祖国である韓国。'15年に日本テレビで放送された『アナザースカイ』でも韓国を訪れました。そのときは、母、娘と親子三代でテレビ出演をしました

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。ライオネル・リッチーとのデュエット曲『エンドレス・ラブ』の録音のため、クリスタルとロスへ渡った。

ライオネル自らがお店に案内

「ライオネルに『泊まっていきなよ』と娘が誘われ、慌てたのは私です。『今夜の便で帰らなければいけない。買い物もあるので失礼します』と断ると、『じゃあ一緒に行くよ』と彼が言い出した。

 ライオネル自らランドローバーを運転して、おすすめのお店に案内してくれました。ライオネルを待たせての買い物で、私たちも焦ります。お支払いしようとすると、マネージャーがさっとカードを差し出してきた。これで払えということでしょう、とんでもない、とお断りしています。

 フライトまでの残り時間でライオネルと食事をすることになりました。

 連れていかれたのはビバリーヒルズ・ホテル。イーグルスのあの名曲の舞台になったホテルです。

 ライオネルは饒舌で、滔々と武勇伝を語ります。けれど私が『コモドアーズのライブ、MUGENに見に行きました』と言うと、顔色がさっと変わった。

 赤坂のMUGENは伝説のディスコで、来日バンドのライブ会場としてもおなじみでした。当時はグルーピーと呼ばれる取り巻きの女性たちがいて、バンドメンバーと一夜を共にする姿を私もたびたび目にしています」

憧れの安室さんとのコラボ娘はかつてないダイエット

「『ライオネルがクリスタルのお父さんってどんな人? 何してるの?』と焦った様子で聞いてきました。

 その顔に“まさか俺の子じゃないよね?”と書いてある。『いやいや、娘の父親はニュージャージー出身で……』と言うと、ホッとしたようです。私の忘れられない思い出です」

 クリスタルの幼いころからの憧れは安室奈美恵で、シングル『REVOLUTION』で夢を叶えた。

小学生のとき初めて娘が自分で買ったのが安室さんのシングルでした。娘はずっと安室さんが大好きだった。だから『REVOLUTION』でコラボが決まったときは本当にうれしかったと思います。安室さんとプロモーションビデオを撮影することになり、娘はかつてないダイエットに挑んでいます。

 安室さんは華奢で小柄で、170cmのクリスタルが横に並ぶとかなり差が出てしまいます。

 娘は本当に頑張りました。炭水化物と甘いものを断ち、4㎏近く絞ってみせた。感無量だったのでしょう、撮影が終わった途端、わっと泣き出していましたね」

 個人事務所の社長として、母として、娘を全力でサポートし、共にキャリアを切り開いてきた。しかしあるときひとつの決断をする。

マネージメントというのは本当に大変です。アーティストの心身のケアに気を配り、万全の状態でステージを迎えられるよう駆けずり回る。

 何か手違いがあってはいけないと、常に気持ちを張りつめている状態です。娘のためにと頑張ってきたけれど、50歳になったとき、これ以上はできないと思った。もう限界だと感じた。

 多忙に加え、腰痛がずっと私の悩みの種でした。手術をしてボルトを入れはしたものの、疲れが出るとぎっくり腰になったりと、どうしても無理がききません。

 芸能界というのはちょっとでも気を抜くと潰しにかかる人もいて、プレッシャーもありました。52歳のころ、どうしようかと先行きを考え始め、最終的にクリスタルを『LDH』に託そうと決めました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた