
日本時間6月25日、大谷翔平が今シーズン27号の本塁打を放った。日米合わせて300本目のアーチを放つと、27日と28日にも2戦連発のホームランを放った。
漂っていた殺伐とした空気
「大谷選手は日本ハム時代に48本、メジャーリーグで254本のホームランを打ちました。メジャーリーグでもホームランを記録した日本人選手で通算300号本塁打を達成したのは松井秀喜さん、福留孝介さん以来3人目。ロバーツ監督は“すばらしいね”とコメントし、チームメートのベッツ選手も“乾杯か何か祝福をする”と宣言しました」(スポーツ紙記者、以下同)
めでたい節目の記録を達成する少し前。6月17日から20日にドジャースタジアムで行われたサンディエゴ・パドレスとの4連戦では終始、殺伐とした空気が漂っていた。
「同地区のライバル対決で選手もファンもエキサイトしていました。初戦でドジャースのパヘス選手が死球を受けると、翌日はドジャースの投手がパドレスの主力のタティス・ジュニア選手に死球。その直後に大谷選手が死球を受けました。審判団は次に危険なプレーがあったと判断したら、その選手と監督が退場処分となる『警告試合』を宣告。故意に当てられたうえ、警告試合を告げられたロバーツ監督は激怒。抗議して退場処分となりました」

のちに、ロバーツ監督はABEMAで配信された『おはようロバーツ』の中で「ただ選手を守ろうとしただけ。ショウヘイへの死球は故意だと思いました」と、心境を明かした。
4連戦の最終日、大谷はまたしても“被害”に遭った。

ぶつけられたらぶつけ返す
「パドレスのスアレス投手が投げた99.8マイル(約160キロ)の投球が大谷選手の右肩付近を直撃。この試合でもパドレスのタティス・ジュニア選手が死球を受けており、その“報復”だと感じたドジャースのチームメートはベンチから飛び出そうとしていましたが、大谷選手は手を上げて制しました。
大谷選手はその後、一塁ベースで相手選手と談笑し、試合が中断するとパドレスのベンチ前でエンゼルス時代に一緒にプレーしたイグレシアス選手と笑顔で話す場面もありました。
大谷選手に投球を当てたスアレス投手は退場となり、2試合の出場停止処分。死球を受けても大谷選手は乱闘など、事を荒立てたくなかったようです」(スポーツ紙記者)
一触即発の空気を紳士的な対応で沈静化。その振る舞いに元メジャーリーガーや日米のファンから称賛が集まった。
メジャーリーグに今も残る、ぶつけられたらぶつけ返す“報復死球”という文化。それに“神対応”で返した大谷の姿は“レジェンド”の目にどう映ったのか。
1964年、アジア人として初めてメジャーリーグの舞台に立った村上雅則さんは語る。

「明らかにわざと当てていたからロバーツ監督やほかの選手が怒るのはわかります。本当だったら、大谷くんもまた当てられないために怒らないといけないケースだったけど、そうしなかったのは彼の性格が表れていると感じました。だから相手チームのファンも“大谷を見たい”という人が多い。
こうしたドジャースとパドレスのようにぶつけ合って、やられたらやり返すといった争いが世界では起こっていますが、国のリーダーたちには大谷くんの振る舞いを見習ってほしいですね」
サンフランシスコ・ジャイアンツに在籍し、投手として2年間で通算54試合に登板した村上雅則さん。二刀流として再始動した大谷の活躍も見守っている。

大谷から手渡された紙袋の中身
「投手として復帰した最初の試合はコントロールが安定していなかった。練習と試合での感覚は違うから。でも、その次の試合は、いい投球をしていたので安心しました。打者としては、これからもっとホームランを打つと思います。やっぱり50本くらいは打ってほしいし、その可能性は十分にあります」
2024年5月、ジャイアンツの本拠地であるオラクル・パークで大谷と対面した村上さん。そのとき“神対応”を受けたと明かす。
「大谷くんとクラブハウスの中で話そうとしたら、体格のいいガードマンから“出ていきなさい”と言われてしまった。ジャイアンツ側からの取材のパスをもらってはいたんだけど、ダメだった。そうしたら大谷くんが“ちょっと待っていてください”と。それで少し外で待っていると、彼から紙袋を手渡された。帰国してから紙袋の中を確認したらサインボールが入っていたんです。気を使ってくれたんだろうね」
グラウンドでも、フィールド外でも紳士的な対応を見せる大谷。それが世界で愛されるゆえんだろう。