2024年10月17日に亡くなった西田敏行さん

 俳優の西田敏行さんがこの世を去って1年がたった。

「2024年10月17日、虚血性心疾患で都内の自宅で亡くなりました。親しみやすい人柄と抜群の演技力で、映画『釣りバカ日誌』シリーズをはじめとした数多くの作品に出演。晩年は体調を崩しながらもドラマや映画に精力的に取り組み、亡くなる直前まで仕事の打ち合わせをしていたと報じられました」(スポーツ紙記者)

 一周忌に合わせて1981年にリリースされた大ヒット曲『もしもピアノが弾けたなら』の初となるオフィシャルミュージックビデオが公開されるなど、さまざまな追悼企画が立ち上がっている。そんな中でも西田さんが愛し続け、名誉市民でもある地元・福島県郡山市も例外ではない。

今年9月、西田さんが出演した映画やドラマの写真パネルを飾って、その活動を振り返る企画展を行ったほか、西田さんを振り返るトークイベントも郡山市内で行われました」(郡山市観光課、以下同)

 亡くなられた直後、市内外から“西田さんの銅像を建てよう”という声も殺到したという。

盟友が明かす西田敏行さんの素顔

「ほかにも西田さんの楽曲が流れるモニュメントを市内につくってはどうか、といった意見などもいただきました。まだ具体的に動いてはいませんが、遺族や所属事務所と相談をしながら検討したいと思います」

 今なお慕われ続ける西田さん。1980年から長年にわたって、西田さんの映画やドラマ、音楽ジャケットから広告まで多くの撮影を担った写真家の山岸伸氏もその一人。

「お別れの会も公式カメラマンとして撮影させていただきましたが、まだ亡くなったという感覚がありません」

'11年2月に山岸伸氏のブログに投稿された西田敏行さんとのツーショット写真

 山岸氏は西田さんとの忘れられないエピソードを話してくれた。

「いつだったか西田さんが“銀座の高級クラブに行ってみよう”と誘ってくれて、当時有名だった“姫”という店に行くことになったのですが、西田さんは店の場所を知らなくて迷ってしまい(笑)。結局、別の高そうな店で飲むことになって、酒を頼む際に西田さんが“ダルマで”と注文をして……」(山岸氏、以下同)

 ダルマとは“サントリーオールド”の愛称。いわゆる庶民的な酒の代表格だ。

銀座だけあって、普通の酒が置いていなくて。店の人がわざわざ買いに行ったんです(笑)。本当に飾らない人なんですよ

明るい開けた場所に写真を展示

 山岸氏が最後に西田さんと会ったのは2023年。遺影にも使われた写真の撮影だったという。

「撮影中、西田さんはBGMでフラメンコ・ギターバンドの『ジプシー・キングス』を流していました。西田さんは昔から、撮影の合間にも明るく激しめな音楽を流して気持ちを上げていましたね」

 山岸氏は現在、東京のJR品川駅港南口近くにある「キヤノンギャラリー」にて西田さんの写真展を開催している。

明るい開けた場所に西田さんの写真を展示しています。薄暗い部屋に飾ってライトを当てるような“偲ぶ会”みたいな展示はしたくなかった。きっと西田さん本人もそう望んでいると思います」

 たくさんの人の心の中で、西田さんは今も生き続けているに違いない─。