芸能生活45周年、ものまね界のレジェンド・コロッケ

岩崎宏美からBTSまで、独自のものまねでトップを走り続けているコロッケさん。芸能生活45周年を迎え、両ひざの手術も経験した。これからのものまねへの野望は─。芸人論とともに聞きました。

「僕たちは、常に新しいネタを求められる仕事。ひたすら新ネタを作り続けていたら、45年がたっていた」

 そう笑って振り返るのは、ものまね芸人のコロッケさんだ。1980年に、オーディション番組『お笑いスター誕生!!』でデビューすると、清水アキラ、ビジーフォー、栗田貫一らとともに「ものまね四天王」として、ものまねブームを牽引。

「僕は3世代と戦っているんです」と語るように、コージー冨田、原口あきまさ、ホリといった世代、そして荒牧陽子や青木隆治らが台頭してきたときも、第一線でものまねを進化させてきた。

 野口五郎、岩崎宏美、美川憲一、ロボット化した五木ひろし、GACKT、BTS─、子どもからお年寄りまで爆笑の渦に巻き込む1000を超える膨大なレパートリーは、長い歳月をかけて育まれた巨樹の年輪を見るかのようなすごみすらある。

お客さんに喜んでもらうために

ものまねタレントではなくて、ものまね“芸人”でありたいという気持ちを持ち続けてきました。芸人って、エンターテイナーじゃなければいけないと思うんです。お客さんに喜んでもらうためには、いろいろなスキルが必要ですから、日本舞踊や歌舞伎、殺陣なども勉強してきた。

 例えば、美空ひばりさんのまねをするとき、僕は日本舞踊の“首を抜く”所作と歌舞伎の“見得を切る”所作を入れています。そうすると、ひばりさんっぽくなるんです」(コロッケさん、以下同)

 BTSのものまねをするために、ダンスのレッスンも手を抜かない。芸風こそふざけているように見えても、一つひとつは「雑にしない」という。神は細部に宿る。だが、

「芸人でありたいから、気を使って見られるのも苦手。『またコロッケがふざけてる!』って言われるのが、僕は一番うれしい(笑)」

デビューしたてのころのコロッケ。その当時には珍しい、メイクをしていることも話題となった

演技を学び、ものまねに深みが

 今年2月、変形性膝関節症のため、両ひざに人工関節を入れる手術(人工膝関節置換術)を受けた。ロボット五木ひろしをはじめ、奇想天外なものまねをやり続けてきたことで、ひざの軟骨が損傷。数年前から痛みに悩まされていたと打ち明ける。

「手術をしたら、80歳まではロボットができると聞いて決断しました。僕は死ぬまでものまねをしていたいから」

 3か月間の入院生活で、体重は15キロ減った。現在、体調は回復しつつあるが、移動時は杖をついて歩くことも。文字どおり、身を削って、客を笑わせ続けてきた。

「まだ痛みはありますが、お客さんが待っているので泣き言は言えません。それに、入院生活のおかげで、身体の状態は人生で一番クリーン(笑)。準備万全です」

 そう語るように、東京・明治座に続き、大阪・新歌舞伎座で『大逆転!戦国武将誉賑(せんごくカーニバル)』を。来年1月10日からは同じく明治座で『松平健×コロッケ45周年特別公演』を行う。2022年に『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)から卒業し、テレビでコロッケさんのものまねを見る機会は減ったかもしれない。だが、現在は舞台を中心に、“生”でしか見ることができないコロッケワールドを開放している。

違うジャンルから学ぶことの大切さ

「僕が、お芝居の世界に飛び込んだのは、2009年の初座長公演『仙台四郎』が始まり。彼は知的障害のある、独特の感覚を持つ人でもあった。セリフに頼らずに、動きやたたずまい、視線で感情や内面を表現しなければいけなかったから、ものすごく苦労した反面、この経験がものまねにも好影響をもたらした。違うジャンルから学ぶことの大切さを再認識しましたね」

 コロッケさん自身、常にアンテナを高く張るようにしている。代名詞の一つ、ロボットの動きにも、実は創意工夫が隠されている。

「ロボットの動きって時代によって変化しているでしょ? 僕が初めてロボットの動きを取り入れたときは、カクカクとした直線的な動きでした。しばらくすると、映画などで描かれるCGのロボットの動き─A地点からB地点へ移動する間に、わずかな“揺らぎ”があるのが特徴で、ちょっと揺れるようにアレンジしました。

 そして、今は人が作ったアンドロイドの動きを取り入れています。人間らしく見せるために、静止しているときでも常に微妙に動き続けているのが特徴」

芸能生活45周年、ものまね界のレジェンド・コロッケ

 取材中、コロッケさんは何度も即席でものまねを披露する。そのたびに、周囲から笑いと驚きが起こる。面白いだけでなく、感嘆の声が漏れてしまうあたりが“ものまねレジェンド”たるゆえんだろう。

「最初はウケなかったネタでも、やり続けることが大事。僕が最初にGACKTさんのものまねをしたときも、『えっ?』って反応だったんだから(笑)。でも、やり続けながら、アップデートさせていけば笑ってくれるようになる。ものまねをしている若い子たちにも、よく伝えていることです」

自分中心の芸人が増えたと感じる

 コロッケさんがやり続けていること。その一つに、ボランティア活動がある。「きっかけは東日本大震災」と語るように、被災地を回り続けた。避難所で出会った女性から、「久しく笑っていないからものまねをやって」と告げられ、ものまねを披露すると、あっという間に黒山の人だかりができた。

 不安に押しつぶされそうな人を笑顔にする。その雰囲気は、当事者たちにしかわからないものがあるはずだ。コロッケさんは、どんな気持ちで臨んでいるのだろう?

「“相手が1番、自分が2番”という気持ちです。現場を知る責任者の方に状況を詳しく聞いて、自分本位で行動しない。ものまねをするときも、いきなりネタをするのではなく、世間話など会話をしながら場の空気を柔らかくしていくことも心がけています。そして、『また来るからね』と約束をしています。その場限りにしたくないんです」

 その言葉どおり、何度も通い、今では仕事の合間を縫って、さまざまな場所でボランティアをするように。交渉を重ねて、小児病棟でショーをしたこともあった。

「子どもだから、人物のものまねをしても難しいですよね。だから、『ニワトリって、人間に“近寄んないで、近寄んないで”って感じで首を動かしているんだよ』って伝えて、ニワトリのものまねをしました。そうしたら子どもたちもまねし始めて、病棟がニワトリだらけになっちゃった(笑)」

お米が大好きで、元気の源だと語る。「ご飯をおかずにご飯が食べられるほど(笑)。今のお気に入りの銘柄は、魚沼産コシヒカリの『雪椿』」(コロッケさん)。現在は郷里の熊本県でもおいしいお米を栽培するためのファームを計画中だ

 ものまねは、「人のふんどしで相撲を取っている」などと揶揄されることも少なくない。だが、ものまねでしかできない“楽しませ方”“笑わせ方”がある。

「自分が楽しむ気持ちが大事なんです。だけど、相手が1番、自分が2番って気持ちはもっと大事。正直な話、51%喜んでいただいて、49%は自分が喜びたい」

 照れくさそうに笑って続ける。

芸人として一生を終えたい

「カッコつけたことは言えないですが、自分が楽しくないと、誰かを心から楽しませることなんてできない。最近は、“自分中心”の芸人が増えてきたように感じます。内輪しかわからない笑いや、ウケないことを人のせいにしたり。自分中心になると、成長が止まると思うんですよね」

 自分自身が楽しめるように。だけど、ほんの少しだけ相手の気持ちを上回らせる。その2%の差異が、最高のエンターテインメントをつくり出す。

「芸人として、僕は一生を終えたい。65歳ですから、残りの人生をどう生きるかとか考えますよね。80歳になったときに、やりたいネタが決まっているんです。『美川憲一さんをやります』って言ってるのに、顔が岩崎宏美さんになっちゃったり、五木ひろしさんになっちゃったり。

 80歳だから、僕も本当に間違えている可能性がある(笑)。でも、周りは笑っている。『あの人、最後までふざけてたな』って言われたい」

 ふざけ続けるために─。全力で自分を、相手を、楽しませることを忘れない。

芸能生活45周年、ものまね界のレジェンド・コロッケ
コロッケ 本名・瀧川広志。1960年、熊本県生まれ。1980年、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)でデビュー。テレビやラジオで活躍する一方、全国各地でのものまねコンサートや大劇場での座長公演を定期的に務める。現在のものまねレパートリーは1000種類以上。

※お知らせ 11月8日~11月24日大阪・新歌舞伎座にて『大逆転!戦国武将誉賑』を、2026年1月10日〜25日東京・明治座にて45周年特別公演を、それぞれ座長の一人として出演。

取材・文/我妻弘崇 撮影/佐藤靖彦