「母親になって後悔してる」
そんな刺激的なワードで自分の子育ての苦悩をSNSなどで発信する人が増えている。「後悔するほど何が母親たちを苦しめているのか」。リアルな声を聞きたくて独自取材を行った。
短期集中連載の4回目は、家を継いで2人の子どもを産んだヨシエさん(仮名=59)の話をお伝えする。
高校生のとき確定した孫を残す責任
「足かせをつくっちゃったな、と子どもを産んだことをちょっと後悔しました」
中学生のころから現在まで、ヨシエさんは“生きるのがしんどい”という感覚をずっと抱えてきたという。
「母親になって、私の役割は果たせたかなと思う反面、これでもう、死にたくなったときに、たやすく死ねないなって……。明るく陽気な性格の姉と違って、私は暗くて自己肯定感が低い。何かあっても家族に相談はせず、死にたくなるたびに、リストカットしていたんです」
ヨシエさんが生まれ育ったのは関東地方にあるのどかな町だ。3歳上の姉が20歳の若さで嫁ぐことになり、「家を継ぐのはヨシエだ」と母親と姉から言われた。
「うちは何か商売をしているわけじゃないですけど、先祖がいる家なので、毎日、朝起きたらご先祖さんにごはんあげて、お茶あげて。近くにお墓もあるので、定期的に掃除もしています。家を継いで子孫を残すことが私の役割だと、高校生で決められちゃったわけですね」
ヨシエさんは小学生のころからバレーボールに打ち込み、県外の大学に進学後は全国大会にも出場した。卒業後も「地元には帰りたくない」と泣きながら母親に訴えてケンカしたが、必ず戻る約束で進学させたと押し切られたという。
地元に戻った後、ヨシエさんは何回か転職し、専門学校で講師の仕事に就いた。
「やっと天職に巡り合ったなと感じるくらいやりがいがありました。でも、母はよく思っていなくて。毎日22時を過ぎて帰宅すると、布団の中で待ち構えていました。
私が結婚しないから恥ずかしくて近所の人と会えないとか、1日頭が痛かったとか、来る日も来る日も言うんですね。私の田舎では30歳過ぎて結婚しない女性は、どこかおかしいんじゃないかと心配されるくらい理解されなかったんです」
そんな環境で育ちながら、「結婚したいと思ったことがない」と言い切るヨシエさんはかなり異色な存在だった。
「子どもも好きじゃなくて、小学生のころ、コインロッカーに母親が赤ちゃんを捨てたというニュースを見て、私もやりかねないと頭をかすめた記憶があります。それでも、いつか結婚して子どもを産む人生からは逃げられないだろうなとは思っていました」
甲斐性がない夫に代わり父親役へ
ヨシエさんが結婚したのは33歳のときだ。相手は、仕事を通じて知り合ったひと回り下の20歳前後の男性で、「できちゃった結婚」だった。
結婚後は講師の仕事を辞め、ヨシエさんの実家で暮らした。だが、長男を出産すると、出産だけでなく、結婚自体を後悔した。1年もたたずに夫が給料を家に入れなくなり、ヨシエさんの両親に多額の借金までするようになったのだ。
「20歳前後の若さで結婚なんかさせられて(笑)、ダンナにはダンナの言い分があるとは思いますよ。最初のころはパチンコで使ったとか言ってたけど、何百万円も何に使ったのか今でもわからないです。話し合いも何回かしましたけど、しょうがないだろうと開き直られて……」
当然、離婚も考えたが、母に止められた。「子どもに罪はない」となだめられて思いとどまったが、心の整理には時間がかかった。
「私はもともとウジウジした性格なんです。自分に自信がないから、人間関係で何か嫌なことがあっても立ち向かうのが苦手でした。だから、夫にも強く言えず逃げていたんです。でも、これ以上、悩んでいても仕方ない。私の子どもなんだから、夫に頼らず育てよう。そう覚悟を決めたんですね」
長男が2歳になり、ヨシエさんは秘書の仕事を見つけて働き始めた。地方では女性の就職口は少ない。35歳であればなおさらだ。会社は隣県にあり、通勤に片道1時間弱かかったが、正社員として就職できたことを「本当に奇跡だった」と振り返る。
子どもの世話と家事の一切を両親に任せた。ヨシエさんは一家の大黒柱として、「1円でも多く家に持ち帰ることが自分の役割だ」と割り切っていた。
毎日残業もこなし、子どもが熱を出しても仕事を休まず懸命に働いた。だが、会社には男尊女卑の考え方が色濃く残っており、女性が稼ぐことは難しいと痛感したそうだ。
「最初の手取りは月15万~16万円。それでも地方では高いんですよ。一人っ子では長男がかわいそうだと思い、3年後に次男を産んで復帰したら、給料を1万円下げられたんです(笑)。
育休中に何度も人事に呼び出されて『あなたが戻る席はない』と言われて、不安しかなくて。今ならマタハラですけど、20年前は、女性の正社員はだいたい、育休中に辞めさせられたんです。私のポジションは運よく席が空いて戻れたんですけど」
ヨシエさんは役職にも就き、何度か昇給したが、夫がいるという理由で給料は低く抑えられた。後から入社した男性新入社員にも次々抜かれたという。それでも、“自分の稼ぎで家族を養って、カッコいいな私”と言い聞かせて、バリバリ働いた。
結婚という呪縛 息子に感じる距離
長男が高校生になったころ、母親がヨシエさんにポロリとこぼしたことがある。
「お母さんがあんなに結婚しろって言ったのが悪かったのかな」
ヨシエさんは「私が相手を選ぶ目がないだけ。お母さんは悪くないよ」と答えたそうだ。
「母を恨む気持ちより、家事、育児を丸投げしている申し訳なさのほうが大きかったです」
そのときふと、息子との関係について思ったことがある。
「私は産むときに身体は貸したけど、2人の子どもは“預かりもの”だったんじゃないかなと。息子たちにごはんをあげたりお風呂に入れたりして育ててくれたのは父と母なので、息子も私に対して遠慮しているところがあるし、私も他人の子を褒めているみたいに感じることがあります」
長男が就職し、次男も大学進学で家を離れた後、両親に「会社を辞めたい」と告げた。
恩返しも込めて、両親をいたわりながら暮らしたいと考えたからだ。母親は「ヨシエの好きにすればいいよ」と言ってくれた。
しかし1週間後、母親は自宅で突然死してしまう─。
「母に恩返しをする時間をつくれなかったのが、いちばんつらかったですね……」
その後、23年勤めた会社を退職した。家の事情を考慮したのか、ようやく夫も家にお金を入れてくれるようになったという。ヨシエさんは今、高齢の父の世話をしながら、再雇用で週2回の勤務を続けている。
もともと読書好きなヨシエさん。時間に余裕ができたとき本屋を覗いて買ったのが『母親になって後悔してる、といえたなら』だ。後悔という響きにドキッとし、自分はどっちなんだろうと、人生を整理しながら、振り返った。
「結論から言うと、母親になったことは後悔していません。ここで後悔していると言っちゃったら、これまで頑張ってきた人生を全部否定するような気がして、自分で無理やり後悔していないと結論づけたのかもしれませんが。
できれば母が亡くなる前に、『おばあちゃんになって後悔している?』と聞いてみたかったです。でも、苦労ばっかりかけたから、ヨシエを産んだことを後悔していると言われたらどうしよう(笑)」
もし、家という縛りがない状態で、子どもを産む前に戻れるとしたら、もう一度子どもを産みますかと聞くと、ヨシエさんは「産みますね」と即答した。
「ただ、結婚相手は選ぶ(笑)。母が亡くなって、ずっと泣いている息子たちの姿を見たときに、私の次に家のことを思ってくれる存在を産めたからよかった……これが自分の役割だったんだなと感じました。ちゃんと子育てしていないからそう言えるのかもしれないけど、次は育児をきちんとしてみたいなと思います」
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次号、最終回は共働きの妻とともにイヤイヤ期の娘を育てる男性の話をお伝えする。
取材・文/萩原絹代
