昨秋負われた右脚のけがは回復の途上だが、新年一般参賀に杖を使わず参列された美智子さま

 10月20日に誕生日を迎え、91歳となられた上皇后美智子さま。常に上皇さまを支えながら慎ましい日々を送られている。

美智子さまのご活動

「今年は上皇さまのご体調が優れない日もあってか、例年よりもお出ましが少ない印象です。1月は新年一般参賀に臨まれ、2月は上皇さまと葛西臨海公園で満開のスイセンを、4月は学習院大学でリニューアルされたばかりの博物館展示をご覧になりました。

 8月はご静養のため、軽井沢に約1週間ご滞在。9月には悠仁さまの成年式にあたって開かれた内宴に出席し、愛孫を祝福されました」(皇室ジャーナリスト、以下同)

 私的な外出は数か月に1回ほど。上皇さまのご健康を第一に、国民のため祈りを捧げる日々を送られている。

「美智子さまは上皇さまのご健康には細心の注意を払われているようです。今年5月に上皇さまは『無症候性心筋虚血』との診断を受け、5月と7月に入院されています。上皇さまの入院中、美智子さまは毎日欠かさずお見舞いへ赴かれたのです。

 その傍ら、阪神・淡路大震災や東日本大震災の発生日、広島と長崎の原爆の日、沖縄戦の慰霊の日、終戦記念日などの節目には、お住まいで黙祷を捧げられるなど、静かに日々を重ねられています」

 上皇后となられた美智子さまの生活は大きく変化した。

「美智子さまは皇太子妃時代から数多くの公務をこなされ、在位中は年間で300件もの公務を担われたことも。

 1959年に皇室に入られて以降、国民のために尽くす姿勢を貫かれ、多くの国民から尊敬の念が寄せられました。しかし、上皇后になられて以降は、お出ましのたびに“目立とうとしている”など批判が寄せられ、中には言いがかりに近い意見も散見されます」

 美智子さまが上皇后となられて6年。語られることのない葛藤がおありのようで。

「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています」

 上皇さまが宮内庁を通じて公表されたビデオメッセージで“譲位”のご意向を示されたのは2016年のこと。退位にあたり、懸念点が挙げられたが、特に指摘されたのが天皇と上皇の“二重権威”だった。

「上皇ご夫妻は退位後、一切の公務から退き、お住まいも皇居から赤坂御用地へと移られました。公の場へ出ることや、会見や文書を通じたお気持ちの表明を控えていらっしゃるのは、両陛下のご活動に影響を与えないようにという配慮であると同時に、二重権威となる事態を避けるためといえます」(皇室担当記者)

「帰ってきてほしい」眞子さんへのご本心

 国の動向を静かに見守るというお立場に、「歯がゆい思いを抱えられることもあるのでは」と、象徴天皇制に詳しい名古屋大学大学院人文学研究科の河西秀哉准教授は次のように話す。

「おふたりは国民と苦楽を共にすることを常に意識し、災害などで苦難を強いられている地域があれば駆けつけたり、会見や文書などでお見舞いの意を表したりと、国民に寄り添う姿勢を貫かれました。退位後はそうしたことがパタッとできなくなってしまうわけです。

 特にご自分のお言葉を国民に届けることができなくなった点は、1つの心残りとして胸に秘めていらっしゃるのでは。ですから、お誕生日の際に宮内庁が公表する“ご近況”に、できるだけのメッセージを忍ばせていらっしゃると拝察いたします」

初孫である眞子さんに深い愛情を注がれてきた美智子さま

 美智子さまは、皇后という立場による深い苦悩も経験された。それは、今は遠い異国に住む孫娘についてだ。

「美智子さまは初孫である眞子さんに目をかけ、深い愛情を注いでこられました。眞子さんについての歌を詠まれたり、絵本の読み聞かせをされたことも。そんな愛孫が小室圭さんとの結婚を巡り国民から批判を受けた当時、美智子さまは皇后というお立場もあり、公に祝福の声明を出すことはできませんでした。

 眞子さんは結婚後、アメリカへと渡り、第1子を出産した今も一度も帰国していません。眞子さんがつらいときに、かばうことができなかったことを今も2つ目の心残りとして抱えていらっしゃるのでは」(前出・皇室担当記者)

 眞子さんを巡る美智子さまの思いについて、前出の河西准教授はこう語る。

「今年9月、紀子さまがお誕生日に際して公表された文書には、小室夫妻と第1子について“よいタイミングで日本を訪れてくれたら”と綴られていました。これは“眞子さんの顔を見たい”と願う上皇ご夫妻のお気持ちも酌まれた上でのお言葉だったのではないでしょうか」

 眞子さんは結婚をして皇籍を離脱。ほかの3人のお孫さま方全員も成年に達し、ご家族の形は少しずつ変化している。そんな中で美智子さまに不変の思い出として刻まれているのが葉山での日々だ。

「ご夫妻は冬から春先にかけて、神奈川県の葉山で静養することを恒例とされています。お子さま方やお孫さま方が幼いときは、ご一緒に滞在し、海岸を散策したり和船に乗られたり、たくさんの思い出を紡がれました。そんな葉山に今年の5月、3年ぶりに滞在されるご予定でしたが……」(前出・皇室担当記者)

3つ目の心残り

 直前に上皇さまが体調を崩され、予定は急きょ取りやめに。美智子さまにとって3つ目の心残りとなったのではと河西准教授は言う。

「中止は仕方ないと言わざるを得ません。それでも美智子さまは心の片隅で残念に思われたのではないでしょうか。ただ、再度日程を組むにも難しい事情があります。

 というのも、今年は天皇ご一家が那須や須崎で複数回、静養されたのですが、これに対して“多すぎる”という批判の声が上がったのです。ご静養は大事なことですが、こうした状況下でご夫妻がお出かけになると、さらなる批判を受けるかもしれません」(河西准教授)

葉山には上皇さまとおふたりで足を運ばれることも

 202年ぶりの生前退位という事象の中での美智子さまの葛藤は計り知れない。

「いずれにしても、国民の幸せと両陛下のご活躍、そしてご家族の平穏。この3点すべてを心から大切になさっている美智子さまだからこそ、さまざまな“心残り”を抱かれているのではないでしょうか」(前出・皇室担当記者)

 美智子さまの胸に秘められた3つの心残り。少しでも和らぐ日が来ることを願いたい。

河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程』など著書多数