
「生まれたての姿からは、元気に育つイメージがまったく想像できませんでした。歩くことができるのか、物を持つことができるのか、世界を見ることができるのか、美味しいごはんを食べることができるのか─。
出産前に思い描いていた家族の未来が何一つ叶わないのではないか、という気持ちになって。何も信じたくない、嘘であってほしい、そんな心境でした」
出産直後に突きつけられた試練
そう語るのは、皮膚病『表皮分化疾患』を患う濱口賀久くん(8)の母・結衣さん。
旧病名を道化師様魚鱗癬といい、全身の皮膚が鱗状になって剥がれ落ちる先天性の疾患。生まれてすぐは赤と白のギザギザで皮膚の見た目がピエロが着る服に似ていることからこの病名がつけられた。国内では30万人に1人とされるまれな難病であり、それだけに認知度は低い。結衣さんは、
「病気のことはまったく知りませんでした。ただ出産時、息子は見た目が普通の赤ちゃんとは明らかに違ってた。通常の肌はまったくない状態です。想像してた赤ちゃんとはかけ離れていて。受け入れがたいものがありました」
と振り返る。賀久くんの父・陽平さんは、まず医師に「驚かれると思います」と告げられている。新生児集中治療室NICUで、いくつもの管につながれていた。抱くことはもちろん、触れることもできない状態だ。
「おぎゃあと泣いてもなくて、石のように固まり、ぴくりとも動かない。身体は真っ白で、病名にあるとおり、道化服のような赤い筋が入っています。最初に見たときはやはりびっくりしました。何より妻がショックを受けているだろうと、彼女の精神状態が心配でした」
道化師様魚鱗癬は生まれて数日で死に至ることもあり、たとえ命が助かったとしても、現在の医療では生涯治ることはない。そう医師から説明を受けた陽平さん、当時の心境をこう口にする。
「この病気はものすごく痒く、つらいという。仮に命が助かったところで、この子自身本当に幸せなのだろうか。このつらさが一生続くのなら、いっそ……と、妻の車椅子を押しながら病院の庭で泣いた日のことを覚えています」
感染症と隣り合わせの日々
しかし、このままでは2人ともつぶれてしまう。陽平さんは現実を受け入れようと覚悟を決め、患者会に連絡を取り、息子のために何かできることはないかと動き始める。その姿に救われた、と結衣さん。
「夫は早い段階で物事を受け止め、どうやって前に進んでいくか考え、行動してくれた。息子のことを可愛い可愛いと言ってくれました。もし2人ともあのまま落ち込んでいたら、きっと今にはつながっていなかったと思います」

出産から3か月後、賀久くんの退院許可が下りる。日常生活は苦労が多く、病気との本当の闘いの始まりだった。
道化師様魚鱗癬は皮膚のバリア機能が失われているため感染症にかかりやすく、常に清潔に保つ必要がある。感染症の中でも特に危険なのが、黄色ブドウ球菌感染症である。
「身体の中に入ると血液を通って心臓に菌を運んでしまい、生死に関わることもあります。実際に2歳で感染したときは、2か月入院しました。点滴での治療でしたが、身体への負担が大きく、のたうち回るほどでした」
と結衣さん。朝晩の入浴に、乾燥も禁物だ。ワセリンは手放せず、1日で100g入りチューブを1本使うこともあるという。家事の負担も大きい。ワセリンで服がべたつくため、3種類の洗剤を使い、大人の衣類とは別に洗い上げる。いくら保湿しても絶え間なく皮膚が剥がれ落ち、掃除機をかけてもまた床にたまり─、の繰り返しが続く。
体温調節は難しく、日差しは大敵。この猛暑では外出も厳しく、3分で限界がきてしまう。さらに皮膚に栄養をとられ、食べてもなかなか体重が増えないのも悩みの一つ。幼いころは1日6〜10食、今では成人女性以上の量をとるようになったというが。
「それでも痩せていますね。結構食べているはずなんだけど……」と陽平さん。
ドキュメンタリーで知ってもらう病気のこと
賀久くん家族にとって、第一の関門は幼稚園入園だった。道化師様魚鱗癬児童の受け入れは前例がなく、懸念されたが、無事入園が決定。少しずつ皮膚の調子が落ち着いてきたころでもあった。とはいえ日焼け対策に乾燥対策と、賀久くんはすべきことが多い。結衣さんは元保育士でもあり、
「現場を知るからこそ、先生方への負担の大きさはわかるし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
と話す。だがそれも杞憂で終わる。

「幼稚園入園の段階で園長先生が後々行く小学校の先生方にも連絡を取ってくださって。先を見越して人脈をつないでくださり、とても助けられました。素敵なお友達と保護者の方に恵まれ、本当に強運の子だと思っています」
入園と前後し、CBCがYouTubeで『ピエロと呼ばれた息子』の配信を始めている。賀久くんと家族の奮闘を追ったドキュメンタリーだ。
メディア露出のきっかけに、病気を知ってほしいという思いがあった、と陽平さん。
「ずっと指をさされる毎日でした。病気に対する誤解や偏見があって、うつるんじゃないかと言われたり、さっと人が避けていったり、こんなやけどをさせてひどい親だと言われたこともあります。この先学校でいじめや嫌がらせにあうのではないか、という心配もありました」
動画は大きな反響を呼び、これまで計151本が配信され、1.8億回以上の再生を記録するまでに。
メディアの効果は絶大だった。見知らぬ人から「賀久くんだ!」と声をかけられ、すっかり人気者になった賀久くん。何より彼自身の明るく人なつこい人柄も大きいようだ。
「いつもプラス思考で、すごくポジティブだなって感じます」と両親共に口をそろえる。
偏見をなくすための覚悟
SNSにつきものなのが誹謗中傷である。賀久くんもターゲットにされ、心ないコメントの投稿が続いた。対処には時間も労力も資金も必要で、多くは泣き寝入りに終わるが、2人は毅然と立ち向かう。
両親の相談により警察が動き、40代の男が逮捕・起訴、執行猶予付き有罪判決が下された。だがそれでは終わらず、現在4件目の訴訟が進行中、と陽平さん。
「メディアに出るのは、差別や偏見をなくしたいから。ただ息子を前に出すことで起きたリスクへの責任という意味で、親としてきちんと対処していかなければいけないと思っています」

今年5月、「道化師様魚鱗癬」から「表皮分化疾患」に病名が変更になると発表された。侮蔑的な表現を改めるとの意向だが、
「働きかけてくれた方々には感謝しています。ただ名前が変わっても日常は何も変わらず、むしろまた新しく一から病名の認知を目指すことになる。複雑な気持ちです」
と陽平さんは言う。
賀久くんは現在小学校3年生で、この先、中学、高校と進学し、やがて社会に巣立つときが来る。病気は見た目のインパクトが大きく、闘いは生涯続く。親として、これからの未来に望むものとは?
「みんながみんなを尊重し合う、受け入れる世の中になるのが理想。みなさんに優しく受け入れてもらっているように、息子自身もみんなに優しくあってほしい。みんなが支え合っていける世の中に」
と陽平さん。結衣さんも気持ちは同じと話す。
「息子のために今私たちができることは何か。一つひとつ小さなことをするくらいしかできないけれど、一番は生きやすい世の中であってほしい。そう願うばかりです」
取材・文/小野寺悦子