アグネス・チャン 撮影/渡邊智裕

 ひなげしのような可憐な姿は変わらない─。アジアの有名人であるアグネス・チャンが今年70歳に。孫や親の介護など、多くの人が経験する人生の節目を迎えた今、輝きの秘訣について伺いました。

「みんなで一緒に100歳まで頑張ろう!」という気持ち

 17歳のときに香港から来日し、アイドル歌手としてデビューしたアグネス・チャン。8月に70歳を迎え、著書『70歳、ひなげしはなぜ枯れない』(ワニブックス)を上梓した。

 教育学博士としても知られるアグネスは、3人の息子をスタンフォード大学に入学させ、中国では「先生」として絶大な人気を誇る。

 普段は息子のいるアメリカ、仕事で招聘される中国、そして日本と世界を駆け回っている。いつも元気いっぱいのアグネスだが、70歳を迎えどのような心境なのだろうか。

私の人生はアイドルから脱皮して、勉強したり、子育てをしたり、いろいろなことができてラッキーだったと思います。それでもアイドル時代のファンが今も応援してくださり、ファンからもらう力は本当に計り知れないもの。『みんなで一緒に100歳まで頑張ろう!』という気持ちでいっぱいです

 バースデーライブでは、長年のファンが集い、曲の間奏でのコールも昔のまま続いている。そんな熱いファンをがっかりさせないため、若々しい見た目をキープする努力はしているというアグネス。

この仕事をしていなかったら、70歳になって見た目にこだわることはなかったと思います。私は二重あごになりやすいので、スキマ時間に顔の表情筋を鍛えるエクササイズやマッサージを行うのが日課。たまにエステに行くより、毎日コツコツと顔の筋肉を動かすほうが効果があるんじゃないかと思っています

 体形はほぼ変わらず、50年前の服も着ることができるそう。それでもたるみが出てくるので、愛用しているものがある。

「ボディスーツです。年齢を重ねるとブラやショーツからお肉がはみだして身体の線がデコボコしがち。でもボディスーツを着用すると身体が締まるので、いろんな服に挑戦できるようになりました。

 自然と背筋も伸びて、筋力が弱ってきている私たちの世代には強い味方です。特別なお出かけのときだけでもぜひ着てみてください。すっきりしたボディラインになって、鏡を見たときに気分も上がります

 もうひとつ、アグネスが“若見え”のためにおすすめするのが“カラコン”だ。

カラーコンタクトレンズは若い人だけのものではありません。黒目の部分がビビッドな色のカラコンを入れると目ヂカラがぐんとアップします。度数つきのものを眼科で処方してもらえますよ。

 カラコンにつけまつげで目元はぱっちりです。目の下のクマが気になるときはフレームの太いメガネをかければ大丈夫です」

体質に合ったものを食べることを心がけると疲れない

 52歳のときに乳がんを経験したため、健康にも気を使っている。

アグネス・チャン 撮影/渡邊智裕

「10年ほど前から1日2食になりました。年を重ねるとたくさん食べられなくなり、朝食はとらないのがちょうどいいんです。空腹の時間が長いと細胞の再生が促されるという話もあります。

 食べ物にはすべて効能があるという薬膳の考えを信じ、五色五味を実践して五臓を守っています。どれだけ食べるかより、何を食べるかが大事。自分の体質に合ったものを食べることを心がけると、疲れないんです

 毎日7時間の睡眠をとることもアグネスの元気の秘訣だ。

あまり動かなかった日はよく眠れません。だから掃除をしたり、片づけをしたり、散歩をしたり、エア縄跳びをして軽い疲労をつくるんです

 見た目だけではなく、内面も磨いてきたアグネス。子育てをしながらスタンフォード大学に留学し、教育博士号を取得している努力家だ。今年6月、アグネスの母は100歳で天国へ旅立ったが、アグネスが頑張り屋なのは母の影響も大きい。

「母はいつも『鉄を打つならもとが良いものじゃなきゃダメ。材料が大事』と言っていました。人の力を借りたり、運に任せたりするのではなく、実力が大事だという意味です。

 母は厳しく、あまり褒めない人でした。だから私はいつも『まだまだ実力が足りないのでは』と感じて不安になるんです。その不安が『もっと勉強しなきゃ』という原動力になり、この年まで枯れずに生きることに役立ったのかもしれません」

 母との関係はずっと順風満帆だったわけではない。

「アイドルとして活動する中でカナダ留学を決めたときも、日本での結婚を選んだときも、母は強く反対しました。私が選んだ人生を、いつも心から喜んでくれていたわけではなく、戸惑ったり、モヤモヤしたことも多かったです。それでも、お互いに年を重ねるうちにわかり合える部分も増えていきました」

 母は90代半ばで認知症を患い、次第にアグネスのこともわからなくなっていった。

ある日、母に『今日は香港大学で授業をしてきましたよ』と声をかけると、『大学で教えているの? それはすごいことね』と言ってくれました。それは、人生で初めて、母に真正面から褒められた瞬間だったんです

『明日が必ずある』というのは思い込みだと気づいた

 アグネスは認知症の母に会うため、頻繁に香港に帰っていたという。

8月に行われたバースデーライブのもよう 撮影/渡邊智裕

「私が外国に嫁いだ唯一の子どもだったので、母が生きている間は、そばにいなかった分を取り戻そうと思っていました。母は私が歌う子守歌をすごく喜んでくれ、毎晩ミニコンサートをしていたのがいい思い出です。

 晩年、母とゆっくり向き合えた時間があってよかった。『100歳まで生きてほしい』という私たちきょうだいの願いが達成できて、本当に偉いなと思いました

 中国のしきたりで、埋葬する日は風水で良い日を選ばなければならなかったが、偶然にもアグネスの誕生日になったのだそう。

8月20日でした。本当に母と縁があると思ってうれしかったです

 今は70歳を迎えたことで、あらためて一日一日を大切にすることをかみしめる日々だ。

乳がんを経験してから『明日が必ずある』というのは思い込みだと気づいたんです。だから、今日あったこと、今日出会った人、一つひとつの公演をどれだけ大事にできるか、それが命に対する敬意だと思うようになりました。目の前にいる人に『大好きだよ』と言えるうちに伝えることも大切です

 アグネスといえば、外国人タレントのパイオニアのひとり。そのため、芸能界にいる外国人の仲間からは「Uの会」のボスとしても知られている。日本にいる外国人の文化人、芸能人、スポーツ選手などが集まる会だ。

UはUnity、Universal、Unique、Youの意味が込められています。外国からやって来て、日本で頑張っている人に心のよりどころを提供してあげたかったんです。お花見をしたり食事をしたり、ゆるやかな関係で10年以上続いています。年齢を重ねるほどに、人とのつながりのありがたさを感じるようになりました

 アメリカにいる孫に会いに行くことも大きな楽しみのひとつだ。

自分の頭で考えて選ぶ力が必要

息子夫婦に長女がおり、やっぱり孫はかわいくて、忙しくてもアメリカに行く時間を頑張ってつくっています。お嫁さんは中国系アメリカ人で英語を話すので、孫とのコミュニケーションも英語。いずれは日本語や中国語でも話せるようになるといいですね。

 孫は私のことを大好きでいてくれて、離れているときはビデオチャットで話すこともあるんです。すごく幸せな時間です

'70年代、アイドル全盛期のころのアグネス。かわいすぎる!
 教育者として40年近く大学で教壇に立ってきたアグネス。今も大阪経済大学の客員教授をしており、講演会に呼ばれることも多い。

「教えることは好きで、学生から学ぶことも多いですね。今は先生よりも歌手の仕事のほうが緊張します(笑)」

 多忙な中でも新しいことにも積極的に取り組み、今はAIに夢中だ。

「連載のテーマを考えたり、書いた文章の日本語がおかしいところを指摘してもらったり。今後は翻訳にも活用するつもりです。『今70歳で身長と体重がこれくらいで筋肉をつけるにはどうしたらいい?』『アメリカに3日間行くんだけど予定を組んで』とか、日常のこともAIに尋ねますが、いい答えをくれるんです。

 まだ法整備が整っておらず、慎重に使わないといけない部分はありますが、AIが広がっていく流れは止められません。使わないのではなく、どう使うかを自分の頭で考えて選ぶ力が必要だと思っています

 最近はライブ配信にも力を入れている。

最初はどうすればいいのかわからず試行錯誤でしたが、やってみると配信を通して中国で本の読者がすごく増えました。年齢や環境を言い訳にせず、変化を怖がらずにやってみることがこれからの時代を生きる鍵になるのかもしれません

 マルチな才能を発揮してきたアグネスだが、まだまだ目標があるという。

小説を書きたいんです。短編は書いたことがありますが、長編小説はまだ書いたことがなくて。歴史的背景も少し入れた恋愛小説になると思います。小説の構想を若い人に話したら『韓国ドラマみたい』と言われました(笑)。完成を楽しみにしていてください

「ひなげしは枯れない」。アグネスはこれからもたくさんの花を咲かせていくに違いない。

アグネス・チャン著『70歳、ひなげしはなぜ枯れない-心も体もしなやかでいるための45のヒント』

取材・文/紀和 静 

アグネス・チャン 歌手・エッセイスト・教育学博士。1955年香港生まれ。14歳で香港デビュー、17歳のときに『ひなげしの花』で日本デビューし、トップアイドルに。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学)に留学。'94年に米国スタンフォード大学で教育学博士号(ph.D)を取得。日本ユニセフ協会大使など文化人としても活躍。著書は『スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法』(朝日新聞出版)ほか。