
終戦から80年を迎える今年。戦後日本の歩みとともに、一貫して“慰霊”と向き合ってきた皇室の方々。時代が移りゆく中でも戦没者への祈りを絶やさないお姿は、今も多くの国民の心を打つ。そんな現在の皇室ファミリーの慰霊の歩みを、写真でたどる。
初めてご出席された全国戦没者追悼式

1989年、同年に即位された上皇ご夫妻(当時の天皇、皇后両陛下)が全国戦没者追悼式に初めてご出席。ご自身も戦争を経験された上皇さまのお言葉には、戦争の記憶を風化させないというメッセージが込められていた。

2019年、天皇、皇后両陛下が全国戦没者追悼式に初めてご出席。「歴史を深く胸に刻み、平和への願いを新たにいたします」と話され、上皇さまが述べてこられた「深い反省」という言葉も引き継がれた。
上皇、上皇后両陛下 平和への願い
平和への強い願いと共に、国内外の慰霊の旅を続けてきたご夫妻。深く頭を垂れるその姿は、人々の記憶に強く刻まれている。全国戦没者追悼式には、天皇に即位されて以降30年、毎年欠かさずに出席された。
1995年 広島

戦後50年慰霊の旅で訪れた、広島・平和記念公園の原爆死没者慰霊碑にて。
1995年 長崎

長崎・恵の丘長崎原爆ホームで入寮者に声をかける美智子さま。
2005年 サイパン

日本兵や民間人が「天皇万歳」と叫びながら自決した“バンザイクリフ”に足を運び、青い海へ向かって黙礼された。上皇さまは「あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり」と、断崖に立ったときの気持ちを詠まれた。
2015年 ペリリュー島

戦後70年の節目に、激しい戦いが繰り広げられたペリリュー島をご訪問。「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と述べられた。
こんな事件も……ひめゆりの塔事件

1975年7月17日、ひめゆりの塔にて、皇室として戦後初の沖縄県訪問を行った上皇ご夫妻(当時の皇太子ご夫妻)の足元に火炎瓶が投げられるテロ事件が発生。ご夫妻に大きなけがはなかった。
天皇、皇后両陛下 戦後80年の慰霊の旅
上皇ご夫妻から慰霊の心を受け継がれた天皇、皇后両陛下は、今年、戦後80年慰霊の旅へ。各地で人々と交流され、9月には長崎へのご訪問も予定されている。
4月 硫黄島

太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われた、小笠原諸島の硫黄島をご訪問。守備隊が最後の拠点として戦った壕の上に建てられた慰霊碑などを訪ねられた。
6月 広島

平和記念公園を訪れた両陛下は、原爆死没者慰霊碑にご供花。被爆遺構展示館と広島平和記念資料館では、被爆者らと懇談された。
6月 沖縄

沖縄戦で激戦地となった摩文仁の丘にある国立沖縄戦没者墓苑や、沖縄県平和祈念資料館などを視察された。愛子さまは初めての沖縄ご訪問。
7月 モンゴル

戦後に抑留先のモンゴルで亡くなった日本人を追悼するため、ウランバートル市郊外の「日本人死亡者慰霊碑」を訪れ、供花された。涙を拭っているのは、日本遺族会会長の水落敏栄さん。
次世代へつなぐ慰霊の心
戦後80年がたち、戦争を直接知る人が減っていくなかで、記憶の継承が課題となっている昨今。平和をどう次世代に手渡すのか、皇室ファミリーのお姿が、国民に静かに問いかけている。
2013年12月

ご両親とともに、沖縄・平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」を視察された悠仁さま。
2015年9月

鳥取県境港市にある、旧日本軍の徴用船「玉栄丸」爆発事故の慰霊碑に供花された佳子さま。初めての慰霊のご公務だった。
2023年5月

佳子さまが、身元不明の戦没者を慰霊する千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式に初めて参列された。
2025年6月

米軍の攻撃で約1500人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑「小桜の塔」に、ご両親と供花された愛子さま。
続く沖縄の豆記者との交流
沖縄の本土復帰前の昭和37年に、沖縄と本土の小中学生の交流を目的として始まり、上皇ご夫妻も天皇、皇后両陛下も交流されてきた「豆記者」。次世代に戦争の記憶を継承し、平和の尊さを伝える役割も担っている。
1972年 上皇、上皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)

1991年 天皇陛下(当時は皇太子さま)

2004年 天皇陛下(当時は皇太子さま)と愛子さま

2019年 秋篠宮ご夫妻と悠仁さま

写真/JMPA、アフロ、時事通信、産経通信社