
「リンパまで広がっていた甲状腺がんを、手術ですべて切除してからは、ホルモン剤を飲みながら経過観察してきました。ここ半年、1年で数値は落ち着いてきています。仕事もフルで復帰していますが、体力は以前より落ちているので、夜はなるべく早く帰宅し、緊急対応は他の先生に任せています」
たまたま見つかった、女性に多いがん

がんの緩和ケア医である廣橋猛先生(48)が、甲状腺がんと診断されて手術したのが約2年前。
「がんがわかったのは、職場で受けた健康診断で、たまたまつけた超音波のオプション検査でのこと。仕事の合間に検査を受けていたため、午後に控える外来診療の前に昼ごはんを食べるか、なんて考え事をしながら、すんなり終わると思っていました」
しかし、そのとき顔見知りの検査技師から発せられたのは「甲状腺にいくつか腫瘍っぽいものが見えます……」という声。
「検査終了後、昼ごはんを食べられずに緩和ケア病棟に戻りました。あまりにも急な出来事で、どのように戻ったのかも覚えていません。ただ、今までの経験から、これは“悪性かもしれない”と」(廣橋先生、以下同)
のちの精密検査で判明したのは初期の甲状腺がん。
「近年、甲状腺がんの発症は増加傾向にあり、年間で1万5000人以上。最近は30~40代にも多く、一般的に高齢になるほど悪性度が高まります。男性よりも女性に多いのが特徴なので“まさか自分が”という驚きと戸惑いが頭を駆け巡りました」
医師から患者側に立場が変わり、初めて見えたこともあったそう。
「まず、患者側の悩みが尽きないこと。例えば医師は、まず患者さんに手術や手術前の診断、合併症の危険性など治療に必要な情報を伝えます。患者さんもそのときは『わかりました』となりますが、あとから疑問が湧いてくるんですね。手術でどれぐらい仕事を休む必要があるのか、お金はいくら用意しておけばいいのかとか……。必要以上に不安に駆られてしまうんです」
実は病院には、そういった患者の悩みを相談できる“がん相談支援センター”が設置されているが、まだまだ知られていない。より周知されるべきと廣橋先生は指摘する。
そのままの病状を大げさでなく伝える

がんになると不安はつきもの。周囲の理解も不可欠だ。
「家族や友人、職場の人には病気のことを伝えて、味方になってもらわないと、逆にきついですよ。やはり体調が悪いときには助けてもらったり、仕事の融通を利かせてもらったり、周りのサポートは必要ですから。病気の伝え方は難しいですが、必要以上に心配されたり、不安を与える言い方は避けて、『大変なときは大変と言うから、いつもどおりよろしくね』という感じがいいでしょうね。周りも、腫れもの扱いしないことが大事です」
廣橋先生の場合、身近な人以外に、手術当日に自身のSNSでも公表した。
「公表に踏み切ったのは、緩和ケア医が、がんを体験することで、誰かの役に立つ発見があるだろうと思ったからです。実際、診断から入院までの2か月の間にも、さまざまな気づきがありました」
結果的に公表したことで、温かいコメントがたくさん届いたが、なかにはアンチコメントもあった。
「怪しい治療をすすめてくる人もいましたし、新型コロナウイルスのワクチンのせいでがんになった、という人もいました。でも私は、そういうコメントは一切無視するという対処法で乗り切っています。一般のがん患者さんが、そういった情報に惑わされないためには、正しい情報を知ることが大事です。その情報源として私は、国立がん研究センターの『がん情報サービス』をおすすめしています」
患者に余計なことを言うべきでないのは、身近な人でも同じだ。
「患者側は、真剣によく考えて治療しているわけですから、周囲の人に変なアドバイスはしてほしくないと思います。周囲に求められるのは、アドバイスではなく聞くこと。助けを求められたときに、それに応える関係性です」
怖いのは当たり前目標達成で不安解消
手術が成功しても、再発の怖さは常につきまとう。
「ちょっとした風邪の症状でも、がんが悪さをしているんじゃないかと考えてしまうし、検査のストレスも大きい。検査日が近づいてくると、緊張感が高まるんです」
しかし、それらの恐怖もあえて否定することはないと続ける。
「患者からすると、がんのことを忘れろと言われても、絶対に忘れることはできません。ならば、がん克服のために少しでもプラスになることをしてほしい。それが自分を支えることになりますから。例えば、食事や運動で小さな目標を立てる。私なら、カルシウムの数値を上げるために、意識してヨーグルトを食べるとか。運動も大事ですから、ウォーキングやスクワットをやるのもいいですね。自分なりの前向きな目標があれば、不安をやわらげることができるでしょう」
そして、治療を続ける中で痛みが出たら、絶対に我慢しないでほしいと念を押す。
「痛みを我慢してもいいことは一つもありません。楽しいこともできなくなりますし、仕事にも集中できなくなります。結果的に治療がうまくいかなくなる可能性もありますから、つらさは我慢せず、緩和ケアを受けてほしいですね。緩和ケアは末期がん患者だけでなく、すべてのがん患者に必要なものなんです」
がんになったことで、漠然としていた「死」が身近になったという廣橋先生。人生が残り1年なら、どうやって生きようかと具体的に思い浮かべるようになったそう。
「私の場合、がんによって仕事のやりがいが、より強まりました。病院でも在宅でも、患者さんたちがよかったと思える過ごし方ができたら、本当にうれしい。同時に世の中にも、がん患者の思いを発信していきたいですね」
お話を伺ったのは廣橋 猛先生
東海大学医学部医学科卒業。亀田総合病院疼痛・緩和ケア科在宅医療部、三井記念病院緩和ケア科に勤務後、'14年から現職の永寿総合病院のがん診療支援・緩和ケアセンター長に。在宅医療にも携わり、病棟と在宅の2拠点で緩和医療を実践する「二刀流」医師。
<取材・文/池田純子>