NHKのアナウンサーを経て、現在、ラジオパーソナリティーなどで活躍中のフリーアナウンサー・住吉美紀さん。42歳で結婚し、子どもを望むもなかなか自然妊娠はせず、不妊治療に踏み切る。想像を絶する肉体的な痛みだけではなく、それを超える精神面でのつらさについても赤裸々に話してくれた。正解のない不妊治療を経て、住吉さんが見た景色とは……。
こんなに長い期間になるとは
「こんな異次元の、濃い体験をしたので、何かの形でお届けしなくては、という思いがあって。今回、ようやく形になりました」
と、すがすがしい表情で語るのは、元NHKアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとしてTOKYO FM『Blue Ocean』パーソナリティーなどで活躍する住吉美紀さん。
仕事や恋愛、結婚、家族など、自身のこれまでを率直に綴ったエッセイ『50歳の棚卸し』が話題を呼んでいる。中でも胸に迫るのが、不妊治療の章。当時の苦しい心境や体験が赤裸々に書かれている。
30代後半までは「仕事に生きる。もう結婚も子どももなくていい」と考えていた住吉さん。だが、37歳でフリーランスとなり、別の思いが生まれてきた。
「NHK時代は毎日必ず同僚に会っていろいろ話せていたけれど、独立すると毎日必ず行く職場がない。家には猫しかいなくて、孤独を感じる時間が増えたんです。それで家族が欲しいと思うようになりました。そこにはパートナーに加えて子どもも含まれていて、地続きでしたね」
そして、気持ちの通じ合う男性と出会い、42歳で結婚。お付き合いの当初から互いに結婚を意識し、子どもも「できたら欲しいね」と話していたという。
「ただ、“自然にできたらいいよね”というスタートだったので、まさかこんなに長い期間取り組むことになるとは、当時は思ってもいませんでした」
結婚を決めて、まずはふたりで検診へ。「問題なし」と言われるも授かる気配がなく、「卵管通水検査」を受けることに。
「これが思っていた以上に痛くて。本では省いたんですが、実は不妊治療3年目にも再び受けて、そのときは痛みで車いすで運ばれたほど。鋭い痛みが膨らむように大きくなってくるんです。採卵は刺すような痛みが採る個数分、繰り返されるという感じでした」
そんな住吉さんに、病院選びのコツを尋ねると、「むしろ、いまだに私が聞きたいくらいなんですよ」と苦笑。
信頼できる情報にたどり着くには
「治療方法は日進月歩で進んでいるし、先生ごとにいろいろな考え方があって。身近に経験者がいないと、信頼できる情報にたどり着くのはすごく難しいんですよね」
また、肉体的な痛みももちろんだが、それにも増してつらいのが精神面。本の中では、産婦人科で「お手上げ」と言われたり、仕事の都合で午前中に通院できないことを医師から責められたことなどが記され、読んでいるこちらも悲しくなるほど。
ご本人の苦しさは計り知れなかっただろう。だが、さらにつらかったのは「絶望が重なっていくことだった」と住吉さん。
「失敗が続き、年はとっていくので確率は下がっていく。それなのに、赤ちゃんが欲しいという気持ちを止められない。授かるためなら何でもするのにと思っても、自分ではどうにもできない。絶望がどんどん重なることが、本当につらかったです」
月〜金はラジオの生放送、土曜はテレビの生放送で治療日程の自由が利かない。また、「話を聞いてくれる人を探すのがとても難しかった」と住吉さんは振り返る。
「授かりものというくらいなので、相談しても直接的な解決には結びつかないですけれど。でも抱え込むのは本当につらいので、今、悩まれている方が身近に話せる人を見つけられたらいいなと。それだけでも少し気持ちは楽になると思います」
そして、重要なのが夫側の理解。住吉さんの場合は夫・Tさんがとても協力的だった。前述の理不尽な医師に対してクリニックに「これからはあの先生に当たらないようにお願いできませんか」と電話してくれるなど、思わずウルッとくるエピソードが本には書かれている。
不妊治療の間にすれ違ってしまう夫婦も多いといわれるが、どうすれば夫の理解を得られるのだろうか。
「一緒に治療を受ける場面もあるし、出費もあるし。日常生活でもスケジュールの調整が必要になるので、そのときに不満を漏らされると女性側の精神的負担も増してしまう。だからちゃんと話し合い、合意した上で踏み出すのが、絶対にいいと思うんです」
だが、性や生殖に関することは話しづらいという現実も。
「生殖機能が落ちてきていることと向き合うのは、男女共にキツいですよね。老い、さらにその向こうに死を意識してしまうので、話し合いがうまくいかないケースもあるだろうと思います。それでもやはりパートナーの理解は不可欠だと思うので、無理なら結婚という形を見直すことすら必要かも。経験者としては、“ひとりで始めてみたら”とは言いづらいですね。寄り添ってくれた夫には、本当に感謝しています」
心の支えになっていたことを尋ねると、「思い出せないくらいしんどかったんですが……」と考え込みながらも、「ラジオの仕事にはとてもやりがいを感じていましたね」と。
「ゲストの方のお話にワクワクしたり、リスナーからのメッセージで楽しい気持ちになったり。自分の悩みとはまったく違う内容でも、共感してつながれた感じがしてうれしかった。それが支えになっていたのかも」
不妊治療は「すべての決断を自分が腹をくくってするしかない」と住吉さんは言う。
精神的に逃げ場がないつらさが
「例えば、医師に“もう無理です”と言われれば、落ち込みはするけど諦めがつくじゃないですか。その言葉が欲しくて聞くんだけど、“科学的には無理とは言い切れない”と。可能性がゼロにならないと無理と言えないのは確かにそのとおりなのかもしれません。
だから自分が人生の選択として決めなきゃいけない。そして、決めてからも“あの決断は正しかったのか”と悩んだりして、精神的に逃げ場がないつらさがありました」
そんな日々の中、住吉さんが参考にしようと見ていたのが同じ境遇の人たちのブログ。
「みなさんがどういう決断をしていたのかと、いろいろ探して読んでいました。でも、やっぱり途中で止まってしまうブログが多くて。すごく傷ついて治療をやめる方もいると思うので、そこまで書けるわけないですよね。なので、詳細に自分の経験を書いたら、昔の私のような人たちの相談相手みたいな本になれるんじゃないかと思いました」
当時、ドラマや映画で描かれる不妊治療に「もっと大変」「こんな生ぬるくない」と感じていた住吉さん。自身が書く際には表面的なことではなく、当事者が「ひとりじゃなかった」と思えるものでないと意味がないと考えていた。
そのためクリニックで渡される書類なども、全部取っておいたという。4年間、不妊治療と必死に向き合い、最後はやめることを決意。今回の執筆で、赤ちゃんへの未練がよみがえり、苦しくなることはなかったのだろうか。
「自分の中で段階を経て整理をつけてきたので、自分は今の暮らしでよかった、と思えています。ただ、書きながら当時を思い出して涙が出てくることはありましたね。気持ちの変遷を棚卸しできたことで、ようやく本当に終止符を打てた気がします」
住吉さんが読んでいたブログは途中までだったが、この本では結末、さらにその後まで読むことができる。
「不妊治療サバイバーじゃないですけど(笑)、“意外にあの人元気に生きてる。だから私も大丈夫”と思ってもらえたら、本当にうれしいです」
この経験を経て、得たものも多いという。
「夫と一緒に困難を乗り越えてきたので、夫婦の絆はすごく深まりました。そして、あそこまで頑張ったんだから後悔はない、と思えること。“こうしていれば違ったかも”と悩むことも多々ありましたが、正解は誰にもわからないんですよね。これでよかったんだと思って生きていくしかない。
不妊治療だけでなく、恋愛や結婚、仕事など、さまざまな場面でみなさん迷ったり、悩まれると思うんですが、この本が何かの助けになれたらいいなと思ってます」
取材・文/今井ひとみ

