
上品で素敵なスーツ、大人のナチュラルメイク、ツヤピカの髪にお肌……。話題のジェンダーレス美容研究家の藤本スバルさんだが、20年間、化粧品メーカーで会社員として勤務していたことも。なかなかユニークな経歴の持ち主でした!
男性として生きることをつらいと感じることはなかった
「女子より女子な美容研究家」がキャッチコピーのジェンダーレス美容研究家、藤本スバルさん。上品なファッションと素顔を生かしたナチュラルメイク、そして軽妙なトークを武器に通販番組で活躍中だ。
藤本さんがプレゼンターを務めた商品が、1日で1億5000万円の売り上げとなったことも! そんな藤本さんだが、美容研究家として独立したのはわずか2年前。「前職ではスーツにネクタイを締めて、会社員として働いていました」とのこと。
いったいどんな人生を歩んできたのか? 謎に包まれた藤本さんの半生に迫る。レディースのスーツを美しく着こなす姿は、たおやかな女性にしか見えないが、藤本さんの性別は男性だ。
「昨今はジェンダー意識が高まっているせいか、番組に出ていても、セクシュアリティーを聞かれたりすることはないですね。でも私は人生の大半を、いわゆる男性の見た目で生きてきたことも隠す気はまったくありません。Instagramに投稿する写真にも、大きく『44歳(男)』と書いていますし(笑)」(藤本さん、以下同)
山口県出身の藤本さんは、子どものころからスカートや淡い色が好きだった。しかし「男の子はズボン」「自分のことは“僕”と言う」など、社会の価値観に触れていくうちに、次第に自分がかわいいと思うものや、美しいものへの興味を抑え込むようになる。
「特に反発もなく、『そういうものなんだ』とすんなり受け入れていましたね。ジェンダーの感覚は一人ひとり違うといいますが、私の場合、男性として生きることをつらいと感じることはなかったんです」
そんな藤本さんが中高生のころに夢中になったのが手話だった。豊川悦司、常盤貴子主演のドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS系)を見て手話に出あい、その世界にのめり込んでいった。
「ハマるととことん、夢中になる性格。手話サークルに通って勉強しました。将来はろう学校の先生になろうと思っていたんです」
東京の大学に進学し、教員免許を取得。しかし、卒業が見えてくるころ、ひそかに抱えていた夢が、藤本さんの頭をよぎる。
「演歌歌手になることも、私の長年の夢でした。子どものころ、私がカラオケで歌うと祖母がすごく喜んでくれたのがきっかけですね。挑戦するなら今しかないと思いました」
夢を叶えるため、大学卒業後は芸能事務所に所属。このときついた芸名が「藤本スバル」だった。各地の健康センターを巡業しながら必死に夢を追いかけるが、芽が出ることはなかった。
「自分の好きなものを追求してもいいんだ」
一時は歌謡グループのメンバーとして活動するも、間もなく解散。29歳で夢半ばにして引退を決断する。
「歌をやめるタイミングで、それまでアルバイトをしていた化粧品会社から正社員にならないかと声をかけていただいたんです。そこから会社員としての生活が始まりました」

会社ではコールセンターや製品ブランドの開発などの業務を担当。スーツにネクタイ姿で、一般的な男性として会社員生活を送っていたという。しかし、30代後半で営業部に異動したことがきっかけで、自身の才能が開花していく。
「化粧品部門の営業責任者として、全国を回ってお客様に商品や美容のことをお伝えする立場になりました。すると、ありがたいことにすごく人気が出たんです。私が講師を務める美容イベントは、半年先まで予約待ち。自社のライブコマースで紹介した商品が、何億円と売れたこともありました」
この時期を境に、スタイルも変化。お客様に覚えてもらえるよう、スーツからカラージャケットへ。少しずつメイクもするようになり、それに合わせて言葉遣いや所作もやわらかくしていった。このイメージチェンジが、顧客の心をさらにつかむ。
「きれい、かわいいと言ってもらえるだけでなく、『スバルさんの使っている化粧品をもっと教えてほしい』『まねしたい』と言ってくださる方が増えました。幼稚園のころに諦めたはずのかわいい服や美しい服を身にまとっても、受け入れてもらえたことがうれしかったですね。
『ありのままで自分の好きなものを追求してもいいんだ』と自信を持ち、そこからどんどん、今のスタイルをつくり上げていきました」
営業に手ごたえを感じた藤本さんは、仕事で培ったトークスキルと美容の知識を生かし、美容研究家へ転身することを決意。43歳で独立する。
しかし、独立直後は顧客もゼロ。漠然と「通販番組に出たい」という目標はあったものの、なんのツテもなく、当時を「正直不安だった」と振り返る。ところが、思いがけない形でチャンスが舞い込んでくる。
「いつも担当してもらっている美容師さんに、『美容研究家として独立したので、今後は通販番組に出てみたいんです』とポロッと言ったら、『お客さんに関係者がいますよ』と、メーカーさんを紹介していただいたんです」
実際に会うとすぐに「藤本さんに紹介してもらいたい商品がある」と、トントン拍子に話が進み、あっという間に出演が決まった。10月に独立し、11月末には通販番組に出演していたという。
「後ろの扉を閉めると前の扉が開くといいますけど、まさにそんな感じで。良いタイミングが重なり、幸運でした」
「藤本くんは肌が汚い」
化粧品会社に20年間勤務していた藤本さんだが、美容に目覚めたそもそものきっかけは、自身の肌トラブルだった。10代から20代にかけて、長い間ニキビに悩まされていたという。会社で先輩から「藤本くんは肌が汚い」と言われたこともあった。

「そのころ、ニキビを治すにはとにかく洗顔という考え方が主流でした。私もゴシゴシ顔を洗っていたのですが、結果的にニキビにいちばん効果があったのが、適度な保湿だったんです。私のように真逆のことをして、かえって肌にダメージを与えている人は少なくないと思います。そういう人に正しいスキンケアの知識を伝えたいと思ったのも、美容研究家に転身した理由です」
ケアを徹底的に見直し、美肌を手に入れた藤本さん。自身が考案する美容法を「スバルメソッド100」と名づけ、音声プラットフォームやイベントなどで伝えている。また、Instagramでは得意の手話を使って美容法を発信し、大きな反響を得た。
「ろう者の方から喜んでいただけてうれしかったですね。手話はすごく魅力的な言語なので、美容情報と一緒に伝えていけたらいいなと思っています」
自分の本当に好きなものを追求したことで、人生がガラリと変わった藤本さん。2024年12月には初のファンミーティングを開催。全国各地からファンが集まった。
「すごく温かい会でした。『スキンケアを諦めていたけど、スバルさんの発信を見て変わることができた』『おしゃれが楽しくなった』など直接伝えていただき、自分がやってきたことには意味があったんだと思うことができました。今年も11月に集まる予定です」
今後の目標は、スバルメソッドをより多くの人に知ってもらうことだ。
「美容は人によって言うことが違いますし、その人のお肌に合う、合わないもあります。私の美容法を、判断材料の一つにしてもらえたら。そして、ジェンダーも含めて、悩みを持つ方の助けになれたらと思っています」
取材・文/中村未来 撮影/矢島泰輔
ふじもと・すばる 1980年生まれ、山口県出身。化粧品メーカーで20年間経験を積んだのち独立。美容研究家としてテレビ通販の商品プレゼンター、商品プロデュース、音声プラットフォーム「Voicy」パーソナリティー、雑誌コメント、特技の手話を交えた美容アドバイスなど多岐にわたり活動。教員免許(国語)取得、化粧品検定特級、薬機法管理者、手話通訳者。