元プラスマイナスの岩橋良昌

「今となっては、相方に迷惑かけたなという気持ちがいちばん大きいです」

 こう話すのは、'24年2月に『プラスマイナス』を解散し、吉本興業との契約が解消された岩橋良昌。元相方の兼光タカシは吉本に残ってピン芸人として活動し、岩橋は芸名を『シャドウ岩橋』に改め、新たなスタートを切っている。

ギャラ交渉の難しさ

 吉本との契約解消は、SNSでの“暴露投稿”が発端だった。

「もともと芸能界に対しておかしいと思うことがあって、それをいつかどこかで言わなければ、誰かがまた自分と同じ思いをすると思っていました。その気持ちが、強迫性障害という持病が悪化したタイミングで爆発してしまって、意図せずあのような流れになってしまって……。別に、あのタイミングで吉本を辞めてやろうと思っていたわけではなかったんです。ただ、あれから1年以上たちましたが、後悔はありません

 契約解消後、個人事務所を設立しており、

「初めはマネージャーも雇っていたのですが、今はすべて自分でやっています。スケジュールの管理だけでなく、請求書の発行やお金の管理も勉強しました。吉本時代にはやったことのないことばかりですが、自分で勝負している感覚があってやりがいがあるんですよね」

 収入面での心配はいっさいないというが、

「やっぱりギャラ交渉は難しいですね。こちらが提示した金額で“検討します”と言われると“ちょっと高すぎたんやな、仕事を1つ逃したかもな”と思ったり……。だからといって、すぐに“じゃあ、金額下げます!”というのも変な話ですし」

 現在の主な活動は、

「ゴルフYouTubeと、ただ食事をしている様子を早送りにした動画を投稿するTikTokをしているのですが、それに紐づいたPR案件が多いですね。あとは、葬儀屋さんのアンバサダーもやっています。それ以外にも、忘年会シーズンには“ネタをやってほしい”といった営業なんかもありました」

“負けてる自分”が認められず

 その根底には“人を笑わせたい”“人前に立ちたい”という思いがあるという岩橋。一方で、再び漫才をする可能性は否定する。

「やっぱり、しんどかったので。吉本時代は何度も解散を考えていました。そんなに売れなかったけど評価はしていただいて、きちんとギャラをもらえていたから、なんとか続いていました

 精神的な負担も大きく、

毎日、お客さんの前に出て漫才をしていたので、常にミスができない緊張感があって、相方にもネタのことで強く当たってしまったりして……。そんな自分のことが嫌いだったんです。常に“○○しないといけない”と、何かに追われている感覚がありました

 その点、独立してからは、

「銀行口座の残高と相談しながら、マイペースに仕事ができるので、自由な時間をとれるようになりました。その結果、メンタルの病気も落ち着いてきました。自分の思うとおりの生き方ができるようになって、今はすごく幸せです」

葬儀社のアンバサダーを務めている元プラスマイナスの岩橋良昌。滋賀県を中心に、岩橋の顔写真が大きく載った看板が掲出されている

 思いのままに生きる今、テレビ出演には、あまり興味はないという。

『かまいたち』とかの後輩がどんどん売れて“負けてる自分”が認められなくてテレビを見なくなったんです。そういうやっかみがあるからか、ネット配信の番組のほうが面白いと思うことが多くて。それに、部屋から普段着のまま生配信ができる時代ですから、あんまりテレビに重きを置いていないですね」

 そんな岩橋が、目下取り組んでいることはというと、

「英語の勉強をしています。レッスンに通うのは大の苦手なので、スマホのアプリでずっと英単語を聞いて、海外のニュースチャンネルの動画を見て、日常に溶け込ませながら覚えています。ゆくゆくは、英語でTikTokの生配信をして、日本にいながら海外で知名度を上げたいですね。そして、興味が赴くままにたくさんチャレンジをして、会社を大きくしていきたいです」

 新たな道を歩み始めたことは岩橋にとっては“プラス”だったようだ。