「また奇跡が起きたなと思っています」
と微笑むのは、主演の市原隼人。『おいしい給食』は'19年、キー局ではない独立系の地方放送局で連ドラ放送がスタート。以降、ドラマは3シリーズ、劇場版は3本が公開され、給食マニアの教師・甘利田幸男(市原)VS給食マニアの生徒による“どちらが給食をおいしく食べるか”バトルが繰り広げられてきた。そして、待望の劇場版第4弾『おいしい給食 炎の修学旅行』が公開を迎える。
王道のエンターテインメントを
今作では初めて函館・忍川中学校を飛び出し、青森、岩手へ。“うまそげすぎる”せんべい汁、わんこそば、ご当地給食……甘利田の狂喜乱舞&哲学がふんだんに。
「表面的にはコメディーなのですが、舞台は'80〜'90年代。日本人の古き良き心やわびさび、道徳心などを含むメッセージを常に訴え続けてきました。甘利田がいろんなものに振り回される様を見て小さなお子様も笑っていただけますし。しっかりと核心を突き、本質を捉えたセリフもたくさんあるので、人生のキャリアを積まれた方にも響く作品だと思います」と誇らしげに語る。
「ある程度、俳優としてキャリアを重ねていくとニッチな方向に。トゲのある表現や狂気、感情的にも痛みを伴うような作品を求めてしまう傾向があるのですが。
コロナ禍を経てそうではなく、すべての方に楽しんでいただける王道のエンターテインメントを。かつ、社会派でもあるものを創りたいと思いました。『おいしい給食』はまさに私が求める理想であり、夢なんです」
動けるうちはケガではない
『おいしい給食』では、甘利田が給食に狂喜乱舞する姿がお約束。台本には何も書かれておらず、すべてが市原のオリジナルだ。その姿は、スタート当初と比べるとどんどんエスカレートしている。
「そうなんです(笑)。原作もない完全オリジナル作品ですから、当初はキャラクター設定や雰囲気をどうするか、悩みながら。メガネひとつをとっても悩みに悩んで、生み出して。
シーズンを重ねるごとにバージョンアップしているのは、作品を好いてくださるお客様に求めていただいたご恩をお返ししたい一心から。滑稽な姿を笑われながらも“好きなものを好き”と胸を張り、相手が子どもでも素直に負けを認める。どんなに毎回負けようとも“明日こそは勝つんだ!”と日々を楽しみ、人生を謳歌している様を見て、みなさまの活力にしていただきたいと思っています」
甘利田が椅子からひっくり返って身体を床に打ちつけるなど、渾身の演技に目は釘づけ!とはいえ、市原の身体も心配だ。
「体力はもう大変なんです、あざだらけ。ボロボロです(笑)。ただ、動けるうちはケガではないとも思っていて(笑)。“これでいいや”と、なんとなく雰囲気で見せるのではなく、やるならしっかりと打ちのめされたい。
本当に小さな小さなところから始まったんです、『おいしい給食』は。求めてくださるお声がなければ、6年続けてこられなかったので。お客様に楽しんでいただけるならすべてを捧げますし、無限の力が湧いてくる。“ここで生涯を終えてもいい”と本気で思えてしまうんです」
役者を続ける理由もわからなかった
修学旅行を経て、甘利田の人生には大きな分岐点が訪れる。14歳のとき、映画『リリイ・シュシュのすべて』('01年)で主演デビューした市原は、来年で25周年を迎える。俳優人生の分岐点を聞いてみると、
「ファンの方からいただいた声です。“ずっとしゃべれなかった子どもと話すきっかけになった”“明日、目の手術を受けるんですが、最後に市原さんの作品を両目で見る”“余命3か月なんですが、病室で市原さんの作品を見ると笑顔になれる”といただいた言葉に涙が止まらなくなって。僕はそれまで人の前に出ることも、しゃべることも苦手でしたし。役者を続ける理由もわからなかったし、芝居の楽しみもまったくわからない人間だったんです」
その分岐点は、20代前半。ドラマ『WATER BOYS2』('04年)や『ROOKIES』('08年)などを経験する中だったと振り返る。
「役者というものは自分のためではなく、お客様に楽しんでいただくものなんだという根源・本質を知ってから、ガラッと本当に変わりました」
信じられないくらいの熱量で作品に向き合い続ける市原だけが生み出せるものが、ある─。
動ける甘利田であるために
普段から身体を鍛えている市原。『おいしい給食』の際には、体重を落としてから撮影に入っているという。
「甘利田は有酸素運動がすごいので(笑)、動きやすいように。変に肉がついてしまうと、甘利田のちょこまかした騒がしい動きができなくなってしまうので。それに、『おいしい給食』はやっていくうちにどんどん体重が落ちていってしまうというのもあります(笑)。大河ドラマ(『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』)と比べると、最終的には10キロ弱くらい絞ってる状態になっていたと思います」
