
8月21日から29日まで、長野県の軽井沢町で静養された上皇ご夫妻。23日には戦後、旧満州から帰国した人たちが切り開いた「大日向開拓地」に足を運ばれた。手を取り合いながらキャベツ畑を散策される仲むつまじいシーンの裏で心無い言葉が飛び交った。
やむことのない過激なバッシング
「軽井沢でのご静養が発表されると“税金を湯水のように使って私的なご旅行ですか”“隠居しても目立ちたいのですね”といった声がネット上で相次ぎ、そのほとんどは、美智子さまに向けられたものだったのです。
21日に、軽井沢駅に到着されたご夫妻を多くの地元住民や観光客が出迎えましたが、美智子さまは批判を気にしてか、どこか浮かないご表情でした」(皇室ジャーナリスト、以下同)
美智子さまは長らく国民の憧れそのものだった。
「1958年に、当時皇太子だった上皇さまとの婚約が発表されると、美智子さまの可憐なお姿や自由恋愛で結ばれたエピソードなどが話題を呼び“ミッチーブーム”が巻き起こりました。その後も、陛下に寄り添い、国民と苦楽を共にしようと努力を絶やさないご姿勢に多くの国民が尊敬の念を寄せていたのですが……」
退位されて以降、状況は一変。今ではお出ましになるたびに非難の声が相次ぎ、過激さは日に日に増している。
「今年5月、上皇さまは『無症候性心筋虚血』で入院されました。その際、美智子さまがお見舞いへ出向かれると“目立とうとしている”“かわいそうな自分をアピールしている”と言いがかりのようなネットのコメントが見られたのです。
お見舞いへ行かなければ、それはそれで非難されるでしょう。今は“何をしても叩かれる”手の打ちようのない状態といえます」
やむことのない過激なバッシングに、『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務める、つげのり子さんは眉をひそめる。
「上皇ご夫妻は令和のお代替わり以降、両陛下より目立つことは避けていらっしゃるようにお見受けします。5月に上皇さまが入院された際は、5日間の入院期間中、美智子さまは1日も欠かすことなく病室に足を運ばれました。退位前と変わらず、上皇さまをお支えするということにすべての力を注いでいらっしゃると拝察いたします」
相思相愛の上皇ご夫妻
美智子さまは常に上皇さまを支えることに強い使命感をお持ちだという。
「東日本大震災から1周年の2012年に追悼式典が開かれ、当時天皇・皇后両陛下だった上皇ご夫妻が出席されました。このとき、美智子さまは追悼式では珍しく和服をお召しになられたのです。これには“上皇さまに何かあったとき、すぐに支えられるように”という意図があったそうです。
というのも当時、上皇さまは冠動脈バイパスの手術を受けられた直後で式典は退院から1週間後のことでした。万が一、上皇さまがバランスを崩したとき、ヒールよりも草履のほうがお支えできるとのお考えで和装を選ばれたのだといいます」(つげさん、以下同)
上皇さまへの細やかな心遣いは私生活でも欠かされることはなかったという。
「上皇さまは皇居内のテニスコートにご友人を招き、練習をされたことがあったそうです。すると、美智子さまは終わるころを見計らって、冷蔵庫で冷やした手作りのキャロットラペを上皇さまとご友人にお出しになったといいます。
そのご友人によると“冷えたキャロットラペは運動後の身体にしみわたり、とてもおいしかった”そう。美智子さまは常に“上皇さまが喜ばれることを”と考え、行動されているのだと思います」
こうした美智子さまの気遣いを上皇さまも感じ取られていたようだ。美智子さまの50年来のご友人で、絵本作家の末盛千枝子さんは、上皇さまの“忘れられないお言葉”があるという。

「美智子さまと初めてお会いしたのは1970年ごろに大磯で開かれた読書会でのことです。私が岩手へ引っ越す前までは、お住まいにも伺い、美智子さまや上皇さまとお話しいたしました。
中でもよく覚えているのは、上皇さまがまだ天皇陛下だったときのお言葉です。“自分にとって一番幸せだったことは美智子と結婚できたこと”と涙ぐみながらおっしゃったのです。そして“自分が大切に思うことを大切にしてくれる人と結婚できた”と続けられて……。とても温かいお言葉に深い感動を覚えました」
「陛下は私がお守りする」美智子さまが語った覚悟
『在宅看護研究センターLLP』で代表を務める村松静子さんは「美智子さまから上皇さまには健康でなるべく長く生きていただきたいという覚悟が伝わった」と振り返る。
「美智子さまとは日本赤十字社主催の式典で初めてお会いして。その翌年、ご招待を受けて、お住まいへ伺いました。毎日お庭を散歩されていることや、つくしの佃煮を作っていることなど、何げない日常について明かしてくださいました。
そして、その年に上皇さまが手術をされた話題になって。美智子さまは“陛下は何があっても私がお守りするの。だから、みなさんの看護を教えてほしいの”とおっしゃったのです」

続けて、村松さんは美智子さまとの会話を思い起こす。
「“手術をした後、今は病院の中で機械を使ったリハビリをしているけれども、私は自然の中で療養したほうがいいと思うのよ、ナイチンゲールもそう言っていますよね”とか“病室ではなるべく窓を開けて、なるべく自然の空気を入れたいと思ったけれども、窓が少ししか開かないの”とお話を続けられて。
上皇さまの体調が少しでもよくなるよう、熱心に勉強されていることがひしひしと伝わりました」
この夏、軽井沢へ赴かれたのも、上皇さまの心身の健康を願われる美智子さまのお計らいかもしれない。
「今年5月、ご夫妻は葉山で静養される予定でしたが上皇さまの体調が悪化し、取りやめに。美智子さまは戦中、葉山御用邸の近くに疎開されていたこともあり、この夏は葉山に赴かれるのではと考えられていました。
しかし、軽井沢はおふたりが出会われた思い出の場所。美智子さまは自分の思い出の場所よりも上皇さまにとって思い出深い軽井沢をと考えられたのかもしれません」(前出・皇室ジャーナリスト)
非難の嵐がやまずとも、美智子さまの伴走の覚悟は揺るがない─。