
8月22日、皇居ではアフリカ開発会議のため来日したアフリカ各国の首脳夫妻らを招いたお茶会が開かれた。お茶会には主催の天皇、皇后両陛下に加え、愛子さまも出席し、笑顔で客人をもてなされた。
長崎訪問を予定している愛子さま
「愛子さまは外国の要人らを前に臆することなく、会話を交わされました。成年皇族として本格的に公務を担われるようになって約1年半になります。お出ましの場では初々しさは残りつつも、徐々に安定感が増している印象です。単独での地方公務や被災地へのお見舞い、さまざまな式典への出席など、愛子さまの活動の幅は多岐にわたります」(皇室ジャーナリスト、以下同)
皇族としての存在感が高まる愛子さま。9月には両陛下の長崎県ご訪問に同行されることが決まっている。
「ご一家は12日から13日まで長崎市に滞在され、戦後80年と被爆80年にあたり、戦没者を追悼されます。市内では『平和公園』の爆心地を示す石碑に供花をするほか、被爆者が入居する老人ホーム『恵の丘長崎原爆ホーム』を訪れ、入居者と懇談される予定です。愛子さまは13日にお帰りになりますが、両陛下は佐世保市へご移動。14日に同市で開催されている『国民文化祭』に臨席されます」
9月は、愛子さまがお勤めの日本赤十字社・青少年ボランティア課の繁忙期だという。夏休み中の多くの大学生が日赤主催のボランティア活動に参加するためだ。
そんなご多忙の中、愛子さまの長崎県ご同行が決まった背景について、『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務める、つげのり子さんは「愛子さまの強い意をくんでのことだと思います」と話す。
「愛子さまは学習院女子中等科3年生のとき、修学旅行で広島県へ足を運ばれました。そして、そのことを振り返り、『世界の平和を願って』と題した作文を書かれています。“『平和とは何か』ということを考える原点がここにあった”と綴られた作文からは、原爆の歴史に心を痛めつつ、平和の尊さを実感されたことが伝わりました。
この経験から、もう1つの被爆地である長崎県へは“いつか必ず訪れたい”と思われ、今回それが実現したのではと思います」
愛子さまの来県を待ちわびる声
愛子さまにとって初めての長崎県ご訪問とあって、現地では早くも来県を待ちわびる声が上がっている。
長崎市で生まれた三田村静子さんは3歳のときに爆心地からおよそ5kmの自宅で被爆。闘病生活を続けながらも、紙芝居を通じて自身の被爆体験を伝える活動をしている。

「自分の被爆体験を子どもたちに伝えたいと思い、活動を始めました。今年は戦後80年ということもあって、本当に忙しい日々で……。長崎だけでなく、国内外のさまざまな場所で講話をしました。この節目に両陛下、そして愛子さまがいらっしゃることは、とってもいいことですし、喜ばしいことです。
上皇ご夫妻や両陛下、愛子さまは物語や本がお好きと伺いました。いつか私の紙芝居を見ていただける機会があったら、それ以上にうれしいことはありません」(三田村さん)
長崎を拠点に、証言活動をする被爆者の支援や、高齢となった被爆者の証言を伝承する伝承者の育成などに取り組む公益財団法人「長崎平和推進協会」で専務理事と事務局長を務める中川正仁さんも、ご一家の来県に喜びを語る。
「両陛下のご来県は前々から発表されていたので、心からお待ちしていました。後から愛子さまもお越しになるとの発表があり、大変うれしい思いでした。皇室の方々は毎年、長崎に原爆が投下された8月9日に、お祈りを捧げていらっしゃると聞きます。
被爆80年という節目に、原爆の惨劇に思いを寄せて来県くださることは、私を含む協会関係者一同、大変ありがたく思っています。被爆者とも懇談されるということで、ぜひ元気づけていただきたいです」
希求される“世界平和”
戦時中のお生まれで疎開も経験された上皇ご夫妻とは異なり、両陛下や愛子さまは戦後のお生まれ。戦争の当事者ではなくとも、ご一家がこれほどの歓迎を受けるのは、歴史と真摯に向き合ってこられたからだろう。
「今年2月、陛下はご自身の誕生日に際して開かれた会見で“戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、歴史が伝えられていくことが大切”と述べられました。
そのお言葉のとおり、両陛下は今年、硫黄島や沖縄県、広島県、モンゴルなど戦争で大きな爪痕を残した各地へと足を運ばれています。行く先々で戦争体験者やその遺族の話に真剣な眼差しで耳を傾けられるおふたりからは、次世代へと記憶をつなごうという覚悟がにじみ出ていました」(前出・皇室ジャーナリスト)

両陛下の、平和を心から希求されるご姿勢は愛子さまにも受け継がれている。それを象徴する出来事があったと、前出のつげさんは振り返る。
「今年5月、愛子さまが『大阪・関西万博』を視察された際のことです。立ち寄られたシンガポール館で、自分の夢を書き、来場者とシェアするアクティビティを体験されました。このとき、愛子さまはご自分の願いとして“世界平和”と綴られたのです」
さらに5月、能登半島地震の被災地をお見舞いされた際のことも印象に残っていると、つげさんは続ける。
「現地では、被災地復興のボランティア活動に従事する大学生と懇談されました。愛子さまは“ボランティアを始めたきっかけは何ですか?”と問われ、学生が“被災地の力になりたかったからです”と答えると、“そういう方々がいると世界が平和になりますね”と返答されたのです。
愛子さまは、ごく自然に“世界の平和”という言葉を口にされることがたびたびあります。それは常に平和を求めるご意思が心の中にあるからこそではないでしょうか」
長崎県ご訪問は、日々平和を祈られる愛子さまにとって心から実現を望む、飾り気のない思いなのだろう─。