逸見政孝さんの息子・太郎

「現在、レギュラー番組は持っておらず、タレントの仕事は“いただければ、なんでも”というスタンスでやっています。奥さんからは、のんびりしていて困ると言われていますよ(笑)」

 こう語るのは、俳優やタレントとして活動する逸見太郎。何より彼を有名にしたのは、昭和から平成初期にかけてテレビに出ずっぱりだった名アナウンサーであり父の逸見政孝さんだ。

父・政孝さんを「一生超えられない」

「子どものころ、父にテレビの前に呼び出されて、父が出演している番組を本人の解説つきで家族で視聴するという習慣がありました。父はテレビの仕事が楽しく、誇りを持っていたのだと思います」(逸見太郎、以下同)

 そんな政孝さんはスキルス胃がんにより、'93年に48歳の若さで死去。

 父の活躍を見ていた太郎もテレビの世界に興味を持つようになり、アメリカのエマーソン大学での語学留学を終えた'98年、北野武監督の映画『HANA―BI』で俳優デビュー。

「生前の父は、僕にもテレビに出演する仕事をさせたかったようです。僕が得意な英語を活かして海外からリポートをして、その中継を父が日本のスタジオで受ける、みたいなのを夢見ていたとか」

 '09年にはTOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』の司会を任されるなど、順調にキャリアを積んでいたが、徐々に限界を感じるようになったという。

「俳優業は、それこそ真剣に演技に取り組んでいる人にはかないません。MC業も僕には父を一生超えられないと感じていました」

「思いやりを大切に」政孝さんの言葉

 '12年に『5時に夢中!』を卒業。以降、芸能界での“立ち位置”に頭を悩ませていた太郎だが、'19年に長男が誕生したころ、芸能界以外の仕事に挑戦することに。

「児童向けの体操教室でサポートスタッフのバイトを始めました。僕自身、テレビのスポーツバラエティー番組に出演したりと運動は大好きでしたからね」

 子どもたちと触れ合う楽しさに目覚めた太郎は、今年1月、自身が運営する幼児体操教室『アクティブキッズPE』をオープン。

「僕の体操教室は、まだ投資段階。会社員として働いている奥さんに助けられています。教室では、英語を交えたコミュニケーションを取りながら、身体を動かすというスタイルでやっています。運動や英語を通じて子どもたちそれぞれが自分の好きなことを見つけてほしいと思って取り組んでいます」

逸見政孝さんの息子・太郎

 テレビの仕事一筋だった父・政孝さんと対照的に、新しい居場所を見つけることができた太郎。その根底には、自分が父親にしてほしかったことを実践している側面もあるという。

「父は家では近寄りがたく、最後まで深く触れ合うことができませんでした。僕は体操教室の子どもはもちろん、自分の息子とは一緒に旅行したり、トスバッティングなど運動をしたりと触れ合って一緒に過ごす時間を大切にしているんです」

 父と違った人生を歩んでいるように見える太郎だが、政孝さんの教えも息づいているという。

「よく父は、色紙に“思いやりを大切に”と書いていたのですが、子どもたちを指導していると思いやりの大事さを痛感します」

 父の背中を見ながら仕事に取り組んできた太郎。その魂は時代に合わせながら受け継いでいるようだ。