エスパー伊東さんとビトたけし(右)

 1月16日、お笑い芸人のエスパー伊東さんが『てんかん重積』で亡くなった。

電撃ネットワークの南部虎弾さんが自身のSNSに投稿したことで訃報が拡散されました。その後、所属事務所の社長でモノマネ芸人のビトたけしさんがマスコミの取材に応じて、亡くなったことを明らかにしました」(スポーツ紙記者)

40年来の付き合いのビトたけしが語る秘話

 エスパーさんは、ボストンバッグにすっぽり入る芸などで人気を博したが、『右変形性股関節症』により2018年末に芸能活動を一時休止すると発表した。その後、2019年9月に『週刊女性』が、芸人仲間たちがエスパーさんと連絡を取れなくなっているという“失踪騒ぎ”を報じた。

2022年1月にも、

《エスパー伊東と連絡が取れない! 事件性まで感じてしまう!》

 と、南部がツイッター(現X)に投稿。再び、失踪騒ぎとなった。

このときも、ビトさんがスポーツ紙などの取材に応じて、生活保護を受けながら高齢者施設で療養していると説明しました。エスパーさんは認知症を発症していたそうです」(前出・スポーツ紙記者)

 ビトは『週刊女性』にも、これまで2度、エスパーさんの近況を明かしていた。今回、改めてビトに聞くと、エスパーさんとの秘話を教えてくれた。

日本テレビ系の『TVジョッキー』で出会って40年以上の付き合いですから、印象深い思い出はいっぱいあります。近所に住んでいたので、お互いの家を行き来して、食事をしたり、酔っぱらったエスパーさんを交番に迎えに行ったり(笑)」(ビト、以下同)

 6年ほど前、まだガラケーを使っていたエスパーさんがスマートフォンを欲しがった。

当時、うちの母親が『らくらくホン』を使っていたから“これなら大丈夫じゃない?”と教えたら、買っていました。でも、うまく使いこなせなかったみたいで。なぜか、サポートセンターに繋がるボタンはわかっていて、そこにかけて“電話のかけ方がわからない”ってしょっちゅう聞いていたんです。ほかにも、意図せず『機内モード』にしちゃうこともあって、エスパーさんに電話がつながらないと、僕が家まで行って、それを解除して……」

エスパー伊東さんと‎南部虎弾(右)

 芸能活動を休止してからも、とにかく人に愛されていたという。

ジュースを買おうとしたエスパーさんが、身体が動かないから、地面を這って自販機に向かっていたら、通りがかった人が代わりに買ってきてくれたり。みんなに助けられていました。でも、なんでも自分でやろうとする面もあって、大変なこともありました

エスパー伊東さん

 知人の紹介やテレビで得た情報などで、あちこちへ治療に行っていたそう。

どこかで得た知識で、なぜか“歯がおかしいから、足がおかしいのかも”と知らないうちに歯医者に行ったり。いつの間にか知らない病院の領収書があって。いろいろ手を出すわけにもいかないので、調べられなくするために携帯を止めて、ほかの人との連絡も取れないようにしたんです

身元引受人だから、なんとか会えた

 ビトがエスパーさんに最後に会ったのは、1月6日だった。

「エスパーさんが入院していた病院から施設に、施設から僕に“危ないかもしれません”という連絡があって、急いで会いに行きました。そんな状況だったので、面会できる人も限られており、施設の人もダメで、僕は身元引受人だから、なんとか会えた感じです。そのときは目も開いており、僕の言葉に反応するような感じもあって、なんとか持ち直したのですが……

 その日から、たった10日で帰らぬ人となった。友人や知人にも、まさに“これから”会ってもらおうと考えていたところだったという。

ただ、コロナ禍で病院も高齢者施設も面会の制限がありました。でも、高齢者施設であれば、病院よりは多少、制限は厳しくないだろうと思って、高齢者施設を選んだのです。昨年くらいから少しずつ制限がゆるくなってきたので、少しずつみなさんに会ってもらおうとしていたところで……」(ビト、以下同)

 しかし、エスパーさんの体調が安定せず、ビト自身が会えないこともあった。

「会いに行こうとしたときに、施設から“熱が出たので、今はすみません”と連絡をいただいたこともありました。インフルエンザやコロナの可能性もゼロじゃないから、そこは施設もすごく気にしてくださって。だから、みなさんに会ってもらうのも難しかったんです。なので、お別れの会なども開催できたらいいなと思っています

 ビトとエスパーさんの思い出は、ボストンバッグに収まりきらない。