
天皇・皇后両陛下は国民スポーツ大会への臨席のため、9月28日から1泊2日で滋賀県を訪問された。
“運動神経抜群”な雅子さま
「国民スポーツ大会とは、国民へのスポーツ普及を目的に、年に1度開かれる国内最大のスポーツの祭典で、大会の開会式には毎年、両陛下が出席されています。今年は滋賀県で行われ、両陛下は開会式のパフォーマンスやバドミントンを観戦されました」(皇室担当記者)
国民スポーツ大会では毎年、競技を熱心にご覧になる両陛下のお姿が話題を呼ぶ。今回も両陛下は終始にこやかに観戦されたようだ。滋賀県バドミントン協会の藤原健二会長はこう振り返る。
「私のいた場所からは観戦中の両陛下が直接見えなかったのですが、のちほど映像を見たところ、熱心にご覧になっていて、バドミントンに強い関心を持たれていることが伝わり、うれしく思いました」

会場に到着された両陛下をお出迎えした藤原会長。印象深かった場面があるという。
「お見送りの際に両陛下からお声がけをいただきました。まず、陛下から“たくさんの子どもたちが観戦していましたね”とのお言葉があり、雅子さまは私について“もともと教師をされていたのですよね”と、仰っていただきました。
事前に、会われる人のことをよく調べられていることに驚きました。最後に私が“子どもたちが大きくなってもスポーツに関わってくれることを願っています”とお伝えすると、雅子さまは笑みを浮かべ、うなずかれていて。同じ願いをお持ちであることが伝わりました」
雅子さまといえば学業優秀というイメージが強いが、「幼少期から運動神経抜群でスポーツと密接に関わってこられた」と『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務める、つげのり子さんは語る。だからこそ、藤原会長の言葉に共感を示されたのかもしれない。
「雅子さまは中学時代、ご友人とソフトボール部を創設されています。初めは弱小チームでしたが、熱心に練習を重ねた結果、世田谷区の大会で優勝するまでに至ったのです。雅子さまの打順は3番でポジションはサード。
顧問だった先生によると、雅子さまは鋭い打球が飛んできてもひるむことなくキャッチし、ファーストへ矢のような送球をされていたそう。ご結婚後も何度か部のOG会へお越しになったといいます。その時、顧問の先生に“キャッチボールをしませんか?”と提案されたことがあるほど、ソフトボールがお好きだったようです」(つげさん、以下同)
雅子さまが明かした意外な事実
お得意なのは球技だけではない。
「天皇ご一家のスケートの先生のお話によると、雅子さまは結婚されて、陛下とスケートを始められたばかりのころから、きちんとしたスケーティングがおできになっていたそう。先生が“どうしてそんなにお上手なのですか?”と質問すると、小さいころ、お父さまの仕事の関係でモスクワにいらっしゃったことが影響していたようです。
モスクワの赤の広場では冬になると、スケートリンクがつくられて、雅子さまは毎日のようにリンクで遊ばれていたそう。スケートのほかにスキーも嗜まれていたようです」
幼いころからスポーツに親しんでこられた雅子さまは日頃からスポーツに関心を寄せ、その振興のため奮闘されている。
「昨年のお誕生日に際して公開された文書では大谷翔平選手の活躍や、オリンピック・パラリンピックについて触れられていました。日頃からスポーツをご覧になり、その年に活躍した選手を園遊会などの場に招待しては、心からのねぎらいの言葉をかけられています。
また、昨年は両陛下にとって初めてとなる天皇杯・皇后杯をソフトボール競技に下賜されるなど、皇后としてスポーツを支えられているのです。その傍ら、今もスポーツを愛する気持ちにお変わりはなく、ご一家で野球を観戦されることもよくあるといいます」(皇室ジャーナリスト)

今年の春の園遊会出席者で女子ソフトボール日本代表元監督の宇津木妙子さんは、両陛下との懇談をこう振り返る。
「まず陛下から“ソフトボールの普及活動に長く携わってくださり、ありがとうございます”というお声がけをいただきました。私がすぐさま“ぜひノックをさせてください”と申し上げると、陛下は“僕は捕れるかどうか……”と笑われて“雅子なら”と隣にいらっしゃった雅子さまを指されたんです」
陛下の切り返しに雅子さまは“動けるかしら”とおっしゃった後、意外な事実を明かされたと宇津木さんは続ける。
「“愛子が上手だと思いますよ”とお話しされていました。雅子さまは宮内庁の職員とソフトボールをされたこともあったようです。だから愛子さまもソフトボールの経験があってお上手なのかもしれません。
ソフトボールを始めて今年で60年、指導者になってから40年を迎えました。指導者にとってノックは基本ですから両陛下や愛子さまにノックを受けてほしいというのは私の夢です」
念願の雅子さまとの対面
雅子さまとの懇談は、宇津木さんにとって念願だったともいう。
「2000年のシドニーオリンピックで私は女子ソフトボール日本代表監督を務めていました。銀メダルを獲得して帰国した後、当時皇太子殿下だった陛下とお会いする機会があったのですが、この時、雅子さまは体調が優れず、一緒にはいらっしゃいませんでした。
次に陛下にお会いしたのは昨年、『旭日小綬章』を賜った式典でした。この時も雅子さまはご不在で、陛下に“どうしても雅子さまにお会いしたい”とお伝えしました」(宇津木さん、以下同)

この言葉が届いてか、園遊会でお会いできた際は、万感の思いだったという。
「両陛下とお会いして、今後もソフトボールを盛り上げていきたいと思えました。そして、両陛下にも競技を見に来ていただき、ソフトボールを通じて元気になっていただけたらうれしいです」
運動神経抜群だった少女は皇后となり、スポーツを支え続ける存在として変わらぬ情熱を注ぎ続けている─。