
大阪・関西万博では当初、「全面禁煙」の方針を掲げていたが、開幕直後に隠れ喫煙が横行するという問題が発生し、6月28日から方針を転換して会場内に喫煙所を設置するようになった。
前編で紹介したように、イベントにおける喫煙コントロールの対策は世界各国共通の課題となっている。
実は研究結果や世界的な状況を踏まえると、大阪・関西万博が最終的に取った喫煙所の設置という施策は、賢明な選択だったといえるかもしれないのだ。
上海万博で成果を上げた喫煙コントロール
そのヒントは、2010年の上海万博にある。喫煙コントロールのために取った対策が、例外的に高い喫煙ルールの遵守率を実現したとして報告されている。中国上海の大学の研究グループが2022年2月に医学誌『タバココントロール』に発表した研究によれば、上海万博では戦略的な対策が実施されていた。
上海万博の喫煙コントロール施策は、屋内(パビリオン、土産物店、レストラン)は完全禁煙として、屋外も原則禁煙としつつ、目立たない場所に限定的な喫煙所を設置したというもの。
それだけではなく、喫煙についての施策を明確に定めていた。たばこの販売やプロモーションは基本的に禁止されたが、例外として3つのパビリオン(キューバ、ジンバブエ、ニカラグア)では認められた。また、喫煙に関する案内や監視を徹底。来場者には方針を認知してもらい、意識調査も実施した。
来場者には入場時にショートメッセージサービス(SMS)を送信し、喫煙可能な場所を明確に伝える工夫もなされていた。
結果として、違反喫煙をしていた来場者はわずか4.5%に抑えられ、来場者の92.5%が施策を支持し、97.1%が満足していたという成果を上げた。
上海での同時期の市街地での喫煙ルールの遵守率は20%前後ということで、大幅に遵守率を高められることに成功した。さらに、世界的な平均の遵守率が半数程度なのを考えると、圧倒的な効果を実現していたことになる。
「ここでは吸っていい」方針が秩序
この成功事例が示すのは、むやみに「どこでも禁煙」とするよりも、「ここでは吸っていい」という明確な方針を示すほうが、かえって秩序とルールの遵守を促すという点だろう。
研究では、「中国のように喫煙率が高い国でも、大規模イベントのスモークフリーを実現できる」と指摘。有効な対策として、「喫煙者を排除する」のではなく、「喫煙を可視化し制御する」ことを挙げる。これにより、社会全体のモラルを底上げするアプローチが取られていた。

奇しくも、大阪・関西万博では、方針転換して喫煙所を設置したわけだが、研究に基づいて考えれば、喫煙所のコントロールは得策と見なせるといえる。その方針転換の判断は、「後退」ではなく、「戦略的な調整」として位置づけられるのではないだろうか。単純な禁止ではなく、“分煙の設計”こそが秩序を創る鍵となる。
実際、研究によれば、上海万博では、期間中に喫煙所を増やすという対策が取られていた。この研究が明らかにしたのは、全面禁煙を徹底することだけではなく、“逃げ道”としての喫煙所の存在が、むしろモラルを支える構図となっていた。屋外の非喫煙エリアにおける喫煙者の割合は、7月から10月にかけて減少したが、喫煙所の数の増加(37カ所→43カ所)や、喫煙所の日よけやベンチの設置といった施策が影響を与えた可能性があると考察されている。
つまり、喫煙所の設置は単なる“譲歩”ではなく、「人目につかない場所でこっそり吸う」という行動を防ぎ、喫煙を「正規のルート」に誘導することで、結果的に全体のルール遵守率を高める効果を持つ。この心理的効果は、日本の大規模イベントでも応用可能な知見だろう。
万博の場だけではなく応用できる発想に
日本では、2027年3月19日から9月26日にかけて「2027年国際園芸博覧会」が開催される予定だ。大阪・関西万博での喫煙所増設の動きは、次の大規模イベントにとっても、快適な会場運営の参考になるだろう。
こうした取り組みは、万博という特殊な空間にとどまらず、都市部の喫煙コントロールにもヒントとなり得る。
オランダや米国の研究グループは2022年2月に、都市の高密度な環境では非喫煙者がたばこの煙による影響をより強く感じやすいと報告している。
日本の都市部では「一服は喫煙所」でというマナーが浸透しつつあるが、これも喫煙所の整備があってこそ。整備が不十分な場所では「隠れ喫煙」が横行しているという声はよく聞かれる。
上海万博のケースから得られた教訓は、単に「喫煙を禁止する」のではなく、「煙をどう制御するか」という設計思想にあった。誰もが快適に過ごせる空間をどう構築するか。禁煙の理想と人々の現実的な行動とのバランスを、いかにして取るか。そのヒントは、「あらかじめ吸える場所を明示する」というシンプルな方策にあった。喫煙者を排除して隠れたばこというルール違反を招くのではなく、見える喫煙所を整備してそちらに導く。これが、守れるルールづくりの第一歩だった。
<星良孝 ステラ・メディックス代表 獣医師/ジャーナリスト>
Tob Control. 2013;22 Suppl 2(Suppl 2):ii21-6.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23708269/
Tob Prev Cessat. 2022;8:08.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35280520/