宮崎謙介、金子恵美 撮影/矢島泰輔

 結婚から10年、何かとメディアで注目され続けてきた元議員カップル。2度にわたる女性問題を乗り越え、今はなんだかほっこりする夫婦として話題です。円満の秘訣、現在の心境などを聞きました。

息子の学校行事には必ずどちらかが出席

 “おしどり夫婦”と聞くと、これまでなんの問題もなく仲むつまじく過ごしている夫婦を想像しがちだ。しかし、さまざまな試練を乗り越えた末に“おしどり夫婦”となったふたりもいるのかもしれない。

 '15年に結婚し、今年錫婚式を迎えた元衆議院議員の金子恵美さんと夫の宮崎謙介さんはまさにその後者。2度の女性問題を経て、夫婦関係を“再構築”してからは、夫婦そろってメディアに出る機会も増えている。

 そこで今回『週刊女性』は、金子&宮崎夫妻の特別対談を実施。夫婦円満の秘訣や家族の近況について語り合ってもらった。

─メディアの仕事のほかに、企業の顧問やコンサルティング。そして子育てと、忙しい日々を送っているおふたり。普段はどのように家族のコミュニケーションを取っているのでしょうか。

金子 わが家では特別な理由がないかぎり、毎朝家族で朝食をとり、一緒に子どもを最寄りの駅まで送り届けています。車の中ではお互いのスケジュールをすり合わせて、コミュニケーションを取るようにしていますね。

宮崎 そうなんです。夫婦それぞれ全国各地を飛び回っているので、しっかり時間をとってスケジュールを共有しています。息子の学校行事は、絶対にどちらかが出席するように調整しているんです。放課後も、可能なかぎり息子の帰りを待つようにしていますが、難しいときは近所に住む義母に来てもらいます。

─夫婦とお母さま3人で子育てをしているような感覚ですね。

宮崎 そうですね。ただ、男の僕からすると、妻と義母は息子を心配しすぎ(笑)。男の子同士のケンカなんて日常茶飯事なんですけど「泣かせた」「泣かされた」なんて深刻な声で逐一報告してくるんですよ。

金子 うーん、そうなのかなあ。私は三姉妹で育って、母も女の子しか育てていないので、男の子の遊びや友人関係の知識がまったくなくて驚くことばかりで……(笑)。でも、乱暴な子というわけではないんです。

宮崎 そうだね。あなた(金子さん)が社会の理不尽に対して怒りを覚えたときに制するのが息子の役目。

金子 そうそう。この前も、態度が悪い運転手のタクシーに乗ってしまったんですけど。「こんな態度で接客していたら、次のお客さんが嫌な思いをしたり、海外から訪れたインバウンドの人が日本を嫌いになってしまう!」と危機感を抱いて物申そうとしたんです。すると、その空気を察した小学4年生の息子に手と目で制されてしまいました。社会のためとはいえ、私が怒るのを見るのは嫌みたいです。

宮崎 家族の中で、息子がいちばん精神的に大人かもしれないね(笑)。

金子 息子が2歳くらいのころまで、仕事で忙しい私の代わりに彼はつきっきりで子育てをしてくれたんです。男同士という関係もあるのかもしれませんが、私には越えられない壁を感じるときもあります。

宮崎 当時、僕は女性問題が発覚して議員を辞職した後だったので無職。彼女不在の議員宿舎で、新生児と義父母の4人で一緒に暮らしていました。そんななかでも、彼女が再び向き合うチャンスをくれて、とにかく目の前にいる息子の子育てに必死で取り組みましたね。

金子 あのころは……針のむしろだったね(笑)。

宮崎 そうだね。あり余る時間を子育てと家事に費やして、離乳食も手作りした。料理はお義母さんに一から教えてもらい、かなり腕が上がったので「私のレシピは娘に伝わらなかったけど、あなたにすべてを叩き込んだわ」と、お墨付きをもらっています(笑)。

金子 そうした経緯もあって、今も息子は私よりも父親にリスペクトや愛着を覚えているのを感じます。私の言うことは聞かないのに、パパの言うことは素直に聞くときがよくあるんですよね。ただ、私も'17年の総選挙で落選して政治家を引退してからは家族で過ごせる時間が増えて、より生活の中心が息子になりました。

プライベートな時間やスペースは大切に

─忙しいなかでも、家族のコミュニケーションを大切にされているのを感じます。

宮崎 要領のいいコミュニケーションが取れているのかもしれませんね。必要がなければ何時に帰ってくるかなんて聞かないし、「出張に行くなら何日間か」「困ったことがあったら電話する」くらいの確認しかしません。四六時中どこで何をしてるのか、誰と会っているのか、とか根掘り葉掘り聞くのはお互いしんどい……というか、家出するかも。

おふたりが国会議員だったころ

金子 私もプライベートな時間やスペースは大切にしたいほうなので、相手にも強要しません。「女性問題があったのにどうして許せるの?」と思っている方もいるかもしれませんが、当時からスケジュールのすり合わせは最低限。議員時代は特に過密スケジュールだったので、お互いにかまっていられない部分もありました。

宮崎 やっぱり人それぞれに“サイクル”があるので、極力その歯車を止めないようには意識している。子どもが最優先なのは変わりませんが、大人同士で調整できる歯車はなるべく止めずにストレスをためないように心がけています。

金子 そんなこと考えてたんだ! ありがたいなあ(笑)。

─お互いの時間を大切にしている金子&宮崎夫妻。特に宮崎さんは「程よく放置してくれることに感謝している」という。

宮崎 僕は放牧しておいてほしいんですよね。遠くのほうに柵があって、その中では自由にさせてもらいたい。それをしてくれるのが妻なんです。

金子 先ほどの話にも通じますが、やっぱり締めつけが厳しいと息苦しいし、反動も大きいので、適度な距離を保つのが円満の秘訣かもしれません。ただ、自由にさせすぎると勝手に柵を越えていってしまうので、ギリギリのところで手綱を引いています(笑)。

宮崎 うーん、もう少し目立つ色の柵にしておいてほしいな(笑)。

─自由度の調整は必要なんですね。金子さんが宮崎さんに感謝していることはありますか?

金子 今、まさに感謝してます。私はファッションや美容にかなり疎くてこだわりもないので、服が好きな彼にスタイリストをお願いしているんです。取材を受ける媒体や出演番組の時間帯、方向性を伝えると内容に適した服を選んでくれます。さらに、政治コメンテーターとして出演するときは、彼が永田町まで出向いてくれて最新の情報を仕入れてきてくれるんです。スタイリスト兼秘書を担ってくれています。

宮崎 大変なんですよ! 靴からアクセサリーまで選んでますから。

金子 私はもともとセンスがなくて本当にダサいんですよ。それから、私自身が気づかないうちに体力的に限界を迎えているときは、休みをねじ込んでマッサージの予約もしてくれる。夫は私よりも私に詳しいです。

彼は私と共に戦ってきた同志

─これまで金子さんが宮崎さんを引っ張っているような印象を持っていたのですが、金子さんには“頼る力”が備わっていたんですね。

宮崎謙介、金子恵美 撮影/矢島泰輔

金子 そうかもしれません。特にファッションは自信がない分野なので、服にリソースを割かずに済んで助かります。

 あ、でも彼に直してほしい部分がひとつありました。とにかく服が多すぎる! 1着買ったら1着手放してほしいです。異常な量のTシャツがクローゼットの中にしまってあって……。

宮崎 「Tシャツは一期一会」なんだよ。出会ってしまったら買うしかない。と、言いつつもスタメンで着るTシャツは限られていて、未着用のTシャツも大量に眠っています。でも、その瞬間しか出会えないからなあ。

金子 おまけに、私の母の家にまで彼の衣装ケースが置いてあるという(笑)。彼のセンスは認めるんですが、さすがになんとかしたほうがいいんじゃないかな(笑)。

─服で助けられつつも、悩みのタネになっているんですね。ちなみに、宮崎さんが金子さんに直してほしいところはありますか?

宮崎 枕を踏むクセですね。妻がベッドメイキングをしてくれるんですけど、あるとき自分の後頭部ではない凹みが枕に残されていたんです。そんなことが何度かあって、ある日ベッドにいる妻を観察していると、遠くにあるクッションを取ろうとして、膝で僕の枕を踏んだんです! すぐに現行犯逮捕しました。

金子 そんなに騒ぐことなのかなあ(笑)。私に悪気はないのに、同期の女性議員にまでその話をして悩み相談してたんです。

宮崎 悩んではいないけど、やっぱり面白い人だなあと思って(笑)。枕が邪魔なときはどけてください。

─日常の一コマもユーモアに転換する。その柔軟さもまた、家族円満の秘訣なのかもしれないですね。最後に“家族としての目標”を教えてください。

金子 いろいろありましたが、彼は私と共に戦ってきた同志。今は一緒にわが子の幸せを願っています。子育てはたとえ短い期間だとしても、今この瞬間がとても幸せなんですよね。私の夢は息子の夢が叶うこと。そのために働いています。

宮崎 親は、子どもに苦しまずに人生を歩んでほしい、と思いがちですよね。でも、僕自身は子どものころに絵を描くのが好きで「画家になりたいから絵画教室に通いたい」と親に言っても「画家は食べていけないから」と許してもらえなかったんです。息子には、僕と同じような悔しい思いはしてほしくないので、彼のやりたいことを全力で応援します。今は、息子の成長がいちばんの楽しみですね。

取材・構成/大貫未来(清談社) 

金子恵美(かねこ・めぐみ) 1978年、新潟県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、新潟放送勤務を経て'03年にミス日本関東代表に選出。'07年新潟市議会議員選挙に立候補し当選。'12年には衆議院議員に当選し、国政へ。38歳で長男出産後2か月で国会に復帰し、'16年には総務大臣政務官を担当。'19年に政治家を引退し、現在はコメンテーターとして活躍中。

宮崎謙介(みやざき・けんすけ) 1981年、東京都生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、生命保険会社や京都大学大学院非常勤講師を経て、'12年に衆議院議員に初当選。'15年に同じく衆議院議員の金子恵美さんと結婚し、2期務めたのち'16年に女性問題が発覚し辞職。現在は、30社を超える企業のコンサルティングや顧問を担っている。