結婚前の元妻とのツーショット。誰とでもすぐに友達になれる、明るく開放的な性格に惹かれた

 デビューは森田芳光監督の映画『家族ゲーム』。以降、NHKの大河ドラマをはじめ多くのドラマや映画で活躍する傍ら、2人の娘をシングルファーザーとして育てた宮川一朗太さん。今年5月に、離婚した元妻を看取ったことを打ち明け、大きな反響を呼ぶ。闘病中の元妻を自宅に引き取った心境や経緯を聞いた。

娘たちの親という魂的なつながりはある

 末期がんだった元妻が亡くなって2年。逡巡しながらも元妻を看取った宮川一朗太さん。ただ、今は「長女と一緒に元妻の旅立ちを見届けることができ、ホッとしている」と、当時を振り返る。

 宮川さんが離婚したのは18年前。以後、娘2人が元妻と連絡を取り、年に数回、4人で食事をすることもあったという。それでも「まさか、元妻の看取りをすることになるとは」と複雑な心境を語る。

母と同居していたので、元妻を病院から自宅に引き取るのは抵抗がありました」(宮川さん、以下同)

 それでも最終的に受け入れたのは、娘2人たっての希望があったからだ。離婚したとき、娘たちは中学生の多感な時期。長女は学校には通うものの、自宅では完全なひきこもり。会話のない生活が数年続いた。

ひきこもった背景には、やはり親の離婚があったと思います。心に深い傷を負わせてしまった。その娘たちの願いですから、受け入れない選択肢はありませんでした。夫婦としての絆は切れていても、娘たちの親という魂的なつながりはありますから

「元妻は僕の理解の上をいく人でした」と宮川さん。

 彼女との出会いは、ある撮影現場。映像関係者ではないが、知人に頼まれて撮影の手伝いをしていた。その一生懸命な姿に惹かれて声をかけたのだという。

結婚して一緒に暮らし始めたら、僕とは正反対の性格だとわかりました

 几帳面で人との協調を重視する宮川さんに対して、元妻は思ったことをすぐに口に出す直情タイプ。相手が目上だろうと気にしない。何事にも頓着せず、なくし物があっても「また買えばいい」とすぐに気持ちを切り替える。

いつだったか、車に乗っているときに口論になり、走行中いきなりドアを開けて外に出ようとしたんです。それには本当にびっくりしました

 理解不能な元妻の行動は魅力でもあるが、争いのもとにもなり、離婚の遠因になった。離婚後、元妻は東京を離れ、かねて憧れだった南の土地に移住した。娘から元気に暮らしていると聞き、自分とは違う人生を歩み始めたと実感したという。

「彼女らしい最期だった」

 そんな元妻に乳がんが見つかったのは約7年前のこと。東京で手術を受けるも、数年後に再発。ステージ4と診断され、病院に再入院。宮川さんも何度か見舞いに行った。

結婚前の元妻とのツーショット。誰とでもすぐに友達になれる、明るく開放的な性格に惹かれた

 宮川さん自身は聞いていないが、娘たちには「病院を出たい」と何度も漏らしていたらしい。ある日、娘たちから「ママを病院から自宅に引き取ってほしい」と頼まれた。

 かなり悩んだ結果、「娘たちのために」と受け入れを承諾。宮川さんと同居している長女がベッドや車いす、酸素吸入器を用意し、訪問看護などの手続きを行った。そして予定どおり、病院から元妻を迎え入れた。

 長女から「自分が面倒を見るから」と言われていたので、手を出さずにいたが、引っ越しの当日、買い物に出かける長女に頼まれ、15分ほど元妻を見守ることになった。

 宮川さんが部屋に入ると、元妻がベッドに起き上がっていた。驚いた宮川さんがベッドに寝かせたが、意識が混濁していたのか、ぼんやりとしてひと言も発しなかった。

 こうして迎え入れた初日が終わり、翌日の朝。

ママの様子がおかしい。もうダメかもしれないと、長女が部屋に駆け込んできたのです。結婚して家を出ていた次女と看護師にすぐに連絡しました

 すでに呼吸が浅くなっていて、駆けつけた看護師が「脳が休もうとされています」と臨終が近いことを伝えた。それを聞いた瞬間、ふっと救われた気がしたという。

看護師さんの“休む”という言葉を聞いて、病気に負けるのではない。十分に闘ってきたのだから、これ以上、闘わなくてもいいんだと安堵したのです

 次第に呼吸の間隔が長くなり、スウッと息を大きく吸うと、呼吸が静かに止まった。医師から余命は短いかもと言われつつも、長期戦を覚悟していた宮川さんは、このあっけない最期に「不思議な旅立ちでした」と心境を語る。その一方で「彼女らしい最期だった」とも打ち明ける。

次女が妊娠し、半年後には孫が生まれるという状況で、本人も孫の顔を見たいと言っていたのに……。家に来た翌日に息を引き取るなんて。僕の家だと気づいていたかどうかはわかりませんが、天井を見て病院じゃないことはわかったのでしょう。安心して命の炎を消すことができたのではないでしょうか

 自宅に引き取った日、付き添っていた看護師に元妻が「ありがとう」とつぶやいたと聞いた宮川さんは、自分には何のひと言もなかったと、少し寂しい思いをしたという。病状も悪化していたし、仕方のないことだと諦めていたそうだ。

 しかし、元妻が亡くなってしばらくしたあと、遺品として携帯を受け取った次女から「ママからパパに未送信のLINEが残っていたよ。今から送るね」と連絡があった。そこには「今日は(病院に)来てくれて、ありがとう」とあった。

人生の最期は見届けることができた

 いつ入力したのかはわからない。送信するのを忘れたのか、送信する気力も体力もなかったのか。宮川さんは「元妻からの人生最後の贈り物だと思っています」と微笑む。

家族4人でディズニーランドへ。家族団らんのワンシーンだが、普段は子どもたちの目の前でケンカをすることもあったという

 

何か伝えたいことがあったのかもしれませんが、それは謎です。最後までミステリアスな女性でしたね。結婚生活は全うできなかったけど、人生の最期は見届けることができた。不思議な関係だったと感じています

 まだ話す元気があったころ、「私はもうダメかもしれないから、子どもたちをよろしくね」と言われた。その言葉を遺言だと思い、「約束はしっかり守るぞ」と固く決意した宮川さん。看取りを通じて感じたことがあるという。

「元妻は楽観的な人だったので、胸にしこりがあるとわかってもなかなか病院を受診しなかったり、手術後の抗がん剤治療も受けなかったりしました。副作用がイヤだったのでしょう。

 娘たちも治療をすすめたと思いますが、素直に言うことを聞く人じゃないですからね。娘たちは、もっと早く病院に連れて行けばよかったと悔やんでいるかもしれない。
 僕は家族を後悔させたくない。だから将来、病気になったら、娘たちの意見に従おうと思っています。それが、元妻を看取った教訓ですね

取材・文/佐久間真弓

みやかわ・いちろうた 1966年3月25日生まれ、東京都出身。A型。映画と競馬とクイズと箱根駅伝を愛する俳優。2024年のNHK大河ドラマ『光る君へ』で藤原顕光役を好演。30代半ばから晩年の77歳までを演じた。