『虎に翼』のお嬢様役から一転、地味なさとこを見事に演じる桜井ユキ

 NHKドラマ『しあわせは食べて寝て待て』が最終回を迎えた。その3日前にはメインキャストの桜井ユキ&宮沢氷魚&加賀まりこのトーク番組「ありがとうSP」が放送されるほど反響を呼んだ本作。テーマが“薬膳”とご近所の“ふれあい”であるこのドラマが、どうしてここまで現代人の心に刺さったのだろう?

火曜の夜10時の枠では異例

桜井ユキ主演『しあわせは食べて寝て待て』(NHK公式サイトより)

 桜井ユキが演じた主人公・麦巻さとこは元キャリアウーマン。一生付き合わなければならない病気(膠原病の一種)にかかり、職場で「まともに働けないなら来るな」などと言われ、嫌がらせを受けて会社を退職する。

 デザイン会社で週4日のパートを始めるが、家賃11万円のマンションには住めなくなり、築45年で家賃5万円の団地に引っ越す。そこで隣室に住む90歳の大家・美山鈴(加賀まりこ)にお節介を焼かれ、その同居人・羽白司(宮沢氷魚)が作る薬膳料理と出逢ったことから、少しずつ元気を取り戻していく。

 放送開始直後から反響が大きく、最終回前にはメインキャストが好きなシーンなどを語り合う「ありがとうSP」が放送された。これは朝ドラや大河ならいざ知らず、火曜の夜10時枠では異例のことだ。

 膠原病は2023年に亡くなった八代亜紀さんも患っていた、本来はウイルスを退治するはずの免疫が自分の身体も攻撃してしまう病気だ。ドラマの中でさとこは「体がだるくて微熱が出て関節が痛む、体が痛むと心が落ちる」と語り、医師はなるべく無理をせず、普通に暮らすようにとアドバイスしている。

 いっぽう薬膳は、中国の医学に基づいており、簡単に言えば体の不調に合わせた食材を取り込むことで、体の調子を整えていく考え方。司は「素人でも取り入れられる」と話している。

 実際、本作に出てくる薬膳料理はとっても美味しそうだ。例えば1話で司が作り、最終話ではさとこも作った「肉団子と野菜のスープ」など、きっと薄味で、でも素材の出汁がたっぷりと出ていて、飲むとじんわり体に沁みるんだろうなあ…というのが画面を通して伝わってきた。こうしたシンプルな食事に体を癒されたいと思った経験は、筆者(50代・男性)を含め、中年以上の男女なら一度はあるのではないか。

 そして登場人物が温かい。小さなデザイン事務所の社員たちもさとこに理解があるし、同じ団地に暮らす人たちとも、心を通わせていく。極めつけは鈴で、自分が昔、この部屋を300万円で買ったので、さとこからの家賃が300万円に達したら、「部屋をあげる」と言い出すのだ(もっとも、将来的に建て替える際は2千万円ほど必要なことがわかり、その時はさとこも手放さなければならないかもしれないのだが)。

いずれにしても、薬膳料理もご近所さんも、心と体にじんわりしみ込んでくるような優しさで、これが観たくてチャンネルを合わせた視聴者が多いのだろう。令和の今、こうした物語が求められるということは、疲れている人が多いんだなあと思う。ただがむしゃらに頑張ることや、どこへ行っても付きまとう面倒な人間関係に。

どん底主人公の物語

 実は近年、小説の世界ではこうしたタイプの物語が非常に増えている。仕事や人間関係で傷つき、どん底に落ちていた主人公が、ふと流れ着いた食堂や喫茶店、居酒屋などで目が覚めるような食事に出逢い、店の主人や常連客らとふれあう中で、自分を取り戻していく。

 そこで出逢う人たちは皆、同じように傷を抱えているから、相手の痛みにも敏感で、無闇に主人公を傷つけることもない。『東京近江寮食堂』渡辺淳子、『しあわせのパン』三島有紀子、『マカン・マラン 二十三時の夜食カフェ』古内一絵、『最後の晩ごはん』椹野道流など多くの小説がある中で、水凪トリのコミックが原作の『しあわせは食べて寝て待て』は、その団地バージョンともいえそうだ。

 そして、さとこは言う。「お金のために無理して働いて、体壊して、その治療代にお金払うなんて、何か違いますよ!」。これはきっと、視聴者が皆、誰かに言ってほしかった言葉に違いない。私もこの言葉で許されたような気持ちになった一人だ。

 でも、これは現代のユートピアで、現実はなかなかこうは行かない。私自身も50歳前後から体調不良が長引いて病院を渡り歩いたり、仕事では嘘や搾取が相次ぎ、これからは互いを尊重し合える人とだけ付き合っていこうと思っていたら、そうした相手が次々に異動や退職をしてしまったりした。

 社会人として30年以上頑張って来た結果、待っていた景色がこれなのかと、あ然としなくもない。それでもまだ私の前にユートビアは現れてくれないので、まだまだ苦労が足りないのだろうと、自虐的に思ってもみる。だがきっとこれは私だけでなく、同世代の多くの人に共通する心境なのではないか。

 鈴はさとこに「よく『果報は寝て待て』って言うでしょ。だから運が巡ってくる時のために、少しでも元気になっていないとね」と話す。もし互いを尊重できる人と奇跡的に巡り合えたら、決して欲張らずに、その関係性は大切にするということだろう。そういう意味では、鈴や司と出逢った時点で、さとこにはすでに「運=幸せ」に巡り会っているのだ。

 でも私たち視聴者の前には、そう簡単に鈴や司のような人は現れてくれない。ではどうすればいいのかといえば、こうしたドラマや小説を鈴や司だと思って、自分自身で自分を労わってあげるべきなのだろう。幸い私も、病院に通いながらまともな食事を心がけ、運動を取り入れることで長い体調不良からは脱却しつつある。もし、運が巡ってこなかったとしても、健康を大切にしながらきちんと前向きに生きるだけで十分幸せなのだろう。

「ありがとうSP」では桜井たちが「シーズン2とかあるといいよね」「スペシャルでもいいよ」と話していた。その日をぜひ、心待ちにしたい。

古沢保。フリーライター、コラムニスト。'71年東京生まれ。『3年B組金八先生卒業アルバム』『オフィシャルガイドブック相棒』『ヤンキー母校に帰るノベライズ』『IQサプリシリーズ』など、テレビ関連書籍を多数手がけ、雑誌などにテレビコラムを執筆。テレビ番組制作にも携わる。好きな番組は地味にヒットする堅実派。街歩き関連の執筆も多く、歴史散歩の会を主宰。