事件を捜査する警視庁小松川署

 東京と千葉の県境を流れる江戸川の近く、東京都江戸川区の静かな住宅街にある、一家3人が暮らす団地。近所の公園には高齢の住人が集まり、世間話をするのが常という。

「ケンカになって刺したが、殺すつもりはなかった」

 公園にいた高齢男性は、その日の出来事を振り返る。

「パトカーが2台と救急車、消防車も来ていました。急病人ではないなと考えていると、包帯のようなものを身体に巻かれた男性が担架で搬送されていきました」

 団地の住人から「兄を刺した」と110番通報があったのは5月15日、午後6時過ぎのこと。警察が駆けつけると、室内で長男・山崎紘佑さん(27)が血を流して倒れており、搬送先の病院で死亡が確認された。

 警視庁小松川署は、その場にいた次男・山崎大伍容疑者(25)を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。

「包丁で、兄の肩を刺すなどして殺害しようとした疑いです。警察は容疑を殺人に切り替えて経緯や背景を詳しく調べる方針。“ケンカになって黙らせるために刺した。殺すつもりはなかった”などと殺意を否認しているといいます」(全国紙社会部記者)

 同じ団地の住人らによると、兄弟は母親と3人家族。5~6年前に引っ越してきたという。事件現場となったのは、現在は次男と母親が2人で暮らす部屋だった。部屋が狭いことなどから、長男は団地内の別の部屋を借りて寝起きしていた。

 一家の事情を知る50代の男性住人は言う。

「現場となった部屋近くの通路には、素足で歩き回ったとみられる血の足跡がありました。10や20では済まない数です。翌朝、母親は警察の現場検証を見守りながら落ち込んだ様子でした。息子さんと仲がよく、“気をつけてね”と見送るなどしていました」

 親子で買い物に出かける姿も複数の住人が目撃している。

「母親が運転手で、息子さんは荷物持ち。両手いっぱいにスーパーの袋を抱えて自宅に運んでいました」(80代の女性住人)

 なぜ、兄弟ゲンカになったのか。残された母親(61)に事情を尋ねた。

「ケンカではないんです」

 最初は取材に対して逡巡していたが、「ケンカではないんです」と重い口を開いて、60分にわたって全容を語ってくれた

弟が兄を刺殺した事件当日の“おふくろ弁当”。梅干しが苦手な弟には鮭フレークを(母親提供)

「はっきりと覚えていませんが、お兄ちゃんが大伍(容疑者)に“食べ終えた空の弁当箱くらい、自分でシンクに出せよ”などと注意したんです。大伍は過剰反応して、包丁を手にしたみたいで。

 普段の大伍は、言われなくても食べ終わった弁当箱はシンクに出しますし、食器洗いも手伝ってくれます。

 お兄ちゃんは、私のことを思って、大伍に対して口調が強くなることがありました

 母親によると、大伍容疑者は自閉症で、紘佑さんも19歳のころに統合失調症を患った。母親自身も耳が悪いなどの障害があるという。

 兄弟の父親は20年前にバイク事故で他界。長男は小学1年、次男は5歳と手のかかる時期で、母親は働きながら育児をした。

 兄弟は母親の苦労を肌で感じたのか、紘佑さんは10代のころから“父親代わり”を務めるようになったという。

「大伍は小学校に通うようになるとパニックになって、履いている靴を公園内の水場に投げ込んでしまうことがありました。それをお兄ちゃんが水場に入って拾い、持ち帰ってきてくれるんです。

 お父さんの代わりに大伍の面倒を見てくれました。成績は優秀でしたし、柔道に取り組み、高校で応援団に入ると頼りがいが増しました。声も大きくて。私の心の支えだったんです」

 転機は紘佑さんが19歳のころ。コンビニで万引きをしたり、車を棒で叩いて傷をつけるなどの騒動を起こしたことで精神鑑定を受けた結果、統合失調症と診断された。

 大手企業で働いていたが、2~3年前に裸で室外に出るといった問題行動を起こして入院。退院後は、別の会社で得意のパソコン業務に従事していたという。

 一方、大伍容疑者は障害者雇用で大手通信会社の清掃・工務作業をする定職に就いて、毎朝早く出勤するようになった。

“大黒柱”として一家を支えてきた紘佑さんとの差が縮まったのかもしれない。兄弟の会話は減ったという。

「でも、大伍は職場の人間関係で追い詰められていたんです。私にLINEなどで“疲れた”“仕事を辞めたい”とグチるようになりました」

 母親は、成人後も心配事の絶えない息子2人をできるだけ支えようと、毎日午前3時に起床して、2人分の弁当を作った。駅まで車で送ることも頻繁にあったという。

事件を捜査する警視庁小松川署

 事件当日の朝、いつものように手作り弁当を持たせた母親は、夕刻に帰宅した息子たちに言った。

「ごめんね。今日、お母さん疲れちゃって、ごはん作れそうもないから外食にしない?」

 外食から帰宅後、事件は唐突に起きた。

 大伍容疑者は包丁を構え、紘佑さんは「やめろよ」と手でブロックしようとしたとみられる。

「目を開けなさい!」

 それが災いしたのか、刃は動脈が走る肩付近のやわらかいところに刺さった

事件が起きた自宅近くの通路には、素足で血を踏んだ複数の足跡が残っていた(2025年5月20日撮影)

「お兄ちゃんはバタンと床に倒れ、周囲は血だらけでした」

 母親は倒れた長男のそばを離れなかった。

「大伍に“早く110番して”“枕持ってきて!”“もっとタオル持ってきて!”と指示して、“救急車が来たら部屋に呼び込んで”と言い、大伍は走って通路に飛び出しました。

 思い出すのもつらいのですが、私はお兄ちゃんの頭の下に枕を入れ、次第に意識がなくなっていくなか“目を開けなさい!”“もうヤだよ!”と何度も呼びかけました。それでも瞼は、少しずつ、閉じていってしまって……。

 大伍はパニックになっていましたが、救急車のサイレンが近づくと、通路で私と“ここです! ここです!”と、大きく手を振りました

 事件後、大伍容疑者とは面会できていないという。留置施設でパニックになってはいないか、と心配している。

「無理してでも夕ごはんを作ればよかったとか、包丁を目に入らない場所に保管しておけばよかったとか、自分を責めてしまいます。赤の他人に刺されたほうがマシだったと考えたり。

 お兄ちゃんとは最近“うなぎ食べたいね。今度、食べに行こうね”と話していたので、出棺のときは、うなぎか、私の作ったお弁当を入れてあげたいです」

 紘佑さんは「母ちゃん、母ちゃん」と母親を慕っていたという。事件4日前の『母の日』は「母ちゃん、いつもありがとう」と労ってくれた。「とてもいい子で、申し訳ないくらい母親思い」と話す。

 兄弟の写真を見せてもらうと、いずれもガッチリ体形で精悍な顔立ちの青年だった。母親は“お兄ちゃんは、大伍のことを許してくれるんじゃないかと思いたい”という。