山田太一さん

 11月29日、脚本家の山田太一さんが老衰のため亡くなった。89歳だった。

 1977年に放送されたドラマ『岸辺のアルバム』(TBS系)が大ヒット。平和で幸せそうな中流家庭の崩壊を描き“辛口ホームドラマ”と呼ばれ、新たなジャンルを確立。1983年に手がけたドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)では、四流大学に通う落ちこぼれの学生たちの青春を描き、『パート4』までシリーズ化された。

 作家としても活躍したが、

 2017年に脳出血を発症して入院。2019年の春ごろには“音信不通”と取り沙汰されたことも。

「退院後には県内の老人ホームにひっそりと入っていました。仕事復帰に向けてリハビリに励んでいましたが、以前のように身体の自由がきかず、“脚本家の僕を知っている人たちとは、もう会いたくない”と漏らしていたそうです」(テレビ局関係者、以下同)

 晩年には“死”について口にすることも多くなった。

“いつ死ぬのかわからないのが悩み”だと話していました。死んでもおかしくない年齢になって、だんだんと未来が描けなくなっていったそうです。そんなもどかしさを感じつつ、“死についてワッと書けたら素晴らしいですね”と、創作意欲も見せていました」

 一方で“死ぬのは怖くない”と、独自の死生観についても言及していた。

“人はどんな死に方をしても、その直前に幸福感で満たされる”という説を信じていました。ドラマでは“ふぞろい”な人間の弱さや愚かさを描いていましたが、死に対しては“公平性”を求めていたようです」

 訃報を受け、手塚理美や役所広司など、縁のある俳優らが続々と追悼コメントを寄せた。

死んだ人も誰かの心の中に生きている

1997年のTBS『ふぞろいの林檎たち4』制作発表、元TOKIOの長瀬智也も出演していた

 中でも『ふぞろい』で主演を務めた中井貴一は、

《出演が決まり、初日の本読み、顔合わせの時も、物腰柔らか。しかし、本読み終了時、“私の台本は、語尾の一つまで考えて書いておりますので、一字一句変えない様に芝居をして下さい”と、ピシャリ。物腰とは裏腹に、実に辛辣にお話をされる方でも有りました

 と、当時を振り返り、

《台本を通して、私に芝居というものを教えてくださっただけでなく、その台本から、人としてのあり方までも教わった様に思います。言い尽くせぬお世話になりました。でも、もう一度、山田さんの台本で芝居がしたかった》

 と、別れを惜しんだ。本人の希望により、葬儀は家族のみで執り行うという。

 山田さんは生前、死後についてこうも語っていた。

「死んだ人も誰かの心の中に生きていると思いたい。本当にいなくなるのは、その人も死んでしまったとき」

 “脚本家の巨匠”とその作品は、これからも人々の心の中で生き続けるだろう。