コロナ前、横浜・馬車道のパラダイスカフェにて。シンシアは定期的にライブも開催しているが、コロナ禍では中断することに

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。娘のマネージメントから退き、54歳のとき会員制のスナックをオープン。新たな人生のスタートを切った。

クリスタル・ケイの母シンシアの新たな人生

「お酒は定番のウイスキーに、フードメニューも用意しました。中でも名物はナポリタン。不良だった私は、学生のころ、よく放課後に喫茶店へ寄ってはタバコをふかしたものでした。そこで必ず食べていたのがナポリタンです。あちこち食べ比べた中で一番おいしかった店を思い出し、何度も試作し、完成した味でした。大手外食チェーンの社長さんに『これはうまい!』とお墨つきをもらい、今では隠れた人気メニューになっています。

 常連さんも少しずつ増えていきました。私としては、お客さんに精いっぱい楽しんで帰ってもらいたいという気持ちがある。

 私もお客さんと一緒に飲んで、リクエストがあればカラオケも歌います。定番ソングはテレサ・テンさんの『時の流れに身をまかせ』、石川さゆりさんの『天城越え』など。飲んで、歌って、エンターテイナーに徹します」

 スナックのママとして奮闘し、常連も増え、店は軌道に乗ったかに見えた。しかしあるとき危機が訪れる。

軌道に乗ってきたバーもコロナ禍で危機に

「新型コロナウイルスが流行したのは店をオープンして3年目のことでした。それまでも1週間まったくお客さんが来ないようなときもありました。けれどコロナ禍はそのレベルではありません。政府が夜8時までの時短営業を要請したけれど、うちは9時過ぎからお客さんが足を運び始めるお店です。店を開いては閉めての繰り返しで、最終的に数か月間店を休むことになりました。けれど私はどこか楽観的に捉えていた。それは東日本大震災で一度大きなダメージを経験していたからだったと思います。

 危機感は抱きつつ、“もうすぐ終わるでしょ!”と言っていた。結局、収束まで丸3年かかりましたけど」

 コロナの分類が5類感染症に移行し、ようやく店も通常営業に入る。お客も少しずつ戻ってきた。

「スナックを始めてよかったなと思うのは、やっぱり出会い。お客さんは若い方から年配の方まで幅広く、さまざまな職種の方が訪れます。けれどお酒の席では上下関係もなく、対等におしゃべりができる。それは何より魅力です。旧友との再会もありました。

 親友の彼と私が一度大ゲンカして、それ以来距離ができていた。そのかつての親友が店に遊びに来てくれた。20年ぶりの再会で、聞いたら彼が亡くなったという。女同士ベロベロに酔って、20年の時を一気に取り戻した感覚がありました。これもお店をしていたからできたことでしょう。

 クリスタルも時折店に顔を出します。友人と来ることもあれば、業界の人間を連れてきたり、1人でふらっと来ることもある。娘はLDHへの移籍を機に家を出て、一人暮らしを始めました。

 けれど私に寂しいという気持ちはありません。今も毎日のように連絡を取り合っていて、離れているという感覚がないのでしょう。

 月曜日に横浜の自宅から店へ出勤し、そのまま週末までほとんど家には帰れません。店に泊まり込むこともしょっちゅうで、最近は体力の限界を感じることも多くなりました。コロナ禍でも店を閉めようと考えたことはありませんでした。でも60歳の誕生日を目前に控えたころ、ふと不安に襲われた。いつまで続けられるだろう、そろそろ店を閉めようか─。そんな思いが初めて頭をよぎった瞬間でした」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた