
「“難役だ”という気持ち以上に“レジェンド監督”高橋伴明監督の映画に出られる喜びのほうが大きかったです」
「尖った映画はやっぱり好き」
と話すのは、毎熊克哉。主演映画『「桐島です」』で桐島聡役を演じている。
「僕は娯楽映画も好きですけど、中でも尖った映画はやっぱり好き。この作品を作ること自体、勇気がいることだとも思うし、そこに真正面から挑める人は多くはないでしょうし。うれしいなと思いましたね」
1970年代半ばの連続企業爆破事件で指名手配されている“東アジア反日武装戦線”メンバー・桐島聡容疑者(70)が、末期がんで神奈川県内の病院に入院している……。2024年1月、衝撃のニュースが日本列島を駆け巡った。“ウチダヒロシ”の偽名で生き続けた男は本名を明かし、報道の3日後に死亡した。彼はどんな潜伏生活を送り、その人生には幸せもあったのか?
「(実在の)犯罪者役を演じることは何かしらのリスクはあるのかもしれないんですけど、自分は別にそう思ってはいなくて。桐島聡や事件から何が見えてくるのかということのほうが重要な気がします。
逃げながら、ただただ生活を繰り返す。とても地味な50年間が彼の人生のほとんど。彼は事件当時、大企業の搾取に怒りを感じていたけど、社会悪を正すとか、そこまでの強いものがあったかはわからないと思います」
過激な思考でも、事件首謀者ではなく、流れの中でいつしか押し上げられていた……。そんな印象があるという。
「例えば、幼少期に“宇宙飛行士になる”“医者になる”という夢があったとして、そのために順序立てて勉強したり、受験したりができる人もいるけど。とりあえず受験シーズンが来たから自分も受験しなきゃ、みたいな。そういう人が僕は大半な気がしていて。なんか、それと似ているような気もするんですよね」
逮捕された同志が刑期を終えてもなお、逃げ続けていた桐島。
「土木関係の会社に住み込みで働き、その部屋にはギターがあって、時に飲み屋に行ったりもしているんですよね。なんで“桐島です”って最終的に名乗ったのか。もちろん、実際の桐島聡がどんな人物だったかは、誰も本当の意味ではわからないんですけど。
実はイメージされるような政治色の強い映画ではなくて。懇意になる女性も出てきますし、意外と笑えたり、ほっこりしたりもするので、そこをぜひ勘違いせずに劇場に見に来てほしいなと思います」
改名のきっかけは“父親の一言”
“最期だけは本名で”と願った桐島。名前は自分自身であり、アイデンティティーでもある。毎熊克哉(まいぐまかつや)の読み方を間違えられることもあるかと尋ねると、
「“まいくま”と呼んでくれたらいいほうで、“まえじま”とか“まえくま”とか(笑)。電話予約で名乗っても、ほぼ100%伝わらないですね。もう慣れちゃってるので、正しく覚えてほしいとも特に思わないです(笑)。ただ映画のフライヤーなど印刷物のフリガナが間違っていたら、“そこはちょっと直してもらえたら”と思うくらいですね」

かつては本名の毎熊克也で俳優活動をしていた。そのころを、まだアルバイトをしないと食べていけなかったと振り返る。
「也を哉に変えたのは、気分転換で(笑)。自分から変えようと思ったわけじゃなかったんですが、父親が“哉のほうが字画がいい”と言っていることを母親から聞いて。正直、一時期は“俳優なんていつまでやっているんだ!”という雰囲気だった両親が、一応は応援してくれているんだなと思って」
改名直後、(映画専門学校の)同級生が初メガホンを取り、毎熊が主演した『ケンとカズ』(2015年)が東京国際映画祭で作品賞に輝き、話題に。自主映画ながらロングランヒットとなり、毎熊は数々の新人賞を獲得。朝ドラ『まんぷく』(2018年)でお茶の間にもその名が知られ、今や映画やドラマに引っ張りだこ。脇でも輝く主演俳優に。
「改名したからいい風が吹いたとか、僕は信じるタイプじゃないんですけど。でも言われてみたら、タイミングは合致しているので、そういうことにしてもいいのかもしれません(笑)」
桐島聡のように……とは言わないまでも、逃げたい、逃れたいと思っていることは?
「矛盾するようなことを言うんですが、新しい役と出会ったときやセリフを覚えないといけないときには、いつも逃れたいなとは思います(笑)。作品をやれることはもちろん、すごくうれしいんですが、いざ“これからこの役に向き合うのか”と考えると……。もちろん、本当に逃れちゃったら、それはもう引退するときですよね(笑)」
取材・文/池谷百合子