
芸人、俳優、ミュージシャン、文筆家……。さまざまな才能を発揮している異能の人、マキタスポーツさん。そんな彼が食について綴った書『グルメ外道』が話題です。高級食材をかき集めたからといってできるわけではない、食にまつわる思い出とは? 思わず冷蔵庫を開けたくなるようなマキタスポーツ流「グルメ論」をお読みあれ!
人に言えないような“食のこだわり”を書く意味があるのかな、と
「連載の話をいただいたときは、僕自身の“食”に対する考え方を活字に残すのは気が引けました。食事はごく個人的なものだと思っているので、自分の恥部をさらすような感じがするんですよね(笑)」
穏やかな表情でそう語るのは、芸人や俳優、ミュージシャン、文筆家などさまざまな顔を持つマキタスポーツさん。
そんな彼が自ら筆を執ったウェブ連載に加筆した『グルメ外道』(新潮新書)を今年3月に上梓。その名のごとく、グルメ情報誌やレビューサイト、レシピ本などの“王道”とは一本外れた道を突き進む一冊になっている。
「今は食事に関する情報が気軽に手に入り、多くの人と共有できる時代ですよね。それはそれで便利ですが、僕は食の“そうじゃない部分”を扱いたかったんです。食との向き合い方は人それぞれで、とことん食事にこだわる人もいれば、食べ物に興味がない人もいる。グルメコンテンツが一般化されている今こそ、人に言えないような“食のこだわり”を書く意味があるのかな、と思って連載を始めました」
その言葉どおり、同書にはカップ麺の「どん兵衛」に湯を入れて10分置く「10分どん兵衛」誕生秘話や、義母が作る“料理の伝統や文脈”を無視した絶品お雑煮など、王道グルメ本ではお目にかかれない料理名が並んでいる。

「義母が作るお雑煮は、鶏ガラと鰤のアラと身で出汁を取るんです。想像しただけでも濃厚でおいしそうでしょ。実際にとてもおいしいんだけど、義母の出身地である博多のお雑煮はアゴ出汁なのでまったくの別物なんです。
鶏ガラで出汁を取った理由も適当に入れただけ。まさしくセオリーを無視したお雑煮なのですが、その料理が生まれた背景には義父の存在があります。板前だった義父は伝統を重んじ、義母の作る料理にも厳しかったんです。
そんな亭主をギャフンと言わせようと、彼女が考え出したのが“どこ風でもないお雑煮”だった。伝統を外れなければ、新たな文化は生まれないことを義母のお雑煮から学びましたね」
ちなみに、味に厳格な亡き義父も「これはおまえが作るやつに限る」と絶賛していたそうだ。
義母のお雑煮誕生の裏に義父の存在があるように、その料理が持つバックボーンを楽しむのもマキタスポーツ流。
「僕はそれを『背景食い』と呼んでいます。その食べ物を食べたときの季節や、食べ方などのディテールを見聞きしたり、その食べ物が作られた理由を勝手に想像したりしながら“味”として、ひそかに楽しんでいます」
そんな背景食いの例として挙げてくれたのが、彼の出身地でもある山梨県の一地方に伝わるとされる家庭料理「マキタさん」。それは、ワンタンの皮でひき肉を包み揚げたものを生姜じょうゆで食べる、マキタ家の名もなき定番おやつだった。
ひとつの食べ物が生まれるルーツをつかんだ気がした
「まだ確固たる証拠をつかめていないのですが、ある日、僕が出演していたラジオに『マキタさんという料理をご存じですか?』という情報が届いたんです。なんでも、うちのおふくろからレシピを教えてもらった人が、自身の嫁ぎ先でそれを流行らせて以降、その地域では『マキタさん』と呼ばれ、食べられているらしいんです。
育ち盛りの僕が『腹減った』と言えば、母が余り物で作ってくれたアレが、見知らぬ土地で根づいている。ひとつの食べ物が生まれるルーツをつかんだ気がして“ときめき”ました」

その後も追跡調査を試みたが、ラジオ局に保管されていた放送回のテープが上書きされてしまい、録音も残っていないという。
「『マキタさん』の新情報は、自分のラジオ番組でも毎回アナウンスしていますが、何も進展していません。でも、先日僕が出演している『ロビンソン酒場放浪記』(BS日テレ)という番組で訪れた鶴見(神奈川県横浜市)の居酒屋で、『マキタさん』に出合ったんですよ!
その店では“揚げワンタン”としてメニューに並んでいましたが、話を聞くと店主のお母さんがおやつで作ってくれた揚げワンタンがもとになったそう。出自まで『マキタさん』そのものだったので興奮しましたね」
現在も家庭料理『マキタさん』の調査は継続中とのこと。心当たりのある方は、ぜひ情報をお寄せいただきたい。
「今僕は、東京と故郷である山梨との二拠点生活を送っていて、妻は小学生の息子たちと山梨で暮らしているので、娘たちと僕が暮らす東京の家の冷蔵庫の管理者は僕。なので『アレとアレを組み合わせよう』とか『古い卵を使い切らないと』とか、いつも頭の半分くらいは冷蔵庫の食材の使い道で占められているんです。
そんなことをずっと考えている自分にもおかしみがあるし『マキタさん』をはじめとした、名もなき料理はこうして生まれるんだな、と知ることができました。休日にお父さんが『今日は頑張っちゃうぞ』なんつって新しい食材を買いそろえて手の込んだ料理を作るのとは、ワケが違うんですよ(笑)」
マキタスポーツさんと同じように、冷蔵庫の食材の処理に悩む本誌読者のみなさんにおすすめなのが、同書の『納豆チャーハンの最適解』というコラム。
「昔、おふくろのひらめきで古くなったご飯と納豆を油で炒めたのが、僕と納豆チャーハンの戦いの始まりでした。それ自体はおいしくいただきましたが、もっとおいしくできるのではと自分の中でモヤモヤが残り、今も納豆チャーハンの正解を探求しているんです。
本書には『最適解』のレシピも載せましたが、あくまで“現時点の最適解”に過ぎません。まだまだポテンシャルがある料理だと思うので、週女読者の方の納豆チャーハンも教えてほしいですね」
食と向き合い、アレコレと思いを巡らせてきたマキタスポーツさん。年齢を重ねた今、不思議に思うことがあるという。
食べ物に対しては謙虚でいたい
「最近は『なぜ、同じものを食べ続けられないんだろう』と考えています。例えば、若いころは毎日焼き肉を食べたいし、仮に毎日焼き肉だったとしても食べられたと思うんです。でも、今は毎日焼き肉は厳しいし、スーパーでも野菜が目に入るようになりました。
身体が野菜を欲しているんですよね。それだけでなく、温野菜など火が通った温かい野菜が食べたいと感じる。明らかに、食べたいものが変化してるんです。『健康のため』という理由で食材を選んだり、おいしくないものを無理に食べたりはしませんが、好みの変化は感じますね」

また、年齢とともにある野菜との関係にも変化が起きている、とマキタさん。
「お恥ずかしながら、子どものころからニンジンが苦手だったんですよ。でも、ニンジンが嫌いな後輩と話をしているとき、その後輩が『ニンジンって意味わかんないっすよね!』と言い放ったときに無性に腹が立って……。
心の中で『俺やおまえよりもニンジンのほうが多くの人に愛されてるんだから、絶対にニンジンのほうが偉い。よし、俺はニンジンを食べるぞ!』と決心しまして。それから積極的に食べるようになったら、すごくおいしいんですよね。
今では、一緒に『新婚さんいらっしゃい!』に出て人前でのろけたいくらいニンジンが好き(笑)。40歳を過ぎてやっとニンジンの偉大さに気づくくらいなので、自分はまだまだ青二才。これからも食べ物に対しては謙虚でいたいですね」
グルメ外道の求道の旅は続く─。
取材・文/大貫未来(清談社) 撮影/矢島泰輔
1970年生まれ、山梨県出身。芸人、ミュージシャン、俳優、文筆家など、他に類例のないエンターテインメントを追求し、芸人の枠を超えた活動を行う。著書に『すべてのJ-POPはパクリである』(扶桑社文庫)、『越境芸人 増補版』(東京ニュース通信社)など。近刊に自伝的小説『雌伏三十年』(文藝春秋)がある。