ブロードウェイミュージカルの『ピピン』では素晴らしい演技だったクリスタル・ケイ。'19年の初演時に読売演劇大賞優秀女優賞を受賞した

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。個人事務所の社長として、母として、公私共にクリスタルを支えてきた。そんな中、ひとつの決断をする。

クリスタル・ケイとLDHの縁

「LDHとのご縁は2013年の舞台『DANCE EARTH』が始まりでした。クリスタルにとっての初ミュージカルで、ぜひ挑戦したいということで参加しています。

 移籍はその翌年で、私が52歳のとき。知人を介して打診をすると、『HIROさんもどうぞと言っている』と快諾していただきました。

 クリスタルには、『LDHならブラックミュージックが好きな子やミックスの子も多い。マイノリティーじゃないよ』と伝えました。

 LDHと正式に契約を交わし、ようやく肩の荷が下りた気がした。胸がいっぱいになり、涙がわっとあふれてきた。そこで『シンシアさんはこれからどうするの?』とHIROさんに聞かれ、『私は飲み屋でもやりますよ』と答えました」

 さっそく開店の準備に取 りかかる。当初は地元の横浜で、と考えていたが、HIROの「どうせ飲み屋をやるなら東京へおいでよ!」のひと言で考えを変えた。

 東京で店を持つことにしたものの、希望のエリアは人気が高く、なかなか物件が見つかりません。

東京でバーを開いて娘と私のよりどころに

「ようやくこれぞという物件と出合ったけれど、

『住宅街なのでカラオケはダメ』と言われてしまった。そこをなんとかと大家さんに直接かけあい、どうにか貸してもらえることになりました。

 私は本当に飲み屋をやっていけるのか、自問自答もありました。

 店は小さく10坪ほどで、『それじゃ売り上げも限られちゃうよ』と知人に心配もされました。『化粧品でも作ってネットで販売したほうがいいんじゃない?』と助言してくれる人もいた。

 その都度どうしようか迷ったけれど、結局私にはこれしかないと考えた。クリスタルと私のよりどころとなる場所も必要でした。

 物件はビルの1階で、本来なら駐車場になるスペースでした。四方に柱があるだけの吹き抜けの空間で、地面には砂利が敷かれています。何もなかった場所に、壁からカウンターまですべて一からつくり上げていきました。

 イメージしたのは『マジック』のようなヨーロピアンテイストのお店です。『マジック』は私が初めてシンガーとして歌ったディスコで、ある意味原点に戻った形でした。できれば調度はビンテージでそろえたかったけれど、とても手が届かなかった。使い込んでいくうちにビンテージになればいい、そんな思いで始めています」

 1年間の準備期間を経て、店をオープン。シンシア54歳でスナックのママとなる。

「特に告知をすることなく、ひっそりと店を開きました。店は会員制で、業界関係者の方々や友人知人がまずお祝いに足を運んでくれました。

 最初は本当に必死でした。10代のころスナックでアルバイトをしていたものの、ママとなるとまた違う。

 どうしたらいいか勝手がわからず、毎日緊張の連続です。ただママになって気持ちは楽になりました。マネージメントの仕事は責任が大きく、ひとつ間違えると大変なことになる。そのプレッシャーから解放された。店は何かあれば私が謝れば済むことで、最悪の場合、店を閉めてしまえばいい。実際に店をオープンしてから、危機を感じたことは何度もあります」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた