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紅白歌合戦33回連続出場。大がかりな舞台衣装で毎年注目を集めていた国民的歌手・小林幸子。しかし事務所騒動をきっかけに大バッシングにさらされレコード会社契約解除、紅白落選という憂き目に。あれから3年、不遇の歌手人生を送るはずの小林はそれどころか若者に"神"と慕われる存在になっていた


お客さんを楽しませたい

 小林の、歌手、そしてエンターテイナーとしての本領はコンサートにある。

 新潟市中央区にあるホール「新潟テルサ」。1500人収容の会場は満席。ほとんどが年配客、女性客が中心だ。

 幕開けは、かつて紅白でも使われた「ペガサス」という巨大な衣装での登場。のっけから観客の度肝を抜く演出である。そこから、めまぐるしく変わる衣装とともに多くの曲が披露される。往年のヒット曲、ポップス、歌謡ショーのような時代劇の一幕、ミュージカルの場面、さらにメーキング映像や歴史映像など、盛りだくさんの内容で息つく暇もないほどだ。

 舞台を下りての客席との触れ合いなど、そのサービス精神には舌を巻く。そして、今年からはラストにボカロ曲『千本桜』も歌う。衣装は紅白でも使用された「火の鳥」と呼ばれる巨大な装置で、幅は12メートル、総重量は約1トンもある。

「私のコンサートはまるでスーパーマーケットのように何でもあります。大きい衣装のセッティングには時間がかかりますが、早変わりでステージがバタバタするほど、お客さんは大喜びなんですね。そういうステージづくりが、私は大好きなんです」と小林は笑う。

 この日のコンサートは、『千本桜』を披露する初日だった。

 昼の部を終えて、夜の部の前の休憩時間─。小林の楽屋にはたくさんのスタッフが集まり、小林を囲んで真剣な打ち合わせが行われていた。照明、舞台監督、音響などの担当者がさまざまな意見を言い、そのすべてに小林が決断をしていく。小林は単なる演者ではなく、まさにステージの総監督であった。

 小林の舞台を手がけて27年以上になる、照明デザイナーの高島昭雄(46)が言う。

「最初の構成を変更するときは、舞台監督だけでなく、照明、音響、道具担当、バンドの責任者が、小林さんから意見を聞かれます。ステージはやってみないとわからないし、お客さんが入ってみないとわからないことも多いですからね」

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 小林のステージづくりを、高島はどう思うのだろう。

「小林さんは、お客さんを驚かせたり、泣かせたり、すべてを楽しんでもらおうという意欲でいっぱいの人ですね。歌手本人で、あそこまで詰めていく人はほかに知りません。問題点ですか? 休憩挟んで2時間かっきりで終わらせなきゃいけないことですかね。あれもこれもといっぱい詰め込んでいるので、いつも時間が足りないなと思うんですよ」

 一般に向けたコンサートは年間で30本ほどだが、実は「クローズもの」と呼ばれる貸し切りコンサートも多い。例えば企業や団体が会員慰安などの目的でコンサートを買い取るものだ。これが、多い月には6~7本もある。かつては年間200本ということもあったが、今では減少している。それでも年間コンサートの回数は、小林が芸能界でもトップクラスを誇る。芸能人の表舞台は、テレビだけではないのだ。

 新潟テルサから新潟駅へ向かうタクシー。運転手が、「今日何か催し物でもあったんですか?」と聞いてきた。「小林幸子さんのコンサートですよ」と答えると「ああ、さっちゃんかぁ、だからあの派手なトラックがあったんだ。だったら、夜もお客さんが乗ってくれるね」

 さっちゃん。ここ新潟では、老若男女の誰もが親しみを込めて彼女をそう呼ぶ。歌手と地元との幸せな関係に少し胸が熱くなった。

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58歳初婚、相手は8歳年下

 ’11年11月、生涯独身を自称していた小林は、再生医療などを手がける8歳年下の実業家・林明男氏と電撃結婚に至った。なれそめは今から7年ほど前、友人たちとの食事会だった。特に意識しないまま、何度か林氏と会う機会は増えていった。そしてあるとき、小林の心に強く刻まれる出来事が起こる。

「彼が、私のコンサートに来てくれたんです、巨大な花束を抱えて。生まれて初めてのコンサートにどんな花束を持っていけばいいのかわからず、花屋さんで"いちばん立派な花束を"と言ったらしい。客席から彼が花束をステージに持ってきたんですが、大きすぎて私、転びそうになりました。それでびっくりして強く印象に残ったんです」

 花束は、やはり女性に"効く"のである。

「仕事のジャンルがまったく違うから、とても話が面白かった。自分の知らない世界にこんなに楽しい人がいるのか、と思いました。そして彼の中に、ひとりで生きていく強さや、人に対する優しさが感じられた。それと、酒がすごく強いということもあって意気投合したんですね(笑い)。私も相当強いんで」

 何となく、「この人と結婚するような気がする」と頭をよぎるが、50代後半の自分が8歳年下と結婚─「私、おかしいんじゃないかしら」と自らを否定していたという。

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 しかし2011年、東日本大震災が発生する。小林は、コンサート用の大型トラックで被災地に食料を届ける活動に取り組む。

「そんな活動をしながら、お互いに真剣に結婚を考えるようになっていきました」

 そして、めでたく結婚。半年後、あの事務所騒動が勃発する。

「新婚生活も何も、結婚してすぐに大型台風のようなことが起きてしまった。そこからは"夫婦"というより"同志"ですね。でも私、結婚して本当によかったと思う。世の中には、どんなにきちんと話しても通らないことがある。そんな状況の中で、的確に私をサポートしてくれた。まったく違う世界で生きてきた彼の助言が、ずっと芸能界で生きてきた私に、どれだけ心強かったことか。一般社会のことを理路整然と芸能界に置き換えて話してくれた。それはとても納得のいく言葉でした」

*   *   *   *

 人間万事塞翁が馬。人間、よいこともあれば悪いこともある。あまり不幸にクヨクヨするな、幸せに浮かれるなというたとえである。

 輝かしい大スターの日々、そして結婚。直後に待ち受けていた受難。しかし、生まれながらの歌姫・小林幸子はそこから立ち上がっていった。現在、小林のもとには以前では考えられなかったはずの異業種アーティストとのコラボレーションの話が次々と持ち込まれている。

「ホントに面白い。いろんなことがあったからこそ、巡りあえる人たちがいる。そのジャンルの多彩なこと。あのままでいたら何も変わらなかったでしょうね。コミケに出ることも、ネットであんなにファンができることもなかった。あのゴタゴタもすべて悪いことばかりではなかったですね」

 小林を「ラスボス」と呼ぶ若いファンたちは、ベテラン演歌歌手としての小林を知らない。昨年の武道館コンサートには、常連の年配客に交じり、「ラスボス」を見に来た若い観客の姿も多くあった。スタッフの三上が言う。

「若い子たちは、演歌の小林幸子なんて興味なかったのに、生を見たらあまりにすごくて"DVD出たら絶対買う"なんてツイッターでつぶやいてたんです。演歌をまったく知らなくても『小林幸子』という入り口から入ってみたらこんなに面白いんだ、とね」

 そう、演歌でも歌謡曲でもない、「小林幸子」というジャンルを素直に楽しめばそれでいいのだ。

 面白がって「小林幸子」を「ラスボス」と呼んだ若者たち、そして、その現象を面白がる小林。そこから新たなものが生まれていく。そこには、旧態依然とした「ザ・芸能界」の姿は微塵もない。さて、次はどこに「降臨」するのか─楽しみにしようではないか。