
今夏にシンガポールで行われた世界マスターズ。還暦近い彼女は再び世界の頂点に立った。東京五輪の重圧、そして母親としての罪悪感。車庫の中でハンドルを握り、家の明かりを見つめながら「これでいいのか」と苦しんだことも。4つの金メダルに込められた思いを語ってもらった。
“燃え尽き症候群”のようになっていた
「うれしい半分、ほっとした気持ちが半分です。4種目に出場するというのは、想像していたより何十倍も大変で、大会中、くじけそうにもなりました。ですが、応援してくださる方の存在のおかげで、最後まで泳ぎ切れて本当にうれしく、そして有言実行できてホッとしました」
そう話すのは、59歳で現役アーティスティックスイミング選手の小谷実可子さん。世界マスターズ水泳選手権へ2023年、2025年と2大会連続出場。今年の大会では、エントリーした4種目すべてで金メダルを獲得した。
小谷さんは1988年ソウル五輪でシンクロナイズドスイミングのソロとデュエットで銅メダルを獲得し、夏季オリンピック初の女性旗手を務めた。引退してから30年以上たつが、なぜ現役の世界に戻ったのか。
「2021年に開催された東京オリンピック・パラリンピックのスポーツディレクターを務めたのですが、終えた後、“燃え尽き症候群”のようになっていて。世界マスターズに参戦を決めたのは何か目標を持つことが必要だと思ったからです」(小谷さん、以下同)
“燃え尽き症候群”に至った東京オリンピックの時期は大変だったと振り返る。
「コロナ禍でのオリンピック開催についてはどこにも前例や正解がなく、毎日必死でした。当時、世論も“オリンピック開催反対”の意見もあり、オフィスから出るときにはオリンピックロゴの入ったユニフォームを脱いで帰る必要がある状態でした」
大会が始まると、それぞれのアスリートたちが見せる人生をかけた競技に感動の声が高まり、世論も“オリンピックをよくぞやってくれた”という声に。
「無事に開催ができたことはうれしかったです。ただ、社会貢献のつもりで引き受けたさまざまな役職が、想像以上にハードになっていく中で、時には自分を見失いそうになることも。業務や苦労も多く、意義が見いだせなくなり、オリンピックマークを見たくなくなった瞬間もありました」
鬱々とした気持ちを打破しようとマスターズ参戦を決意。
「2023年の世界マスターズは地元の鹿児島で開催されたんです。皆で盛り上げたいと思ったのも、出場を決めた理由でした」
練習が楽しくて仕方なかった
当初は参加することを楽しもうと考えていた。
「ですが、恩師に“覚悟を持って絶対金メダルを獲りなさい”と一喝されて。その言葉にハッとして“真剣に挑むマスターズ”に変わりました。懸命に取り組んでいると、周りも動き出してくれて、多くの方から応援をしてもらうようにもなりました」

大会に向けての厳しい練習。現役の感覚を取り戻すことは容易ではなかった。
「最初、足をピッと伸ばすだけで、それはもう“足のつり”との戦い(笑)。でもだんだん身体もできてきて、昨日は30分で足がつったのに、今日は1時間持つようになり、次の日は2時間持つようになり。まさか、自分がここまで動けるようになるとは思ってもいませんでした」
九州での大会ではチーム、ソロ、デュエットの3部門で3つの金メダルを獲得。
「この年齢でこんなに成長できたことがうれしくて、これで終わってはもったいないと考え、続けて大会に出ることにしました」
今年行われたシンガポールでの世界マスターズでは、さらなる進化を実感した。
「2年前でも想定以上にできたと思っていましたが、今はさらに何倍も成長できたと。オリンピックの現役時代より難しい技ができるようになっているんです。若い人たちと組んだり、短い時間の中で集中して練習していることが要因かもしれません。何より、練習が楽しくて仕方なかったことが一番ですね」
連続出場した理由は周囲の反応もある。
「応援の声は本当にアスリートに力を与えてくれるんだと肌で感じられました。演技を見て“美しい”と言ってもらえると、みなさんが“美しい”と思うものをお見せできているんだと、大きな励みになりました」
現在、小谷さんは日本オリンピック委員会常務理事、世界オリンピアンズ協会副会長、日本オリンピアンズ協会会長など、10以上の役職を務めている。
「オリンピアン同士のネットワークづくりを進めていくとともに、オリンピアン一人ひとりの価値を高めていけるよう活動しています。それ以外にも30年以上、子どもたちや婦人クラスなどアーティスティックスイミングの普及活動や指導を行っています」
大会に向けた練習だけでなく、日々、さまざまな激務に追われている。そんな中、母としての複雑な思いも胸の奥であった。
80代まで挑戦は続けたい
「出産直後から(出産前から)、国際スポーツ組織の委員や理事をさせていただいたのですが、娘の誕生日に留守にしたり保護者会など行けないことが多くて。罪悪感も絶えずあり、涙をこらえた日もありました」

日々を上手にやりくりするため、小谷さんはオンオフをしっかり分けるようにしている。
「仕事は極力、家に持ち込まないようにしています。夜、車で帰宅して、車庫の中で、メールの処理や頭の切り替えをしてから家に入るようにしています」
車庫という小さな空間が、彼女にとって職業人の顔と母親の顔を切り替える大切な場所になっているのだ。
「スマホのメモ機能や付箋を使って、何かひらめいたり、頭の中で仕事の整理ができたら、その都度、車を道路脇に止めて、メモするなどしています」
身体づくりについて聞くと、意外なエピソードが。
「空腹を紛らわせるのは“柿ピー”でした。車中で柿ピーとバウムクーヘンを食べながら帰宅したり(笑)。東京都ASマスターズルーティン大会の前も3日間、柿ピー生活でした」
しっかりリフレッシュする時間を確保することも意識しているそう。
「時間があれば、サウナやマッサージ、日々のストレッチをしています。ストレッチは首や腰、お尻、アキレス腱など全身やっています」
今後、“現役”をいつまで続けたいと考えているのだろうか。
「80代でアーティスティックスイミングの現役の方もいるんです。次回の世界マスターズから60歳のカテゴリーに上がりますが、その後も70代、そして、80代と挑戦は続けたいし金メダルを獲り続けたいです」
小谷さんは今大会で「改めて自分が幸せだと感じられた」と振り返る。最終日の混合デュエットフリールーティンでは満足のいく演技ができ、結果として81・4750点で80点を超える高得点を記録。締めくくりも最高のものとなった。
「蓄えた知恵や発想を生かせるのが50代であり、人生最も楽しくなると。目標があれば50代からでもまだまだ成長し進化できるということを声を大にして言いたいです。“人生50代から”!!」
59歳で新たな分野に挑戦する姿勢は、「遅すぎる」ことなどないと教えてくれた。
こたに・みかこ 1988年ソウル五輪シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)銅メダリスト、初の女性旗手を務める。五輪・教育関連の数々の要職に就く。世界大会のリポーター、東京2020招致アンバサダーも務め、自身がコーチを務めるクラブでは後進の育成に尽力している。