元アナウンサーで気象予報士の財目かおりさん

 元アナウンサーでナレーター・気象予報士の財目かおりさん。50歳で卵巣がんと診断され、2度の手術と抗がん剤治療を経て今、寛解を迎えている。治療中に感じた絶望、そして病を得て気づいた本当に大切なものとは――。話を聞いた。

便秘と下痢が交互に続く日々

「倦怠感やお腹の痛み、頻尿、発熱と予兆はいろいろあったけど、日々の不調だとやり過ごしていたんです。まさかその一つひとつがつながっていたとは思わなくて。大事なメッセージを見過ごしてしまっていた。でも、そういう方は多いと思う。不調がいくつか重なっていたら、早く病院に行ってほしい」

 元アナウンサーで気象予報士の財目かおりさん(55)は2度の卵巣がんの手術を経験。そのリアルな実体験を、YouTubeチャンネル「卵巣がん ざいちゃん」で発信している。

 財目さんが体調に異変を感じ始めたのは2019年の秋。2人の子どもの私立大学進学を控え、備えが必要と、仕事に邁進していた時期だった。

「猛烈に働いていて、スケジュールはもうパンパン。体重も減り、11号から7号になりました。ただスポーツやエステを始めたころでもあって、その効果が出たと思っていたんです。ずっとぽっちゃり人生を歩んできたので、痩せてラッキー、なんて感じでした」

 ひどい便秘も続いていた。当時は出張が多く、出先では便秘に、帰宅し気が緩むと今度は下痢の繰り返し。これも実は卵巣がんのサインの一つ。

「卵巣の腫瘍が大腸を圧迫していたようです。でもそんな知識はなかったから、便秘の治し方を検索して、一生懸命マッサージしていました。それはすごく危険な行為で、一歩間違えば腫瘍を破裂させていたかもしれなくて。次第に便に粘膜が絡みつくようになってきて、これはおかしいと病院通いを始めました」

 近所の内科を皮切りに、クリニックの胃腸内科、総合病院の内科と転々とする。最終的にCTで卵巣に問題があると判明し、婦人科に回された。

 婦人科の医師に、ステージ4(その後の生検でステージ3Aと確定)の卵巣がんと告げられる。病院巡りを始めてから数か月がたっていた。

「“進行している状態です”と言われたけれど、受け止められず、途中でなぜか笑い出してしまって。その瞬間、先生と看護師さんがハッと私を見て固まったんです。2人のびっくりした顔を見て、大変なことになっているんだって気づいたというか。涙が自然とあふれてきました」

“もう死ぬかも”って考えたとき頭に浮かんだのは……

 告知後、体調はみるみる悪化していった。命の期限を突きつけられた財目さん、千葉の自宅から富山の実家に向かい車を走らせている。

「“もう死ぬかも”って考えたとき、まず浮かんだのが母の手料理でした。最後にもう一度だけ、お母さんのごはんが食べたいと思って……」

 時は2020年5月のコロナ禍で、緊急事態宣言下だ。

 県外ナンバーの車が止まっているだけで石を投げられることもあったころの話である。

「両親は帰ってこいと言ってくれたけど、そう言うのもすごく勇気がいったと思います。GWだったけど、友達もみんな実家に帰れない状態でした。でも私にはもう時間がない、そんなことは言っていられないと思いました。富山に戻ってからは、母に大根の葉のよごしを作ってもらいました。小さいころから食べて育った、母の味でした」

北陸放送アナウンサー時代の財目かおりさん。テレビ・ラジオの兼営局で、報道からスポーツ、性教育番組まで幅広く担当

 手術は翌月の6月1日。胸から恥骨まで開腹し、子宮を全摘し、さらに両側付属器に直腸合併切除、大網切除、がんが転移している可能性があるリンパ節を切除し、人工肛門を設置している。8~9時間にわたる大手術だった。

 コロナ禍ゆえ、家族の立ち会いや面会は許されない。ベッド数も限られ、術後2週間で早々に退院を強いられた。

 しかし帰宅後、高熱が続き、退院1週間で再度入院することに。病院で検査を繰り返しても、なかなか発熱の原因はわからない。

「最終的にCT画像に何か映ったのが見つかって、再発の可能性を告げられました。詳しいことは、お腹を切ってみないとわからないと言います。子宮全摘から1か月で再手術になるなんて思ってもなくて。大泣きしましたね」

 いざ開腹すると、「がんを摘出すると内臓がなくなってしまうほど病変が広がっていて、手がつけられずそのまま閉じた」と聞いた。財目さんのショックは大きい。

「この時が人生で一番の底でした。がんの告知をされたとき、人生のどん底だと思ったけれど、もっと底があった。もう頑張れない……と」

 気力は消えうせ、食べることも、しゃべることもできず、ベッドでただ時をやり過ごした。みるみる身体は痩せ細り、同時に体力は落ちていく。当時を「死を覚悟しました。命が消えかけているという危機感がありました」と振り返る。

 30種類あまりあるとされる卵巣がんのうち、財目さんの悪性ブレンナー腫瘍はわずか0・1%ほどの希少がん。医師はどの抗がん剤が効くかわからないと言い、また医師によっても意見が違う。抗がん剤治療に取りかかるも、「いちかばちかのスタート」だった。

生きてて楽しかったと笑いたい

 抗がん剤の副作用では、脱毛と強い倦怠感を味わっている。脱毛は後頭部から始まり、最終的にすべて抜け落ちた。

想定はしていた抗がん剤による脱毛。「家族が笑い飛ばしてくれたから、私も笑って乗り越えられました」と財目かおりさん

「脱毛はまだ想定内でした。倦怠感がひどかった。身体の置き場がないような、表現しようのないつらさです。先生に伝えて抗がん剤を減らすこともできたのに、私は我慢しすぎたみたい。それは失敗でした。今の時代はがん=死ではなく、がんでも働いている人は多い。いかに体力を落とさずいるかが大切なのに、私は耐えなきゃと思って、結果回復に時間がかかってしまった。これから治療する人には、我慢しすぎないでと伝えたい」

 手術の翌年、YouTubeチャンネル「卵巣がん ざいちゃん」を開設。闘病の様子を紹介している。

「抗がん剤の治療中、カメラのフォルダを見ていたら、笑顔がいっぱい残ってて。がんになってから、娘がずっと撮りためてくれていたんです。それを見た時、YouTubeを始めようと決めました」

 告知を経て、術後に、放射線治療の経過まで。財目さんに向けられる視線は温かい。

「娘は“いつ会えなくなるかわからなかったからどんな瞬間も大事だった。禿げてる頭も愛おしくて、ママが嫌だと言ってもカメラを向け続けた”と言っていて。日常の何げない瞬間を残す仕事がしたいと、娘はカメラマンになりました。それはギフトでしたね」

 YouTubeの登録者数は2万人を突破。視聴者には同じ悩みを抱えるがんサバイバーも多い。なかでも忘れられないコメントがあるそう。

「視聴者の方から“一命をとりとめました”という声をいただいて……。私の動画『がんのサイン』を偶然見て、“同じ症状だ”と病気に気づいたそうです。婦人科へ行き、そのまま緊急手術になったと聞きました。人の命に関わることを発信しているんだと、私自身逆に教わりましたね」

 手術から5年がたった今、人工肛門も閉鎖し、がんは無事寛解を迎えている。

「当初は“来年の桜を見られたら”なんて言ってたけれど、5年たったら欲張りになって、“次は還暦を迎えたい。孫の顔が見たい”なんて言い始めています(笑)。大変な日々だったけど、同時に大事なものを受け取りました。病気になる前は、自分の頑張りが家族にとって喜びになると信じてました。だからずっと頑張って生きてきた。

 でもがんになって、何もできなくなっても、家族は生きろと願ってくれた。こんなにも愛されていたんだと気づかされました。今はゆっくり自分の大切なものと向き合いたい。生きてて楽しかったなって最期に笑いたい、そう思っているんです」

ざいめ・かおり 気象予報士。元北陸放送アナウンサー。結婚後、子育てに奮闘しつつ勉強し気象予報士試験に合格。日本気象協会に勤務し各局で気象情報を担当。がんの治療中に『気象予報士かんたん合格ガイド』を執筆し、2022年に技術評論社より出版。YouTubeチャンネル「卵巣がん ざいちゃん」では病気の体験を発信している。


取材・文/小野寺悦子 デザイン/熊谷菜穂美(アトム☆スタジオ)