
「26歳のとき、やっとある程度、自分の気持ちが落ち着いたと実感しました。そのときに初めて、空が青いことに気づいて涙が出たんです」
こう語るのは、11歳でモデルデビューを果たし、タレントとしても才能を開花させたマリエ。現在は、日本とメキシコの2拠点生活をする傍ら、自身のブランド『PASCAL MARIE DESMARAIS』を設立し、デザイナー業も務める。‘00年代後半に絶大な人気を博した彼女だったが、病に苦しんだ過去をもつ――。
摂食障害から子宮筋腫へ
「18歳でタレント活動をスタートさせました。特に多忙な時期は、テレビとラジオを含めて、週に9本のレギュラーをもっていました。ファッション雑誌『ViVi』の専属モデルも担当していたので、朝5時半に現場へ向かい、雑誌の撮影から1日がスタートするんです。お昼にはテレビ局に移動して、深夜までバラエティーの仕事をこなすみたいな……。本当に忙しいというか、身を投じていました」
'07年秋からは、お昼の大人気バラエティー『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のレギュラーも務め、半年の間で、およそ200本の番組に出演したことも。そんな中、17歳のころに発症した『摂食障害』が重篤化してしまう。
国立精神・神経医療研究センターの調査によると、摂食障害とは、いわゆる拒食症・過食症のことを指す。死亡率は約5%で、精神疾患の中では最も高率となっている。
「食べて吐くことが始まったのは、17歳のときでした。それから、本当に完治したと感じたのは30歳になってからなので、14年間治療をしていましたね。タレント業をしていたころは、忙しかったぶん、お金に余裕がありました。だから、ただ食べて吐くのではなく、大量に食べものを買い込んで、食べては吐いてを繰り返す……。妊娠したんじゃないかと思うくらい、お腹が大きくなった状態から、“吐く”という行為を1日に何度も繰り返していました」
重度の摂食障害の影響もあり、会話ができず、トイレにも行けない状態に。最も酷い症状が出ると、体が動かなかったという。通院していたものの、
「1日15錠から30錠ぐらいの処方薬を飲まないと、普通の生活ができない状態だったんです。加えて、22歳のときには『子宮筋腫』だと診断されました。先生には“あなたは妊娠できないでしょう”と言われてしまったんです。しかし、当時は深刻に考えられませんでした。私も無知だったんです……」
ニューヨークの大学を主席で卒業
公益社団法人日本産婦人科医会によると、子宮筋腫は子宮にできる良性の腫瘍のこと。摂食障害に加え、子宮筋腫という病を抱えたことで、
「当時のマネージャーも、私の様子を見ていて“このままじゃまずい”と思ったようでした。話し合いの末、このタイミングで長期の休みをもらうことにしました。実は18歳のころ、タレント活動を第一優先に選んだことをきっかけに一度、大学進学の夢を延期していたんです。そこで、この休みを利用して、ニューヨークにあるパーソンズ美術大学に留学することにしました」

'11年、23歳で大学に進学。校内で24時間没頭するほど、勉強に励んだという。さぞ大変だったのかと思いきや、楽しくて仕方がなかったんだそう。
「自分のしたい勉強ができて、あっという間に資格を取得でき、主席で卒業できました。修了後は、教授の元でアシスタントとして学ぶこともできました」
留学してまもなく、自分が健康になるためには、どうしたらいいのか考えたという。
「そこで、飲んでいる処方薬を少しずつ減らしていく作業を始めました。最初の10錠くらいは、意外と簡単にやめることができたんです。もともと、必要なかったんでしょうね」
ここから、なかなかやめることができない処方薬と7年間闘うことに――。それでも、少しずつ心は落ち着きを取り戻していった。
'16年に日本のラジオ番組の仕事が決まったことで、帰国することに。同時に、ファッションブランドを立ち上げるための構想を練っていく。そのきっかけとなったのは、
「モデルの現場で感じた“表現と責任のギャップ”です。モデルとして多くの商品に触れる中で、どのように作られているか、誰のために作られているか、見えないことが多く、それを自分の価値観で変えたかった。単に服を着せる側ではなく、ものづくりの最初から関わりたかったんです。サステナブルで機能的、かつ美しい商品を、持続可能なやり方で提供したいと考えました」
子宮筋腫が改善、1児の母に
'17年、念願だったブランドを立ち上げることに。ブランドのコンセプトである『サステナブル』を打ち出したのは、意外にも“自分を大事にする”という考えからだ。
「自分の健康を取り戻そうと、無農薬のお野菜を選ぶようになりました。それが結果的に、環境負荷の軽減に繋がり、地球の健康にも貢献していることに気づいたんです。実は、ファッション業界は石油産業に次ぐ、世界第2位の環境汚染産業。かなり深刻な問題なんですが、見えづらいこともあって、当時は環境省も把握していない状況でした」
これをきっかけに環境省のプロジェクトに参加し、アンバサダーを務めるように。
そんな中、プライベートにも変化が――。

「“もう子どもを産むことは困難”と診断された子宮筋腫が改善され、妊娠できる可能性のある状態だと、先生から言ってもらえたんです。さまざまな思いから崩れ落ちました」
'22年に35歳で出産し、現在は1児の母になった。
「過去を振り返ると、今の幸せが不思議だけど、毎日が感動で詰まっています。初めての育児は、子どもが1歳半くらいになるまでが、特に大変だと感じました。出産前後は、絶対に仕事を休まなきゃいけない。でも、私は経営者ということもあり、“休むこと”への不安が絶えなかったんです。当時は資金繰りが厳しく、ときに自分の資産をあてることもありました。育児をしながら仕事にもしっかり向き合えるようになったのは、わりと最近なんです」
今回の取材には、彼女が愛する長女も同席。母の姿を、終始笑顔で見つめていた。マリエには、子育ての中で大切にしていることがある。
「基本的に怒るということはないです。というのも、私はけっこう厳しく育てられたんです。子どもが泣き叫ぶほど怒るのって、結局、恐怖心しか与えない。だったら、子どもと問題解決に向けて、一緒に考えていきたいんです。そして将来は、彼女にも好きなことを学んでほしいと思うし、好きなことを見つけてほしいと思っています」
今を前向きに生きることができているのは、並々ならぬ努力と、自分や周りへの“愛”を慈しむことだった――。