昭和の小学校のイメージ

 今年は昭和100年! 令和世代の間で「昭和」がブームにもなっている。ザリガニ釣り、野球、ゴム跳びなどの遊びや、今では絶対NGな“体罰”など昭和の小学生だった人たちのノスタルジックな思い出が大集合!

現代と違って校庭が自由に使えていた

 2025年の今年は、昭和という元号でいえば100年。ネットもスマホもなかった昭和のころは、学校で流行った遊びや給食のメニュー、学校生活のルールも今とは大きく違うもの。

 そこで、昭和40年代~60年代に小学生だった40代~60代男女にアンケート。「昭和の小学校あるある」といえば? まずは、「小学校のころ流行っていた遊び」を調査。

 40代のトップ3は、3位が鬼ごっこ(高鬼、色鬼など)、2位がゴム跳び、1位がケイドロ(ドロジュン)。50代の3位はメンコ、2位が缶蹴り、1位はゴム跳び。60代は3位が野球(手打ち野球、フットベース、三角ベース含む)、2位がザリガニ釣り(魚釣りなど川遊び)、1位は缶蹴り・メンコという結果に。

ちょうど遊びの種類が増えて多彩になってきたころ。僕らが高鬼をしている隣で、キックベースをしてる子たちがいて、その横で女の子がゴム跳びをしていたり

 と話すのは、コラムニストの木村隆志さん。自身もアンケート回答者と同世代で、

少人数ならメンコ、大人数なら野球と、集まる人数によっても遊びの種類が変わってましたよね

 と“昭和の小学校あるある”を懐かしく振り返る。

昭和の小学校のイメージ

 40代~60代まで、どの世代も上位を外遊びが独占。昭和の時代は校庭も広く、遊び場にも恵まれていた。

当時は今と違って校庭が自由に使えていたので、一度家に帰ってからみんなでまた学校に戻ってきて遊んだりしていた。今は放課後に校庭は使えないし、公園でもたいていボール遊びは禁止。サッカーや野球ができるところなんて、もう場所が限られてしまってる。缶蹴りも見なくなりました。だいたい缶自体が少なくなりましたから」(木村さん、以下同)

 ゴム跳びは女子、メンコは男子と、男女で遊びが分かれていたのも当時の特徴だと指摘する。

昔はジェンダーがはっきりしてた。女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく、という教えがあった。でも今の子は男女関係なくみんな一緒に遊びます。男の子たちの中に女の子が1人交ざって遊んでると、大人は“あの女の子1人でかわいそう”なんて言ったりしますがその目線自体がすでに古くなっている

 ランキングの4位以下は、ミニ四駆、一輪車(40代)、チェーリング、キン消し、ルービックキューブ(50代)、凧揚げ、竹馬(60代)。いずれも当時子どもたちの間で大きなブームになり、グッズ集めにも熱が入った。

給食を残すことは絶対に許されなかった

遊びグッズがどんどん出てきたのもこのころで、今日は何する?なんて、流行りが次々変わっていった。僕らの時代はキン消しやスーパーカー消しゴム、あと、なめ猫なんかもブームになって、学校に持っていっては怒られたりしてましたっけ(笑)

パンが中心だったり、白米が登場したり。世代によりメニューは変わるけど……

 お次は「給食」のあるあるを調査。好きな給食メニューのランキングは、3位がソフト麺、2位は揚げパン、1位はカレー。40代~60代まですべて同一の結果になった。

これ以外メニューがなかったですからね。揚げパンは不動の人気だし、ソフト麺はミートソースとあえたり、汁に浸して食べたり万能麺のような感じでした

 かつての人気メニューは今も引き継がれているという。

昔のおいしい給食メニューを出そうという文化があって、今の子にもやっぱり人気のようです。ただ、いろいろ進化はしていて、昔のソフト麺はベタッとくっついてほぐすのに苦労したけど、今はうまくほぐれるようになっているみたい」

 続いて、嫌いな給食メニューのアンケート結果を見てみよう。40代の3位はチーズ、2位が酢の物、1位は納豆・牛乳。50代の3位は豆の煮物、2位はフルーツが入ったサラダ・鯨肉の料理、1位が牛乳。60代の3位は酢の物、2位がコッペパン、1位が脱脂粉乳という結果に。

「昔はチーズが嫌いな子が結構いましたよね。今のチーズみたいにまろやかじゃなくて、かたいし、においもキツくて食べにくかった。あと煮物がやたら多かった。野菜と昆布と豆を煮たものに、かろうじて鶏肉がちょっと入っていたり。メインがこれ? おばあちゃんのごはんじゃん、なんてメニューが結構ありました

 どの世代も牛乳、および脱脂粉乳が1位に輝いた。牛乳が苦手だった、というかつての小学生は多いはず。

洋食メニューのときならまだいいけれど、和食に牛乳はもう致命的。たとえ牛乳が苦手でも、あのころは残すなんて絶対に許されなかった。逃げ場がなかった

 昭和の時代は「残さず食べる」が大前提。偏食や小食の子どもにとって、時に給食は試練の場になったもの。

「食べきった順にお昼休みになって、完食するまで居残りさせられましたよね。それが原因で給食嫌いになった子が結構いた。そこも今との違い。最近は“これは少なめに”など、リクエストができるようです。

 というのも、今は食品ロスの削減や親の苦情を回避するという意味でも、残食がシビアに見られる。昔は残しちゃダメだったけど、今は残されたらダメ。前提が大きく違ってきています

 もちろん給食を楽しみにしていた小学生は多い。苦手な給食のアンケートにしても、「嫌いなメニューは特にない」との回答が大多数を占めた。

体育教師が竹刀を持って歩いていた

給食は苦手でもデザートは好きだったりしましたよね。人気メニューが出ると、早く食べ終わった人がおかわりできて、争奪戦が繰り広げられたものでした

指導という名目で体罰が認められていた時代。今なら確実に問題に

 続いて「今ではありえない学校生活」を調査。圧倒的に多く挙がったのが、体罰にまつわる回答だ。

「体育教師が竹刀を持って歩いていた」(東京都・女性・52歳)

「何かあったらすぐげんこつをする先生。生徒の尻ビンタ用に常に棒を持って歩く先生もいた」(神奈川県・女性・53歳)

「叩かれたり正座をさせられたりが当たり前。気分で殴ってくる先生もいた」(東京都・女性・60歳)

「生徒への暴言がひどい先生がいて、それが当たり前のように学校側に認められていた」(千葉県・男性・61歳)

 など、もはや笑うどころではなくトラウマレベル。

「当時の先生は絶対君主。女性の先生も怖かったですから。僕自身も何回叩かれたことか(笑)

 当時は拳でねじ伏せる教師もいて、学校側も当然のように構えていたと話す。さらにアンケートには、

「組み体操なんてよくやったなと思います。人間ピラミッドは本当に危ない」(神奈川県・女性・41歳)

「バケツを持って1時間廊下に立たされた」(岡山県・男性・52歳)

「軍隊のような運動会の行進練習」(大阪府・女性・67歳)

「誰かが問題を起こすと班の連帯責任と言われ、正座させられてイスを机代わりにして授業を受けさせられた」(静岡県・女性・54歳)

 といった声が。

連帯責任とか、よく言われましたよね。だけど当時は疑問を持つこともなく当たり前のように従っていた。組み体操が危ないなんて思いもしなかった。みんな擦り傷をつくってたけど、傷テープひとつ貼ってもらってないし

 ハラスメントにコンプライアンスという言葉もまだなく、その意識のかけらもなかったころのこと。

ジェンダーへの気遣いは皆無だった

「身体測定のときに上衣を脱がされた」(群馬県・男性・40歳)

「体操着がブルマだった」(奈良県・女性・40歳)

「体育のとき、男女同じ部屋で着替えをした」(千葉県・男性・43歳)

「身体検査が男女一緒だった」(広島県・男性・47歳)

「身体検査で上を脱ぎハダカ。小6で、しかも男性教師がいろいろ測定するというキモさ」(埼玉県・女性・57歳)

 と、ジェンダーへの気遣いなど皆無。

今だったら到底考えられないことばかり。時代が変わっているのをすごく感じます

運動会でヒーローになる子どもがいた昭和時代だが、今は順位をつけない運動会が増加。それって意味があるの?

 令和の今となってはありえないことが、常識のようにまかり通っていた昭和のころ。令和の今は子どもたちの権利は守られ、自由度は高い。ただし、昭和と比べ、今の子どもたちが生きやすいかといったらどうだろう。

「昔はシンプルに締めつけられていただけだけど、今の子どもはネットも含めた人間関係が複雑で、仲間外れにならないように生きないといけない。自由になったらなったで、大変なことがいっぱいあるのでしょうね。

 それに、贅沢が当たり前になってるのがちょっとかわいそうだなと思う。給食で新しいメニューが出ても、さほどうれしくもない。一つひとつの喜びが少なくなってる。そこは昭和のほうが豊かだった気がします

 笑える“あるある”もあれば、苦い思い出も。昭和のころの懐かしの記憶を、今、改めて振り返ってみてはいかがだろうか。

取材・文/小野寺悦子