卵巣がんサバイバーのSNSを一生懸命探したのですが、なかなか見つけられなくて。『今年中に自分はいなくなるかもしれない』と不安と恐怖に押しつぶされそうになりました

 手術から1か月後、抗がん剤治療が始まる。副作用で髪は抜け、味覚障害にも苦しむ。

食べることが大好きだったので何を食べてもまずいのが本当に苦痛で。夫が買ってきてくれたクリスマスケーキでさえ、味がせず砂利を食べているような食感……。お肉は鉄の味がして、好きだったコーヒーは飲める味ではなくなっていきました

 副作用が続く中、年末に最後の抗がん剤投与を終え、治療は無事終了といわれる。しかし、まだ不安はあった。

CT検査でリンパも腫れていることがわかり、腫瘍マーカーも少し高かったんです。自分の中で『これで本当に大丈夫』という気がまったくしなかった。そのため紹介状を書いてもらい、腹腔鏡でリンパ節を切除する手術『リンパ節郭清』を自費で受けました

 2回の手術と抗がん剤による治療から5年が経過。その間、リンパ浮腫や排便・排尿障害、ホットフラッシュといった後遺症に悩まされた。そんななか、2019年にYouTubeでの情報発信を開始する。

 身体がつらくて横になっている日もあるという。それでも“生きること”にひたむきなさくらさん。その背景には、2人の夫のがん闘病、死別というつらい経験がある。

実は20代のころに結婚した同世代の夫は、私が26歳のときに急性骨髄性白血病と診断されました。闘病の末、3年後に亡くなってしまったんですよ。白血病とわかった時点で病院の無菌室に入って治療。抗がん剤の副作用がきつくて、当時は制吐剤の効きも悪く、吐き気が一日中止まらない。ドラマで見るようなそんな壮絶な闘病生活でした

提供/さくらさん

 いちばんつらいのは夫。しかし支える家族としても戸惑いが多く、当時は孤独を感じていた。

卵巣がん患者さんのブログやSNSが励みに

そのころ、同世代で同じような経験をした人が周りにいなかったので、不安な気持ちや悲しみを吐き出せませんでした。友人には内容が重すぎて、話すのをためらってしまって。

 夫は自分の気持ちをストレートに伝えてくれる人で、見るに堪えない闘病の中で、『たとえ自分がいなくなっても、命を大切に生きてほしい』と言われたことを今でも覚えています」

 1人目の夫を亡くしたあと、38歳で再婚。自身の卵巣がん・肺がん罹患から闘病を支えてくれた2人目の夫も、2020年に希少がんと診断され、余命宣告をされる

「脊髄原発悪性黒色腫という、脊髄内に皮膚がんの悪性黒色腫が発症する希少がんでした。『なんで私だけ、結婚する人が毎回がんになってしまうの……』と、現実を受け止めきれませんでした。

 夫は抗がん剤など、できる治療がある限り闘いましたが、翌年には歩けなくなり、車いす生活に。家で過ごしたいという夫の希望で、最期は在宅で介護しながら過ごし、今年1月に看取りました」

 自身の卵巣がんと肺がん、2人の夫のがんに加え、実の父も前立腺がんに。やりきれない思いと、身体に強い痛みを感じる線維筋痛症、もともと患っていたパニック障害などを抱えながら、できるだけYouTube発信を続ける。

私も闘病中は生き続けている卵巣がん患者さんのブログやSNSが励みになったんです。でも本当に少なかった。私が発信を続けることで、一緒に闘う仲間、闘病を終えて経過観察中の仲間がいることを知ってもらいたい。卵巣がんになったばかりの方やAYA世代(15〜39歳)のがん患者を勇気づけられる存在になれたらと思っています

抗がん剤治療をしていたころ。手術や入院費以外に、検査費用、通院の交通費、ウィッグ代、がんと診断されて必要なものをそろえるとお金がかかり、がん保険に入っていて良かったと感じた

 初期症状が現れない“サイレントキラー”とも呼ばれる卵巣がん。沈黙の臓器を守る術として、婦人科受診の大切さを呼びかける。

違和感を感じたら早めに婦人科に行ってほしい

卵巣がんは女性のがんの中で早期発見が難しく、確定診断がつきにくいことを、身をもって知りました。残念ながら一般的ながん検診では、今はまだ卵巣がんは見つかりません。私のように生理で異常があったり、痛みや違和感があるなど、体調不良を感じたら、ちょっと大げさだと言われてもいいので、早めに婦人科に行ってほしいです

 さくらさんが大事にしたいと思うのは、「より後悔を少なく生きること」と話す。

「人生はいつ何があってもおかしくない。だからやり残したり、後悔したりすることをなるべく減らして、笑って過ごせる時間を増やしたいです。

 がんになって身体的な制限は増えましたが、人生の中でチャンスと思える瞬間があれば、失敗してもいいからチャレンジしたいと思っています。今は、夫と一緒に訪れていた沖縄に短期移住することを目標に生きています

取材・文/釼持陽子

さくらさん 卵巣がん・肺がんサバイバー。42歳のときにがんと判明する。YouTubeチャンネル『卵巣がんさくら』で体験をもとに情報を発信し、がん患者や医師とのコラボライブも行う。29歳・46歳のときに、2人の夫とのがん死別を経験。

 

ラスケモとは「ラスト毛もっと」の略で最後の抗がん剤治療のことを指す言葉   提供/さくらさん

 

提供/さくらさん

 

提供/さくらさん

 

提供/さくらさん

 

抗がん剤治療をしていたころ。手術や入院費以外に、検査費用、通院の交通費、ウィッグ代、がんと診断されて必要なものをそろえるとお金がかかり、がん保険に入っていて良かったと感じた
さくらさん
さくらさん
さくらさん
2人目の夫が余命宣告されてから3回訪れた沖縄は、思い出の場所。「若くても病気になる可能性はある。だからこそ健康なうちに人生会議をして、生き方について家族と気軽に話してほしいです」