日本女性として初めて、さまざまな道を切り開いた人物をクローズアップする不定期連載。第8回は直木賞受賞、日本人初のエドガー賞ノミネートと一流作家であり、日本ペンクラブ初の女性会長として活躍する桐野夏生さん。男性社会の中で闘い、会長として改革を次々に進め、矢面に立つこともいとわない、その強さはどこから生まれたのか─。
弱い立場の人間を守っていかなければいけない
「最初はお断りするつもりでいたんです。でも18代目にして初の女性ということで、私が受けなければ、またしばらく男性が続くことになる。そういう意味でも引き受けたほうがいいかなと、嫌なこともたくさんありそうだけど、それも仕方がないかと思って(笑)」
2021年5月、日本ペンクラブ創立86年目にして18代会長に就任した作家の桐野夏生さん(74)。初代会長の島崎藤村、志賀直哉、川端康成に前任の吉岡忍まで、代々会長はすべて男性作家で、90年の歴史を持つ日本ペンクラブ史上、女性作家が会長に就くのは初めてのことだ。
「私自身、生意気な女性作家ということで、すごくいじめられたことがあります。だけど誰も味方がいなかった。もともと日本ペンクラブに入ったのも、作家同士連帯し、闘える場所が欲しかったから。弱い立場の人間を守っていかなければいけない、そう思っています」
デビューから30年余り、日本を代表する女性作家の一人として絶大な人気を博してきた。ハードボイルドに社会派、近未来小説と、作品のジャンルは幅広く、ファン層も厚い。
その原点はと聞くと、「本はよく読みました。家族が多かったので家にはいろいろな本があって、母の読む婦人雑誌や父の書庫に並ぶ小説まで、片っ端から読んでいました」と振り返る。
金沢で生まれ、両親、祖母、兄、弟の6人家族で育つ。父の転勤に伴い、仙台、札幌で幼少期を過ごし、中学で東京へ。大学卒業後、厳しい就職難に直面している。
「女性の仕事がない時代です。出版社を1社受けたけど、女性が必要とされるのは型紙作りや料理だったりする。入社試験も家庭科的な知識が問われたりと、社会から求められていない感じがしました」
24歳で結婚。専業主婦に収まらず、医師向け雑誌の編集や雑誌のライターを経験している。とはいえ稼げるのは小遣い程度の額だ。
「すごく焦っていました。夫が稼いで、そのお金しか使えないのは、私には耐えられなかった。経済的に自立しなければ、自分は自由になれないと思っていた。自由な人間同士が、結婚しても対等に生きていけると考えていたんです」
女の人の中にも荒ぶる気持ちがある
シナリオライターを目指し教室に通うも、やはり芽が出ない。そんななか、シナリオ教室の仲間からロマンス小説の公募に誘われた。
「ハーレクイン小説が流行っていたころです。いざ書き始めたら面白くて、向いているかもしれないと思いました。それ以来ずっと小説家志望です」
初の作品『愛のゆくえ』が佳作に入選し、ロマンス作家デビュー。32歳のときだ。
漫画編集者の目に同作が留まり、漫画家・森園みるくさんの原作執筆という新たな仕事も舞い込んだ。
売れっ子の森園さんは作品数が多く、収入は急増。念願だった経済的自立を叶えるが。
「森園さんの原作はやっぱり森園さんのもの。自分の世界を書いてみたい、自分が読みたいものが書きたい。そう思うようになって」
文学賞の公募を見つけては執筆、応募を繰り返す。ある時「すばる文学賞」に応募し、最終選考に残った。編集者から「何か書いてみないか」と声がかかり、新作に取りかかる。
「でもいざ書き始めると全然終わらない。200〜300枚と言われていたのに、500枚になっちゃった。『これ、江戸川乱歩賞に応募していいですか?』と編集者に言ったら、『えー!』なんてびっくりされました(笑)」
42歳のとき、『顔に降りかかる雨』で第39回江戸川乱歩賞を受賞。10年弱の公募生活を経て、本格作家デビューを果たす。
ブレイクは1997年に発表した『OUT』。日本推理作家協会賞受賞作で、日本人で初めて米国のミステリー最高権威といわれるエドガー賞にもノミネートされている。
「女の人の中にも荒ぶる気持ちがある。そういうものを書いていかなければいけないと思って書いた作品でした」
平凡な主婦が夫を殺害し、パート仲間4人で死体をバラバラにする─。本作が女性作家による筆と知り、世は驚いた。快哉を叫ぶ人もいれば、反発の声も少なくない。後者は主に男性陣の反応だ。
「ショックだったみたいです。みんな怒っていた。おじさんたちに『妻が夫を殺すなんて嫌なこと書くな』と言われたり。ラジオ番組に呼ばれたときは、男性キャスターがずっと口をきいてくれなくて、最後にひと言、『人を殺していいと思っているんですか』ですって。いいわけないじゃないですか(笑)」
評論家に悪しざまに書かれ、メジャー媒体に堂々と掲載されたこともある。
「あのときはすごく頭にきましたね。男たちの酒場での話みたいなことを平気で書いて。女だというとナメられる。もう作品で闘うしかない。だから、生き残ろうと思いました」
会長はじめ委員はみなボランティア
その言葉どおり、第一線で活躍を続け、いくつものベストセラーを世に送り出してきた。2015年には長年の執筆活動が評価され、紫綬褒章を受章している。日本ペンクラブ入会は2017年のこと。
ペンクラブは「言論・表現の自由と平和を守り、世界の文学者と交流する」を趣旨とした団体で、会員はP会員(詩人・俳人)、E会員(随筆家、編集者)、N会員(小説家)らで構成される。理事会の投票で会長に選出され、会長はじめ委員はみなボランティアだと知った。
「驚きました。無償で働いていたんだと。交通費も出ないことがあるし、手弁当です。それでもみなさん真剣に打ち込んでいる。頭が下がりましたね」
運営は会員の会費によるが、昨今は高齢化の影響もあり会員数は右肩下がり。クラブの行く末を案じ、新会長としてまず改革に着手している。
「以前は入会には参考資料として著書2冊の送付をお願いしていましたが、やめて門戸を広げました。執行部も入れ替え、女性を半数に増やしています。やはり女性の声を聞いていかなければと思って」
会長の重要な責務が声明の発表だ。国際問題から表現活動にまつわる問題まで声明の内容は多岐にわたり、そこには会長のサインが記される。激動の時代ゆえ発表の機会は多く、そのたび矢面に立たされるも、「それはもう仕方がない」と腹をくくる。
ネット社会との付き合いもまた大きな課題の一つ。SNSの発展で編集者は表現に神経を尖らせ、NGワードは増加。同じ本でも電子書籍となると制限がより厳しい。
「電子だとそこだけが切り取られ、取り沙汰されることもある。本は時間のかかる芸術で、全部読んで初めて伝わることもあるのに」
題材選びにも配慮が求められる。例えば殺人の話にしても、虚構だからではすまされない、そんな風潮が見え隠れする。物書きに受難の時代だ。
「それでも私はなるべく突っ込みたい、切り込んでいきたい。やはり作家は書くべきだと思う。恐れているのは、書き手が縮こまってしまうこと。私たちは表現する仕事。検閲につながってはいけないし、それをいちばん懸念しています」
会長は1期2年で、現在3期目。その間も精力的に作品を発表してきた。執筆との両立は「すごく大変」と苦笑い。
「でもここで得られる知己もあるし、知らない世界を垣間見られるのは作家として面白い。会員もいろいろな方がいて、それもまた楽しいですね。近頃は女性作家委員会など各委員会の活動が活発になってきているけれど、あまり知られていない。もっとみなさんにアピールしていかなければと考えています。あと喫緊の課題は、会員の増加。特に若い人! 新会員、大歓迎です。ぜひお待ちしています」
取材・文/小野寺悦子
