
「『メイン・テーマ』のオーディションが丸の内東映会館のビルで行われ、学校を休んで最終審査を受けに行きました。特に役者に憧れがあったわけではないけれど、松田優作さんが好きで映画はいろいろ見ていたので、映画の世界に少し興味はあって。ちょっとのぞいてみよう、そんな感覚だったと思います」
と話すのは、俳優の野村宏伸。
今年7月27日、東映最後の直営館・丸の内TOEIが閉館を迎え、65年の長い歴史に幕を下ろした。野村が東映会館でオーディションを受けたのは高校3年生のときで、いわば彼にとって出発の地だ。
応募動機は「優勝賞金目当て」
「それがもうかれこれ42年前のこと。最終審査では演技審査があって、あるシーンの台本を渡されて、それを見ながらセリフを言ってくださいと。なにしろ演技なんて初めてだったので、緊張と恥ずかしさでたどたどしくセリフをしゃべった記憶があります」
『メイン・テーマ』は角川春樹事務所製作の青春映画で、監督は当時、新進気鋭の森田芳光氏。主演の薬師丸ひろ子の相手役が公募され、2万3486人がオーディションに挑んでいる。
誰もが明日のスターを夢見て、必死で自己アピールを行う中、野村は「応募動機は優勝賞金目当て」「薬師丸ひろ子のファンというわけではない」「俳優に興味はない」と発言し、森田監督はじめ審査員たちを驚かせた。
「僕としては、聞かれたことに正直に答えただけ。オーディション自体、妹が応募したものでした。だから周りとの温度差はあったと思います。今考えると、変にガツガツしてないところが逆に面白かったのかもしれません」

並み居るライバルたちを差し置き、見事優勝をつかむ。結果発表では、「セリフはいちばん下手だった。でも何か光るものがある」と評されている。早速、製作発表が行われ、会場となったホテルには多数のマスコミが駆けつけた。大きな注目を集めるも、
「自分の中ではそれがどれだけすごいことなのか、当時はあまりわかってなくて。あれよあれよという間に話がどんどん進んでいって、ちょっと不安もありました」
と振り返る。しかし、戸惑っている時間はない。演技経験もないまま、準主役として現場に立った。
「撮影の期間中は、森田監督がマンツーマンで指導をしてくれました。ああしろこうしろというやり方ではなく、森田監督が一度僕の役をやってみせてくれて、それをまねしながら形で覚えるやり方です。指導というより、とにかくのびのび自由にやってくれと見守ってくれた感じ。森田組のみなさんも温かくて。それもよかったのかもしれません」
アイドル扱いに葛藤も
カメラの裏側にいる大勢のスタッフに驚き、その熱と活気に魅せられた。映画がまだフィルムだった時代のことだ。
「フィルムは貴重だから何回も何回もテストを重ね、それでようやく本番に入る。1日かけてワンシーンを撮るようなこともありました。今は2週間で全部撮り切ったりするけれど、当時は3か月で1本じっくり撮るようなぜいたくな作り方をしていた。映画ってすごいなって思いましたね。監督以下スタッフ一丸となり一つの作品を作り上げていて、役者というより、技術や照明さんなど、裏方に魅力を感じるようになりました」
1984年夏、『メイン・テーマ』は公開を迎え、配給収入18億5000万円突破の大ヒットを記録。野村は第8回日本アカデミー賞新人俳優賞に輝いた。大型新人の誕生だ。
“角川三人娘”といわれた薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の男性版として売り出され、歌手デビューも果たした。アイドル雑誌の表紙を飾り、アイドル的人気を博していく。女性たちから黄色い声を浴びるも、それは本意ではなかったようだ。

「僕の中ではアイドルだとは思ってなかった。どこかそのへんは冷めていましたね。昔からそうで、デビュー前もほかのクラスの子が見に来たり、校門のところで隣の女子高生によく待ち伏せされたりもしたけれど、それが嫌で、裏からこっそり帰っていました」
アイドル扱いに不満は募り、役者という仕事にもそこまでの熱はない。将来を模索し、大学受験をするも、不合格。浪人が決まる。
そんな中、映画『キャバレー』の主演に決定。監督は事務所の社長だった角川春樹で、監督直々のご指名だ。
「ちょうど20歳のときの作品でした。これから先どうしようかいろいろ悩んでたけど、主演の自分が浮ついていたらやっぱりダメだと思って。撮影前に角川さんにお会いして、これから役者としてやっていこうと思うのでお願いします、と伝えました」
『キャバレー』は角川春樹事務所創立10周年記念映画として鳴り物入りで製作された作品で、セットの中にキャバレーを丸ごと造り、さらに各地にロケに出向くぜいたくな作り。一方、野村にとって映画は2作目で、大作の主演は荷が重い。何より役者としては未熟で、経験値も技量もない。
「役者としてやっていこうと決めたものの、いざ撮影に入るとできない部分がかなりあって。角川監督は森田監督と正反対のタイプ。本当にそれでやる気あるのか! なんて、もうボロボロに言われました。同じシーンを何回やってもダメで、結局もう今日は終わり、という日もありました」
撮影期間は3か月間。夜も眠れなければ、食事も喉を通らず、試練の日々が続いた。
「どんどん追い込まれ、痩せていきました。撮影所に行くのが怖くて、ちょっとノイローゼっぽくなっていたと思う。たぶん今の子だったら逃げ出すでしょうね。それ以前にパワハラと言われてしまうかも(笑)。でもそこで鍛えられた。今となっては貴重な体験ができたと思っています」
『びんびんシリーズ』秘話
『キャバレー』公開の翌年、『ラジオびんびん物語』(フジテレビ系)で初のドラマ出演を果たす。主演は田原俊彦で、野村は準主演に抜擢された。月9枠の注目ドラマだ。
「でも映画のすごさを知ってしまったから、テレビには抵抗があって。とりあえず1回やってみて、もしダメだったら役者をやめて、サラリーマンになろうかなと考えていました。まだ22歳でした」
映画とドラマの現場はまったく違った。まず撮影のスピード感が違う。ワンカットずつ1つのカメラで撮影していく映画と異なり、テレビは3~4台のカメラを前に、ワンシーンをすべて通して演じていく。
「テストを1回するともう本番でした。まずここでしゃべり、次にここで立ち止まり、次にここに来て料理をしながらセリフをしゃべって、と。そんなテンポの速さについていけなくて、“そんなのできないよ、ちょっと待ってよ!”って、思わず逆ギレしちゃいましたね」

現場は静まり、凍りつく。そこには主演の田原もいた。
「“そんなこと言うやついないよ”って、トシさんに言われました。こいつ正直だなって思われたのか、僕のそういうところが面白かったみたいです。すごく可愛がってもらって、それで徳川と榎本のコンビが生まれた。トシさんとは公私の境はなくて、ずっとあんな関係でした」
ドラマは大ヒット。『教師びんびん物語』『教師びんびん物語2』とシリーズ化され、スペシャル版もたびたび制作された。びんびんシリーズの最高視聴率は31・0%で、今となっては考えられない数字だ。映画が低迷し、テレビが活気を呈してきたころでもあった。
びんびんシリーズの人気の要因は、なんといっても田原演じる徳川と野村演じる榎本の絶妙なコンビによるものだろう。熱血漢でリーダー格の徳川に対し、後輩の榎本はどこか気弱で頼りないキャラクター。実際の野村自身とはかけ離れた印象だ。
「複雑な心境でやってました。自分はこんなんじゃないけどな、やりたくないよって心の中で思ったこともありました。まだ若かったしね。それに1つヒットすると、やっぱり似たような役ばかりオファーされてしまう。コマーシャルに出ると、イメージを壊すような役もできなくなって。ちょっと開き直りでやってた感じだったと思います」
役者としての転機は、'99年の舞台『太陽と月に背いて』。当時33歳で、初舞台にして初主演を務めた。
「役者を続けていくためには、やっぱり芝居をもう1回改めて勉強しようと思って、それなら舞台だと考えました。舞台はチームワークで作るのが魅力。一度始まったら最後まで演出家でも止められない。ライブの良さ、演劇の面白さを感じました」
映画に始まり、テレビ、舞台と活躍の場を広げ、役の幅も広がった。役の大小に限らず、バイプレイヤー的役割もこなすようになる。
シェフと役者の二足のわらじ
『メイン・テーマ』の鮮烈デビューから40年余りがたち、今年5月の誕生日で還暦を迎えた。ここにきて心境の変化があったと話す。
「最近、何のために自分はこの世界にいるんだろうと考えるようになって。結婚して子どもができたりすると生活のこともあって、役者だけではダメな時期もあったし、不本意な仕事をしたこともあります。でも今は正直になれているかもしれない。自分で個人事務所をやっているから自由さがあって、仕事も全部自分で選択できる。だから飲食店もできたんでしょうね」
今年2月、高田馬場「家庭料理 ひさご」の共同経営者兼シェフに。ランチ営業をスタートし、自ら厨房に立ち腕を振るっている。
「見たことのない世界を見てみたいという気持ちがあって。ちょっとした憧れもあり、新たにこういう世界に入ったんだけど……。楽しいですね。結構向いてるかも(笑)。ただ体力勝負です。火力がめちゃくちゃ強いから、やけども多いし。何しろこの夏は猛暑で本当に大変です」

名物は野村特製「四日市トンテキ」。評判は上々で、リピーターも増えた。野村のファンが駆けつけることも多いが、自ら料理を提供し、言葉を交わし、一緒に写真を撮ってと大サービスだ。
「店に来られたみなさん“本当にいるんだ!”ってびっくりされます(笑)。みんな喜んでくれますね」
さらに、ライブ出演も決定。9月19日に横浜のライブハウス「THE CLUB SENSATION」で、約40年ぶりにステージで生歌を披露する。
「ミュージシャンの有待雅彦さんに誘われて、久しぶりに歌うことになりました。でも歌詞ってなかなか覚えられないんですよね(笑)。ストーリーが流れていないから、そこはセリフと違うところかな」
現在は可能な限り厨房に立ち、シェフと役者の二足のわらじを続けているという。今後の展開は? 三足目はあるのだろうか。
「今のところ考えてないけれど、まだわからないですね。なんでも縁だと思うから。今までいろいろ揺れ動いてきましたが、これからも動くかもしれない。なかなか決められないんです。ただこのまま一生ずっとやっていこうとは思ってないし、自然に終わっているかもしれない。
この年になったから、もうこれで落ち着いていこう、という感覚はないかな。好奇心旺盛で、まだまだいろいろな可能性がありそうって思っちゃう。今までやったことのないことをやってみたいし、何か新しいものが見つかったら、また来年あたり始めているかもしれないですね」
取材・文/小野寺悦子 撮影/蒔田 稔、本誌写真班