
'80年代アイドルを語るとき、豊作だった“花の'82年組”というけれど、'85年デビュー組も錚々たるメンバーがズラリ! デビューしてから40年。網浜直子さんに当時の思い出、今だから話せることなどを語ってもらいました。
ベルトコンベアの前に並んでクッキーを詰めていた
「デビュー40周年と言われて、自分でもびっくり。そんなにたっていたんだ、という感じです」と言うのは、'85年デビュー組アイドルの1人、網浜直子。
歌手に憧れ、中学生のときスターの登竜門として知られる「ミスセブンティーン」コンテストに参加。審査通過を知らされたのは中学卒業後で、すでに洋菓子店に就職し、新生活をスタートしていた。
「まさか自分が選ばれるとは思ってもなくて……。会社の寮に入って、工場で白いほっかむりをして、おばちゃんたちと一緒にベルトコンベアの前に並んでクッキーを詰めていました。将来はケーキ屋さんになるつもりでいたんです」
18万人という過去最多の応募者の中から見事選ばれ、松本典子と共にグランプリを受賞。人生が一変することに。
「典子ちゃんと2人で“どうしよう、どうしよう、どうしよう”って、オロオロしていたのを覚えています(笑)」
もともと歌手志望だったが、当時の習わしもあり、まずはアイドルとして売り出された。松本典子、後藤久美子と3人で雑誌『Seventeen』の表紙を飾っている。
「バレリーナのピンクのフリフリの衣装を着て、ティアラをつけて。もう今見ても恥ずかしいくらい、まったく似合っていなかったです(笑)」
「ミスセブンティーン」コンテストの副賞としてシブがき隊の相手役を務め、'85年に映画デビュー。シブがき隊は人気絶頂期で、自宅にカミソリ入りの手紙が送られてきたこともあったそう。
「といっても、たった1通だけ。典子ちゃんのところにはたくさん届いたらしいけど、私の場合、あまり焼きもちを焼かれなかったんです(笑)」
ショートヘアで日焼けした彼女はボーイッシュで、当時のアイドルとしては異色の存在だった。女性ファンも多く、「アミハマ」と呼ばれ親しまれた。自身、アイドルとしての自覚はまったくなかったという。
「パジャマ姿でラジオ局に行って、ぼさぼさの寝癖のまま“おはようございまーす”って現場に入ったりしてました。でもファンの方には、まぁ、アミハマだからね、なんて感じで受け止められていたようです」
私生活でも破天荒な言動で大人たちを困らせた。今だから話せるこんなエピソードも。
「夜遊びもガンガンしてました。まだ16歳で、寝なくても全然平気だったんです。マネージャーさんにだいぶ怒られましたね。あげくの果てに、おまえは都会にいたらダメだと言われ、強制的に田舎に引っ越しさせられました(笑)」
「絶対に口パクは嫌だ」
映画デビューと同年、『竹下涙話』で歌手デビュー。幼いころからの夢を叶えている。

「歌にはこだわりがありました。絶対に口パクは嫌だ、きちんと自分の歌唱を届けたい、と言っていましたね」
思い出深いのが17歳の誕生日。日本青年館で念願のバースデーコンサートを開催した。
「会場は空席が目立ったけれど、それでもうれしかった。あのときのことは忘れられません」
当時はアイドルドラマの全盛期。彼女も『夏・体験物語』、『同級生は13歳』をはじめドラマ出演を重ねている。これには苦い思い出があるようだ。
「なにせまったくの素人で、演技なんてできません。ドラマの撮影現場というと“網浜!”と怒鳴られていた思い出ばかり。女優の仕事にはしばらくの間、苦手意識がありました」
女優としての転機は29歳のとき。『白衣のふたり』で昼ドラの主演を務めた。
「このとき初めて意地悪で恐ろしい役をやったんです。自分でこうしてみたいと演技プランを考えて、そこで女優の楽しさに目覚めたというか。現場に行くのが楽しいと思えた最初の作品でした」
今も大の仲良し、というのが飯島直子。'92年に音楽ユニット「W―NAO」を結成し、人気を集めた。互いにサバサバした性格で、当初から気が合ったと話す。
「2人で学園祭にたくさん出演したり、楽しい記憶しかないですね。あれから30年以上、彼女とはずっと途切れることなく続いています」
29歳で結婚すると、家庭を優先に、第一線から退いている。実はこれは当初のもくろみとは違っていた、と明かす。
「デビュー当初から、20歳には結婚してとっとと引退しよう、芸能活動は5年くらいにしようと決めていました。山口百恵さんみたいにバーンとヒットを飛ばし、素敵な人を見つけて、マイクを置いて引退する……、そんなイメージでいたんです。けれど私は大きなヒットもなければ、20歳で結婚もできず、思いがけずダラダラ芸能界に居続けてしまいました(笑)」
32歳のとき長男を、翌年次男を授かった。2児の母となり、子育てに熱中する日々だったと振り返る。
「子どもができると、もう可愛すぎて、誰か人に預けるなんて考えられなくなってしまって。2人とも柔道をしていたので、週5日の稽古の送り迎えから、食事の管理や試合前の調整まで、ずっとかかりきりで20年間やってきました」
インスタグラムでは、2人の息子たちとのスリーショットを公開。「イケメン!」と話題を呼んだ。息子たちも立派に成人した今、「家にばかりいないで、自分の好きなことやんなよって息子たちに言われるんです」と笑う。そんな中、'85年組の仲間と再会、芸能界本格復帰となった。
「子どもたちも大人になり、私は私の人生をちゃんと切り開いていかなければいけない。そういう意味でもちょうどいいタイミングでした。ライブはすごく久しぶりなので、まずそれを成功させるのが目の前の目標です。その先に何が見えてくるか。私自身、今楽しみにしているところです」
取材・文/小野寺悦子
『40th Anniversary LIVE!!! ID85』開催 '85年デビュー組の芳本、網浜、松本の3人が“あのころ”に戻ってステージに。10月9日、10日、東京の『座・高円寺2』にて。詳細はTEL:03-4500-0753(10時~19時)