
今年9月に開催される世界陸上。日本では18年ぶりとあって注目を浴びている。身体を酷使して優勝を目指す選手たち。しかし、アテネ五輪オリンピアンの室伏由佳さん(48)は現役時代に重篤な婦人科系疾患に悩まされ続けたという。「あの時もっと知識があれば……」そう振り返る現役時代の苦労を伺った。
貧血や月経困難症で練習についていけず…
「現役時代、もっと競技に専念できたのではという後悔が今もある。だからこそ、若いうちから自分の身体の状態を知る大切さを伝えたいんです」と語るのは、陸上競技女子ハンマー投げアテネオリンピック日本代表の室伏由佳さん。
円盤投げ・ハンマー投げの元日本記録保持者でもあり、世界で活躍した力強い姿が印象的だ。しかし、中学生から陸上を本格的に始めて以降、35歳で引退するまでの間に、重度の貧血や、複数の婦人科系疾患を次々と発症。選手生活の裏では、痛みや不調に苦しむ日々を送ってきたという。
「中学時代は短距離・跳躍種目の選手でしたが、生理が来るようになってからは、練習についていけなくなってしまって。特に走り込みが苦手でした。すぐに息切れしてしまい、なぜこんなにしんどいのだろうと悩みました」
のちに大学入学時の健康診断で、重度の貧血ということがわかったが、当時は「生理痛で不調」など指導者に相談できる時代ではなかった。
「自分も周りも、それが女性特有の疾患であるという知識がなかったため、自分は体力が低いんだと思っていました」(室伏さん、以下同)
そんなつらさを抱えながらも、大学からはハンマー投げも本格的にスタートし、円盤投げとハンマー投げの2種目で日本のトップ選手として活躍するようになる。しかし、大学卒業後は、生理による不調がより深刻に。
「生理の直前から、急に腹痛や排便痛が起きるようになって。PMS(月経前症候群)と機能性月経困難症、いわゆる生理痛です。それが26歳になるころに、息もできないほどのひどい痛みになり、這いつくばるようにして近所のレディースクリニックに駆け込み、受診しました」
しかしクリニックでは特に疾患は見つからず、再診で訪れた大学病院の婦人科で、子宮内膜に子宮頸部まで伸びるように成長しているポリープが見つかった。本来、ポリープ自体に痛みはないが、ポリープが子宮頸部に栓をするように大きくなり、月経血の通り道をふさいでしまったため、出血不全や、痛みが起きていたとし、「器質性月経困難症」との診断だった。
これまで経験したことのないほどの激痛が
「担当医からは、『ポリープはさらに大きくなる可能性があるから、切除したほうがいい』と言われました。ですが、その時はアテネ五輪選考会前年の大切な時期。今、処置をして練習に戻れなかったら……という不安からすぐには決断できず。結局、それから半年ほど後、五輪選考会の3か月前にポリープを切除しました」
しかしホッとしたのもつかの間、その後も不調は続くことになる。
「生理前の体調不良がさらにひどくなってしまって。婦人科の担当医と相談して、大会と生理が重ならないよう、中用量ピルで月経周期をずらして調整することにしました。それにより、大会の時は生理の影響を回避できましたが、一方で、副作用による体調不良に陥り、吐き気、むかつき、むくみなどの症状が出てコンディションを崩すことが多くなりました」
それでも、2004年アテネ五輪の代表選考会で、女子ハンマー投げで初優勝。その後、日本記録を樹立し、五輪への出場が内定した。
日本の投擲種目を牽引すべくトレーニングを重ね、32歳となったある朝、今度は下腹部に激しい痛みが走る。
「これまで経験したことのないほどの激痛でした。お腹の中に膿がたまってギュウギュウに膨れ上がっているような感覚があり、悶絶しながら“破裂する!”と口走っていました」
救急外来での検査後の診断は、子宮内膜症(チョコレート嚢胞)。

「卵巣にできた嚢胞(腫瘍)が気づかないうちにどんどん大きくなり、最終的に破裂してしまったんです。ポリープの問題が解決したと思ったのに、まさかのことで……。ただ、思い返してみれば、激痛が起こる2~3か月ほど前から、生理の1週間前ぐらいになると、ギューッと締めつけられるような痛みが下腹部にあり、信号待ちの際にうずくまってしまったこともありました。その時は、またポリープができたのかなとイヤな予感はあったものの、もっと深刻な病気になっているとは、まったく想像できませんでした」
治療は、まず低用量ピルを用いたホルモン療法で、腫瘍を縮められるか様子を見ることに。しかし、残念ながら腫瘍は縮まなかった。
「担当医から“長期間チョコレート嚢胞を保持していると、がんに進展する可能性もある”という話を聞き、手術を受けなければいけないことは理解しました。ですが当時、アスリートで同様の手術を受けた症例の情報があまりなかったため、復帰の道筋が描けなかった。どう判断すべきか非常に悩みました」
腹腔鏡による両側チョコレート嚢胞摘出術
そして、覚悟を決める。
「このままの状態でいても、人生にも競技にも影響する。まずは健康を優先しよう。治して、もう一回、競技に取り組もうと思い、腫瘍摘出手術を受ける決断をしました」
さらに、最初に痛みが出た左の卵巣だけでなく、右の卵巣にも嚢胞ができていることが判明。2009年11月、腹腔鏡による両側チョコレート嚢胞摘出術を受け、無事成功した。
「入院は10日間でしたが、腹部に力を込めてよいとされるまでに1か月ほどかかりました。また手術後半年ほどは痛みや不調が続き、思うような動きができない日々が続いて。自身で徐々にトレーニングを重ねて、完全に体調が戻るまでに半年かかりました。手術したからすぐに元気になれる、という単純なものではなく、できるだけ手術しなくて済むように、若いうちから対処するリテラシーをつけておくことが必要だったと痛感しました」
手術を乗り越え、35歳で現役引退するまで競技を続けることができたが、その道のりは決して平坦ではなかった。
そんな自身の経験から、現役のアスリートや学生、また同世代である更年期以降の女性にも、講義やセミナーを通じて「歯科医に行くような感覚で、婦人科も気軽に受診してほしい」と強く訴える。
「当時に比べると今はさまざまなことを簡単に知ることができる環境にあります。とはいえ、身体の中の状態までは、自分ではわかりませんよね。だからこそ、定期的に検診や診察を受けて、自分がいまどんな状態なのか、知っておくと安心かなと思います」
現在も婦人科に定期的に通い、検診を欠かさないという室伏さん。
「痛みなどのサインを見逃さないだけでなく“症状がないから大丈夫”と思わずに、常に予防の意識をもって自分の身体を守れるといいですね」

むろふし・ゆか●スポーツ健康科学博士。順天堂大学スポーツ健康科学部 先任准教授。2004年アテネオリンピック陸上競技女子ハンマー投げ出場。選手時代、慢性腰痛症や子宮内膜症などの健康課題と向き合う。研究領域はスポーツ医学、アンチ・ドーピング、スポーツ心理学、女性の健康課題など。
取材・文/當間優子 写真提供/(c)attainment