石川ひとみ 撮影/佐藤靖彦

 今年、歌手生活45周年を迎えた石川ひとみさん。7月に45周年記念アルバム『笑顔の花』をリリースし、記念コンサートも開催した。

 石川さんといえば1981年に『まちぶせ』が大ヒット。カバーする歌手も多く、永遠の名曲として歌い継がれている。10月に放送されたNHKの『うたコン』では、櫻坂46のメンバーと石川さんが一緒に歌って話題に。当時と変わらない美しく伸びやかな歌声をキープする方法は『1人カラオケ』だと石川さんは語る。

あいみょんの『マリーゴールド』をカラオケで

「特にボイストレーニングはしていないのですが、自分の歌や気になる歌をカラオケで歌って、発声練習をしています。2時間くらいは1人で歌いますね。カラオケルームは音漏れがあるので、自分の歌のときはマイクをはずして歌い、気づかれないようにしています(笑)。あいみょんさんの『マリーゴールド』など好きで歌いますが、今の若い人たちの歌はテンポが速く、言葉数が多くて、昭和の歌とは違う難しさがありますよね」

 コンサートには体力がいるので、自宅での“ながらトレーニング”も欠かさない。

「毎朝、歯みがきしながらスクワットをしているんです。50回くらいはやっています。ジムに通わなくても十分な筋トレになるんですよ。わざわざ遠いスーパーへ出かけたり、ウォーキングも意識して行っています。食事は野菜はもちろんのこと、筋肉をつくるタンパク質をとるため、豆腐、納豆、魚、赤身のお肉などを積極的に食べるようにしています」

デビュー4年目までヒットに恵まれず

 小さいころから歌うことが大好きだった石川さん。高校2年生のときにオーディション番組『君こそスターだ!』(フジテレビ系)に出場し、7週勝ち抜いてチャンピオンに輝いた。

「その後、高校を3月に卒業し卒業式の3日後に上京。その2か月後の'78年5月に渡辺プロダクションから『右向け右』でデビューしました」

 さらにNHKの人形劇『プリンプリン物語』の声優を務めたり、クイズ番組やバラエティー番組のレギュラーなどで、お茶の間でも知られる存在となった。

 一方、本業である歌手としては4年目になっても大きなヒット曲に恵まれず、「次の曲を最後に歌手をやめよう」と思いつめていたという。

『まちぶせ』の大ヒットで知られる石川ひとみ 撮影/佐藤靖彦

「18歳で東京に出てきましたが、周りの友達は四年制大学に進学した人が多かったんです。それで、上京を大反対していた両親に『私を大学と同じ4年間、東京で頑張らせてほしい』と説得し、4年間だけという約束をしました。それから4年がたち、多くの人の心に届く歌を出したいと思ってきましたが、4年目に入っても思うような結果が出せませんでした。区切りをつけるのにはちょうどいい時期だと思い、心の中ではやめる決意をしていました」

 石川さんが最後の曲として選んだのが『まちぶせ』だった。荒井由実(現・松任谷由実)さんの作詞・作曲で、'76年に三木聖子さんがリリースしたカバー曲だ。

「いくつか候補の曲の中に『まちぶせ』があったのですが、この曲は東京音楽学院・名古屋校に通っていたときに課題曲として歌っていた曲だったんです。大好きな曲で『この曲だったら最後になっても悔いはない』と思いました。ディレクターさんに『この曲を歌いたい』と自分の意見を伝えたのはそのときが初めてだったので、私の強い意志にみんな驚いていました」

 これが最後の曲だと思うと肩の力が抜け、幸せな気持ちで歌うことができた。結果として『まちぶせ』は大ヒットとなり、『紅白歌合戦』にも出場し、歌手活動を続けることに。

「この曲を多くの人に愛してもらえて、やっぱりこれからも歌っていきたいと思い直すことができました。中学生のころ、好きな人を待ちぶせした経験は私にもあり、共感してくれる人が多かったです。好きだと言えない相手にこのレコードをプレゼントしたという話もよく聞きました」

「うつるからプールに一緒に入らないで」

 こうして歌手として不動の地位を築いた石川さんだったが、27歳のときにB型肝炎を患い、闘病生活を送ることに。

「初のミュージカルの舞台稽古をしているときに、疲れがとれず身体がだるい日が続きました。ある日、めまいで倒れ病院へ。するとめまいとは別にその日の血液検査で偶然にB型肝炎を発症していることがわかり、再検査の結果、即入院と診断されて……。舞台は降板し、入院は40日間、その後も1年間の自宅療養が必要でした。B型肝炎は体調がよくなってもウイルスはなくならないので、完治する病気ではありません。でも定期検査を受けながら、仕事ができるようになるまでに回復しました」

 当時はB型肝炎への偏見があり、差別を受けることもあったという。

石川ひとみ 撮影/佐藤靖彦

「めったなことで感染するウイルスではないのですが、『うつるからプールに一緒に入らないで』と言われたり、握手を拒否されたり。でもそれで落ち込むのではなく、胸を張って生きよう、間違いを正していこうという気持ちになり、正しい知識を広めるために『いっしょに泳ごうよ』(集英社)という本を出版し、講演会も行うようになりました。当時交際していた夫やファンの方の支えもありがたく、命の大切さもあらためて実感できました。今となっては病気は私にとって必要な経験だったとも思います」

 10年前には膠原病を発症し、投薬で症状を抑えている状況だ。

「最初は指が腫れて原因がわからなかったのですが、血液検査をすると膠原病と診断されました。この病気は唾液が出なくて口が渇いたり、目が乾燥したり、関節痛や疲労感、その他全身のさまざまな症状があるのですが、B型肝炎と同様、完治することはありません。それでもアルバムを出して、コンサートもできているので、歌えることに感謝する日々です」

 今年はデビュー45周年でインタビューを受ける機会が増えたが、石川さんの記事を見た思わぬ人からプレゼントが届いた。

「大好きな天地真理さんです。私が歌手になりたいと思ったきっかけも、小学生のとき天地さんのファンになり憧れたからです。お手紙とともに、CDやDVDなどもいただいて、うれしくてビックリしました。僭越ながら私からもお礼のお手紙と今回リリースしたCDアルバム入りの限定ボックスをお送りしました。これまで45年間歌い続けられていることに、心から感謝し、喜びを感じています」

 アルバム『笑顔の花』には、石川さんが作詞した曲も4曲入っている。

石川ひとみデビュー45周年記念アルバム『笑顔の花』

「生きていると失敗したり、後悔することもあります。私もそんな経験がいっぱいありますが、あとから振り返ると、それが自分の糧になっていることも多いもの。つらかった経験もあとで笑って話せるような、そんな笑顔の花を咲かせていきたいという思いを込めて作りました」

 さまざまな病を抱えながらも、笑顔で歌う石川さんの思いは、多くの人の心に届いているに違いない。

いしかわ・ひとみ 1959年、愛知県生まれ。'78年歌手デビュー。'79~'82年にNHK人形劇『プリンプリン物語』の声優を担当する。'81年『まちぶせ』が大ヒットし、同年『紅白歌合戦』に出場。'87年にB型肝炎で緊急入院するが克服。1年後に芸能活動を再開。歌手のほか、闘病生活を生かした講演、キャンペーン、シンポジウム等にも積極的に取り組むなど、幅広い分野で活躍。その後、作・編曲家の山田直毅氏と結婚。今年、デビュー45周年記念アルバム『笑顔の花』リリース。

Billboard Live OSAKA 11/19(日)1stステージ 開場14:00 開演15:00 / 2ndステージ 開場17:00 開演18:00
Billboard Live YOKOHAMA 11/25(土)1stステージ 開場14:00 開演15:00 / 2ndステージ 開場17:00 開演18:00


取材・文/紀和 静