長期の休みが取れたとき2人でキューバ旅行へ。サルサが好き、現地ではキャバレーのステージを堪能しました

 在日三世として東京に生まれ、人気シンガー、クリスタル・ケイ(37)を女手ひとつで育てたシンシア(60)。54歳でスナックをオープン。クリスタルをLDHに託し、母子おのおのの道を進む。

クリスタル・ケイにも女優の仕事が

「初ミュージカル『DANCE EARTH』をきっかけに、クリスタルのもとに女優の仕事がぽつぽつ舞い込むようになりました。娘は小さいころから女優になるのが夢だった。

 いよいよその気持ちが高まったのでしょう。『私はやっぱり女優になりたい!』と宣言し、昨年ハリウッドに渡っています。

 私も『40歳になるまでに本当にやりたいこと、夢に挑戦してきたほうがいい』と背中を押した。娘には“あのときこうしておけばよかった”という後悔はしてほしくない。それは仕事でも私生活でもそう。物心ついたころから歌に囲まれ、自然な流れでデビューした娘です。

 誰も知らない土地で、自分の手で一から切り開く経験も必要でしょう。そこでつらい思いもするかもしれない。

 けれど自分でこうと決めたからには、必死で頑張るしかありません」

 日本でのシンガー活動と、ハリウッドでの挑戦。日米を行き来する日々が続く。

「ロスには行ったものの、ハリウッドで40数年ぶりの大規模ストライキが起き、現地の活動がすべてストップしてしまった。オーディションを受けるのもままならない状況」

娘の渡米で失ったエネルギーを注ぐ先

「そんな中、娘はシンガーとしての道を改めて模索し始めた。私の中にも、歌が歌えるのだから、もっと極めてほしいという思いがありました。娘には『忘れないで、あなたは歌手なんだからね』と伝えていて、それがどこかで響いたのかもしれません。

 アメリカで改めて歌と向き合い、いくつか歌う機会をつかんでみせた。夏にドジャース対エンゼルス戦の球場で国歌独唱を、秋には自らライブを企画し、100人ほどの会場が即日完売したと聞いています。

 アメリカでの活動が耳に届いたのか、昔アルバム制作でお世話になったジャム&ルイスさんから『アメリカにいるなら歌ってくれ』と声をかけられ、ピッツバーグで音楽フェスに参加することになりました。ジャム&ルイスさんはジャネット・ジャクソンのアルバムを手がけた名プロデューサーで、フェスで娘は何曲かジャネットの曲を歌っています」

 シンガーの先輩として、時に娘にアドバイスを行う。普通の親子とはまた違う2人の関係性があった。
 
「13歳でデビューして、娘も37歳になりました。私自身の経験を振り返ると、37歳ごろというのはボーカルとしてちょうどひと皮むける時期。まだ筋肉もあって、いい声が出るこの時期に、自分のマックスを知ってもらいたい。歌手というのはいくつになっても歌っていく。

 だからマックスを知って、そこからコントロールしていけばいい。彼女自身、そういう意識は高まっているのでしょう。ここのところ、声の感じが少しずつ変わってきているようです。私も『この壁は乗り越えたほうがいい』、そう娘に話しています。

 娘とのやりとりはいつもこう。あの洋服がかわいいだとか、あのアイドルが素敵だとか、そんな話は一切なし。気づけば歌のことばかり話してきました。母として、シンガーとして、全力で娘をバックアップしてきた。

 けれど娘が渡米して、注いでいたエネルギーの行き場がなくなってしまった。毎晩自分のお店でお酒を飲んで、翌日また笑顔でお客さんを迎えられるようにコンディションを整える。

 その繰り返しに、ふと虚しさを感じることも増えてきました」(次回に続く)

<取材・文/小野寺悦子>

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

'15年にリリースされた『REVOLUTION』。幼少のころから夢に見ていた日本を代表する歌姫でありトップランナー、安室奈美恵との奇跡の競演が実現した作品

 

男と不倫していたころですが、クリとは変わらず仲良く、よく2人でおそろいの服を着ていました。デニムの形も当時の流行を感じさせますね

 

娘が中学生のころ、知り合いのお茶の会に参加させてもらったとき。私たちが着物を着ることなんてなかったのでとても新鮮でした

 

ディズニーランドで全国の高校生が集まりマーチングする企画がありました。娘は勉強以外に、バスケや鼓笛隊なども一生懸命でした

 

私は30歳くらいで、歌手活動をしていました。2枚目のシングルを出したころ。娘は10歳くらいで、まだあどけなさがありますね

 

7月に母と客船クルーズで旅をして、その途中で沖縄に。6時間ほどしか滞在しませんでしたが、海に入ったり、ソーキそばを食べたり楽しみました

 

7月中旬、母と2人でクルーズ船に乗り旅行へ出かけました。沖縄、台湾などを周遊し、夏らしくリラックスした旅ができました

 

7月8日、クリスタルはLAで開催されたドジャースvsエンゼルス戦で国歌独唱を務めた(c)Los Angeles Dodgers

 

横浜のバーで歌っていたころのシンシア。娘のクリスタルには歌を教えたことはないというが、気づけばその遺伝子を継いでいたよう

 

幼少のころから才能を感じさせていた娘のクリスタル・ケイ。家には楽器などもあり音楽には慣れ親しんでいた

 

ニュージャージーで結婚式に参列したときの写真。娘のクリスタルはいつも男の子っぽい服装を好んだけど、珍しく女の子らしい服

 

アメリカのドラマに登場しそうな広い芝生の庭に大きな家。写真に写っているのは娘のクリスタル・ケイと、愛犬のデューク

 

クリスタル・ケイが1歳のときに引っ越してきたという住宅地区は、根岸にあるアメリカ海軍の専用地

 

20歳ごろのシンシア。トニーがドライブデートの際に撮った写真。ファーに白のパンツやブーツという格好が懐かしく時代を物語る

 

横浜で歌っていたころのシンシア。『マジック』や『BarBarBar』などは業界関係者がよく出入りして、デビューの足がかりの場になっていた

 

ついに待望の女児を出産。3980gで「とにかく大きな子だった」というシンシア。健康に生まれてきてくれたことにホッとする

 

20歳くらいにフィルと付き合っていたころのシンシア。横須賀にあったバーガーショップ『アンディーズバーガー』で働いていた