
「戦中、戦後の苦難を今後とも語り継ぎ、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います」
硫黄島の懇談で垣間見えたお人柄
終戦から80年を迎えた8月15日、都内で「全国戦没者追悼式」が行われた。式典に臨席された天皇陛下は、参列者とともに戦没者への黙祷を捧げた後、こうお言葉を述べられた。
「追悼式には毎年、両陛下がおそろいで出席されていますが、陛下のお言葉に“語り継ぐ”という表現が盛り込まれたのは初めて。今年は戦没者の慰霊のため、おふたりは国内外のさまざまな場所へ足を運ばれています。
その際に出会った戦争体験者の言葉や歴史を語り継ぐ若い世代の想いに心を動かされ、“語り継ぐ”という言葉を追加されたのかもしれません」(皇室担当記者、以下同)
戦争で多くの国民が犠牲となった地へ赴き、冥福を祈る両陛下の“慰霊の旅”は、4月7日、硫黄島への訪問を皮切りに始まった。
「硫黄島は小笠原諸島に位置する小さな島で、1945年2月に日本軍とアメリカ軍が衝突し、およそ1か月にわたって激しい戦闘が繰り広げられた場所。両陛下は日米両軍の犠牲者の慰霊碑がある『鎮魂の丘』などを訪れ、花を手向けられました」
両陛下の硫黄島訪問に同行した「全国硫黄島島民の会」事務局長で「全国硫黄島島民3世の会」会長の西村怜馬さんは、島内でおふたりと懇談した際のことをこう振り返る。
「私の母方の祖父母が硫黄島出身で、両陛下に“祖母から硫黄島の話をいろいろと聞いています”とお伝えすると、陛下から“ご苦労も多かったのではないですか?”というご質問をいただきました。
ただ、このとき緊張していて、どう答えていいか戸惑ってしまったんです。すると雅子さまが“この島にはお水がないんですよね”と、答えに詰まった私に助け舟を出してくださって……。優しいお人柄が垣間見えましたし、訪問に当たって、事前によく調べられたのだろうと思いました」
西村さんには、この日のことを伝えたい人がいるという。
「戦後80年という節目に両陛下が硫黄島を訪問されたことに加え、自分がその場に立ち会えたことに、言葉が見つからないほどの感動を覚えました。できることなら、この感動を旧島民の方々や、天国に行ってしまった祖父母にも伝えたいです」
沖縄県と広島県を訪問された両陛下
6月4日から5日には、戦争末期に苛烈な地上戦が繰り広げられた沖縄県をご訪問。
「沖縄へは愛子さまもご同行されています。ご一家は大戦中に沖縄での戦闘で亡くなった方々の遺骨を納める『国立沖縄戦没者墓苑』で献花をされたほか、『平和の礎』や『沖縄平和祈念資料館』など沖縄戦に関する施設を視察されました」(前出・皇室担当記者)
平和祈念資料館では、戦争体験者や戦没者の遺族と懇談された。その際のことを「一人ひとり時間をかけてじっくりとお話しされていたことが印象に残っています」と、同館関係者は振り返る。

「お三方は沖縄戦で犠牲になった住民や、爆撃の写真を熱心にご覧になり、“痛ましいですね”という言葉を口々にしていらっしゃいました。戦争体験者や遺族の方々とのご懇談では、お三方とも、とても熱心に質問をされていて。時間どおりにその場をこなすのではなく、沖縄戦の歴史をしっかり受け止めようとするご姿勢が伝わりました」
沖縄訪問から約2週間後の6月19日から20日は、おふたりで広島県へ赴かれた。
「広島には、終戦直前の1945年8月6日に原子爆弾が投下され、その年のうちにおよそ14万人が死亡しています。両陛下は広島市内の平和記念公園を訪れ、原爆で死亡した人々の名簿が収められた慰霊碑に花を手向けられたほか、原爆資料館や被爆者たちが暮らす養護ホームを訪問されました」(前出・皇室担当記者)
原爆資料館では、90代の被爆者3人と、高齢になった被爆者に代わって戦争体験を伝える「伝承者」と懇談された両陛下。伝承者のひとりで、その場に立ち会った大河原さんはこう振り返る。
「私は笠岡貞江さんという方の体験を伝承していて、懇談の場には笠岡さんと一緒に伺いました。笠岡さんの体験談をお話しすると、両陛下は“その後お身体は大丈夫ですか?”と、尋ねられて。両陛下と懇談ができて、笠岡さんは感激していましたし、私自身も“これからも伝え続けなければ”と、決意を新たにすることができました」
モンゴル訪問で起こった“奇跡”
その後に足を運ばれた原爆養護ホーム「矢野おりづる園」では、被爆者である入居者たちともご懇談。「被爆した方々と真摯に向き合おうとするお心に感動した」と話すのは施設長の村上俊章さん。
「両陛下は入居者が話す原爆投下直後の体験談に熱心に耳を傾け、“大変でしたね”と、ねぎらいの言葉をかけていらっしゃいました。懇談の会場を後にされる際、雅子さまは“みなさんにお会いできてよかったです”と、おっしゃったのです。
戦後80年という節目に両陛下がいらっしゃって、入居者の方々は“これは長生きできる”と本当にうれしそうで……。全員が生きる勇気と希望をいただいたように思います」
7月6日から13日にはモンゴルを公式にご訪問。現地ではモンゴル抑留で亡くなった日本人のために建てられた慰霊碑へと足を運ばれた。
「第2次世界大戦の終結後、旧ソ連軍の捕虜となっていた日本人がモンゴルへと送られ、強制労働などの末、約2000人が日本へ帰ることなく亡くなっています。両陛下は慰霊碑に向かい、黙祷を捧げられたほか、抑留者の遺族にねぎらいのお言葉をかけられました」(前出・皇室担当記者)

モンゴル抑留の末に亡くなった父を持つ鈴木富佐江さんは、遺族の代表として慰霊碑前で両陛下をお迎えした。
「両陛下が慰霊碑に到着されたとき、現地は土砂降りでした。その中でおふたりは200段ほどの階段を上り、傘を差しながら慰霊碑の前で追悼をなさいました。すると、直後に雨がやんで……。
雅子さまが傘を側近に渡したかと思うと、陛下に“もう一度お参りをしましょう”と、お声をかけられたようでした。そして、おふたりは慰霊碑まで引き返し、もう一度、丁寧に黙祷をされて……。こんな奇跡があっていいのかと感動いたしました」
両陛下のご訪問は、抑留者や遺族にとって特別なことだと鈴木さんは続ける。
「シベリアに抑留された人は65万人ほどもいるといわれる一方、モンゴル抑留者は1万4000人ほど。比較的に人数が少ないためか、スポットが当たることもなく、政府からはあまり大事にされていないという印象がありました。
そんな中、終戦から80年という節目に両陛下が足を運び、ご参拝くださったことは大変ありがたく、亡くなった方々も感激していると思います」
戦争の歴史を振り返る旅を経て、雅子さまは平和への希求を胸に誓われたのでは─。