
『モンキー・マジック』『銀河鉄道999』など、若い世代にも受け入れられているゴダイゴの曲。結成50周年を迎え、精力的にツアーを敢行中だ。多様性を受け入れ、常に新しいことを取り入れてきた世界的バンドは、この先どんな“旅”をするつもりなのか―。
長く続けられたのは気楽に愉快に過ごしてきたから
1975年に結成し、今年、結成50年を迎えたゴダイゴ。結成の翌年にデビューし、'78年にテレビドラマ『西遊記』の主題歌『モンキー・マジック』とエンディングテーマ『ガンダーラ』が大ヒット。
また、ユニセフ国際児童年の協賛曲『ビューティフル・ネーム』、映画『銀河鉄道999』の同名主題歌、テレビドラマ『西遊記II』のエンディングテーマ『ホーリー&ブライト』などもヒットし、'70~'80年代の日本の音楽シーンを席巻した。
平均年齢70代になっても精力的に活動し、現在は全国ツアー中。昔と変わらないパフォーマンスを見ると、人生の岐路に立つ人々にとっては憧れの存在に見える。その秘訣とは?
「(1985年から一時活動休止して)途中20年くらいゆっくり休んだので、それがよかったんだと思いますよ。20年休んだので、気持ち的にはまだ50歳くらい(笑)。ステージに上がったときも、自分が70歳だとは思っていないですし。
昔は、70歳でロックやるなんて考えられないことですから、そう思うと奇跡ですよ! 今も無理をしないでやれば大丈夫です。ただ、お客さんには無理をしているように見せていますけどね(笑)」(タケカワユキヒデ)
「長く続けられたのは、無理をして頑張るというより、気楽に、そして愉快に過ごしてきたからだと思います。50~60代は体力的にはあまり変わらないんですけど、70代に入ってくると、どうしても一年一年で少しずつ身体に変化が出てくるんですよ。
だから日々、気負わずに元気に楽しくワイワイやればいいんじゃないかと思って活動してきました」(ミッキー吉野)
「僕はプロになってから、もう60年たっているから、40周年も45周年も50周年も、あまり変わらない感じ。僕にとって年は、ただの数字なだけなんですよ。僕の気持ちって、18歳から変わっていませんから(笑)」(トミー・スナイダー)
20年ほどの“休息”を経ているからこそ、これまでずっと“自然体”で活動してきた。それはメンバー全員が共通で思っていることのようだ。特に若ぶるわけでも、かといって実年齢を意識しすぎない。
ゴダイゴのメンバーは、あくまでも“等身大”の自分でい続けている。これは、立場や年齢を言い訳にしがちな私たちにとって参考にしたいことかもしれない。
また同時に、一人ひとりのプロ意識の高さと、メンバー同士がリスペクトし合い、強い絆で結ばれていることも感じられる。
「とにかく練習! 僕は毎日、少なくとも1時間、長くて2時間、練習しています。長く続くバンドは、絶えず自分のテクニックを磨くということも大切なんですよ」(スティーヴ・フォックス)
「メンバーとは素質とか音楽性、そして相性がぴったり合ったんですよね。これは幸運なこと。音楽を中心にして集まったグループとして、一緒になると水を得た魚のように、ひとつのユニットとして泳ぎ出すという。それは、演奏していてとても心地よいですね」(吉澤洋治)
「メンバーそれぞれが、個々の考えを持っているわけです。僕たちはそれを否定しないということを一番大事にしています。ゴダイゴが一番表現したいのが、“多様性”。今でいう“ダイバーシティ”なんですよね。みんな宗教も違うし、言葉も違う。
それをすべて超越できたのが、音楽の力だった。だから僕たちは、ずっと前から多様性で活動している」(ミッキー)
「なんでゴダイゴがEXILEの曲をやるんだろう」
“音楽の力”というマジックを通して、メンバー全員が一つにまとまっていく。それがゴダイゴの最大の魅力だ。そんな彼らの曲が今、20~30代を中心に若い世代にも共感を得ている。

きっかけは、2007年にMONKEY MAJIKが『モンキー・マジック』を、
'08年にEXILEが『銀河鉄道999』をカバーして、いずれも大ヒットしたこと。これ以外にも多くのアーティストにカバーされている。
「僕らの曲がカバーされることは、ありがたいなと思います。実はゴダイゴを始めるとき、プロデューサーと『スタンダードになる曲を作ろう』と話していて、そのときのゴダイゴのイメージが『自分たちが30年ぐらい先の未来からやってきた』というものでした。
『モンキー・マジック』のリリースは'78年だけど、もっと後の世代のグループが演奏している感じです。ずっと未来の世界から来て作った曲ですから、今カバーされると当然スタンダードになるわけで、今の時代でも共感してもらえる。そういう意味では、僕たちの思ったとおりになったな、という感じですね」(ミッキー)
「EXILEのファンは、『銀河鉄道999』がゴダイゴの曲だと知らずに聴いているんです。以前ある音楽番組にEXILEと一緒に出演したときに、ゴダイゴだけが『銀河鉄道999』を歌ったんです。
番組が終わってから、テレビ局の廊下で女の子2人が『なんでゴダイゴがEXILEの曲をやるんだろう』って話しているのを聞いて、えっ!? とびっくりしました(笑)。 ゴダイゴの曲は流行りに合わせて作ったものじゃない、いい曲ばかりなんです。いい曲は長生きするもの。だから、いつの時代でも旬な曲として聴けるんですよ」(トミー)
20~30代がゴダイゴの曲を知り、多くの人がリスペクトするようになった。そして最近は親子2代のファンが応援してくれているという。
「世代を超えて支持されるのは、感動的ですよね。まさに、ディズニーと一緒! 昔、『ゴダイゴがディズニーみたいな存在になれたら最高だな』という話をしていたことがありましたけど、それが現実になった感じですよね。
ゴダイゴは今、'70年代に曲がヒットしたときに小学生だったファンたちが支えてくれている。そのときの僕らは20代後半だったんで、自分よりも10~15歳離れている人たちが中心なんですよ。どこの会場も満員のお客さんで、毎回、最高に幸せな気分でライブをやらせてもらっています」(タケカワ)
今回のツアーポスターには《結成から50年、ゴダイゴの旅(ジャーニー)は終わらない》と書かれている。これからゴダイゴは、どのようなジャーニーを続けていくのだろうか。
そのときに一番いいことをやるだけ
「僕は目標を持たないんです。そのとき、そのときに一番いいことをやるだけ、そして世界レベルの音楽をやりたいだけ。ずっとそうやってきましたから、これからも変わらないと思います。しかも年々、音楽をやることがさらに楽しくなってきていますね」(タケカワ)

「正直、スーッと50周年を過ごしていこうと考えていました。でもたくさんの人たちが50周年のことを言ってくださるので、これじゃいけないなと。50年やってきたバンドが今後、どのようなメッセージを発信していくか、今まさに真剣に考えています」(ミッキー)
「傲慢なことを言いますね(笑)。ゴダイゴが50年続けられたのは、音楽バンドとして素晴らしいグループだったから! メンバーのみんなが素晴らしかったんだよ」(スティーヴ)
メンバーの誰しもが現状に満足せずに、常に先を見据えて活動をしている。それはライブをしている姿からも強く感じられた。そしてゴダイゴは、60年、70年と“999号”のように“音楽の旅”を続けていくに違いない。
取材・文/樋口 淳
ゴダイゴ●1976年デビュー。'80年、ネパールのカトマンズ王立競技場で野外コンサートを開催。さらに同年、ロックグループとして初めて中国・天津でコンサートを開く。'85年に活動を休止したが、'99年に期間限定の再結成を果たし、2006年にデビュー30周年を迎え、本格的な活動を再開する。現在、結成50周年を記念して特別コンサート『ゴダイゴ結成50周年 Godiego Live!2025』を開催中。
トミー・スナイダー ドラマー。1952年生まれ。米国マサチューセッツ州出身。
7歳からドラムを始め、9歳からジャムセッションに参加。1977年に、ミッキーとスティーヴの誘いで来日、ゴダイゴに参加する。当時からゴダイゴの活動と並行してボーカリストとしても活動。
タケカワユキヒデ ボーカリスト。1952年生まれ。埼玉県浦和市出身。1975年、東京外国語大学在学中にシンガー・ソングライターとしてデビュー。「ミッキー吉野グループ」がサポートしたことを契機に、ミッキー吉野からリード・ボーカルとして誘われ、ゴダイゴを結成。
吉澤洋治 ギタリスト、ベーシスト。1957年生まれ。東京都出身。米国ミドルベリー大学在学中からギタリストとして現地のジャズクラブで活躍。1979年に帰国後ジャズギタリストとして注目を浴びる。1980年、ベーシストとしてゴダイゴに参加。オーストラリア、香港など海外でも活動。
スティーヴ・フォックス ベーシスト。1953年生まれ。宮城県仙台市出身。1969年にミッキー吉野と意気投合し、以降活動を共にする。1980年にゴダイゴを一度脱退するも、1999年に復帰。現在は牧師や英語講師を務めつつ、ゴダイゴの活動に参加している。
ミッキー吉野 キーボーディスト。1951年生まれ。神奈川県横浜市出身。1968年、グループ・サウンズ「ザ・ゴールデン・カップス」に加入。脱退後の1971年に渡米し、バークリー音楽大学に留学。卒業後に帰国し、「ミッキー吉野グループ」を結成する。1975年にゴダイゴを結成。