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「母親になって後悔してる」そんな刺激的なワードで自分の子育ての苦悩をSNSなどで発信する人が増えている。リアルな声を聞きたくて独自取材を行った。

母親の本音と世間的タブー

 短期集中連載の最終回は、夫婦で共に「後悔」という感情と数年向き合ってきたご家庭の話を父親の目線でお伝えしたい。取材に応じてくれたのは、共働きの妻と、イヤイヤ期の娘を育てるサトルさん(仮名=42)だ。

「後悔していないと言えば、嘘になる。そういう葛藤を抱いたことを、娘にはいつかすべて伝えたいです」

 冷静な口調でそう話すサトルさんはIT企業勤務。フルリモートで仕事をこなす。自宅に伺うと、人懐こい猫たちと一緒に出迎えてくれた。

「子どもを欲しがったのは妻のほうです。1年間妊活をしても授からなかったので、専門病院にも2年ほど通って。僕は妻が望んでいるものを受け入れた感じで、そこの温度差はあったと思いますね」

 娘が生まれたのはサトルさんが38歳、妻が31歳のときだ。医療職の妻は育休を1年取得し、サトルさんも育休を2か月取った。

「2か月も取るの?」

 サトルさんは会社の同僚たちからそう驚かれたという。

「管理職は古い価値観のおじさんばっかりで、中間層がいなくて、後は独身の若い子だけの会社だったので、『エエッ!!』と(笑)。その後、IT系のスタートアップ企業に転職して、今の会社は2人目、3人目だと数か月単位で育休を取る男性もいます。

 育休を取るかどうかを確認することが義務化されたので、流れが変わったとは思います。でも、育休を取るだけでイクメン扱いされることに対して、なんだそれ、みたいな思いはありますね」

 サトルさんはミルクを作って飲ませるのもオムツ替えも沐浴も、妻に教わりながらすべてこなした。

「妻は当直勤務もある仕事なので、自分がいなくても何とかなるように、こいつを仕上げなければならないと思ったみたいです。なるべく僕にやらせるようにしてくれたので、ひと通りできるようになりました。基本、家事をやっているのは僕ですね。妻がメインでやっているのは、夕飯を作ることくらいです」

 娘が乳児のころは体力的な大変さはあったが、精神的には「よくわからない生き物だな」と思うくらいだった。

夫婦で共倒れ……精神安定剤を服用

 娘が1歳になると保育園に預け、妻も仕事を再開。2歳を過ぎてイヤイヤ期に入ると、予想もしない大変な事態が待っていたという。

「単純なイヤイヤから理由のあるイヤイヤになって、でもまだ言葉でうまく説明できないし、感情も整理しきれるほどではないので、理不尽に泣き叫ぶ。僕は自宅で仕事をしているので、頭が仕事モードのまま、理屈で解決しようとすると、そうじゃないって、さらに悪化する(笑)。

 妻もまじめなので、なるべく栄養バランスが良く好き嫌いしないように考えてごはんを作っていますが、娘が食べないんですよ。手を替え品を替えて作っても食べてくれないと精神的につらいと話していましたね」

 イヤイヤが続く娘の相手に疲弊して、まず妻がダウンした。気分が落ち込んで頭痛がしたり、何もないのに涙がポロポロと流れてくる。

 仕事から帰宅した妻が疲れ果ててリビングで寝込んでしまうと、娘が構ってほしくて「ママ、ママ」とまとわりつく。サトルさんは「ちょっとやめてあげて」と必死に止めた。妻に、「こんなところで寝ても疲れが取れないから寝室に行きなよ」と強めに言うと、余計に落ち込んでしまったそうだ。

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「肉体的に疲れて寝ているときは、同じような言い方をしても素直に聞くのに、精神的に疲れてくると、何もできないことを責められていると感じるみたいです。自分の中にこうあるべき母親像があるのかもしれないですね」

 心療内科に行くと妻は育児ノイローゼと診断された。そのころから娘のイヤイヤがさらに激しくなり、とうとうサトルさんもダウンした。

 慢性的頭痛に加え、妻や子育てのことを考えた際の気分の落ち込み、時に精神的ストレスから嘔吐することもあった。妻と同じ病院を受診すると、「抑うつっぽい症状が出ている」と言われ、今も軽い精神安定剤を飲んでいる。

 父親、母親の役割に夫婦そろって疲弊し、共倒れする寸前まで追いつめられていた。

「娘のイヤイヤは年が明けて少し落ち着いてきましたが、2人目は無理だねと話しています。もう1人生まれて、また3、4年同じことを繰り返すのは、体力的にも精神的にも余裕がない。僕も妻も、自分の時間を大切にしたいタイプではあるので」

妻、母、娘にも共有したい後悔の念

 サトルさんは独身時代からテニス、ゲーム、ピアノなど多趣味だったが、子どもが生まれてからは自分の時間を捻出するのが難しくなった。何とか時間をつくるべく、サトルさんが取った行動はかなり思い切ったものだった。

「わりとたくさん持っていた洋服はすべて処分してジーンズと白シャツのシンプルなスタイルに変えました。組み合わせに迷う時間がもったいないので。髪を切りに行くのも面倒くさくなって、去年、初めて丸刈りにして自分で剃るようにもなりました」

 読書も好きだが、今は本当に読みたい本だけを厳選している。イスラエルの社会学者が書いた『母親になって後悔してる』を購入したのは、SNSでタイトルを見て興味が湧いたからだという。

「僕はよくイクメンと言われるので、この本を男性視点で読んだらどうなるのかなと。買ってリビングに置いておいたら、妻から『実は私も気になっていたけど、タイトルにビビって手に取れなかった』と言われました」

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 サトルさんは本を読んで痛感したことがある。母親になることへの周囲からの期待やさまざまなプレッシャーは古今東西、どこにでもあるのだという点だ。

「それは僕が父親になってみて、周囲から感じるプレッシャーと同じでもあります。保育園の面談で先生に『すごくイクメンですね』と言われましたが、一度そう言われると、イクメンであり続けないといけないような錯覚にとらわれてしまう。逆に、イクメンじゃないと言われると、父親失格の烙印を押されたような気がしますよね」

 自分の父親の時代に比べれば、今の父親が子どもに関わる時間は全体的に増えているため、特に「イクメン」とラベリングしなくてもいいというのがサトルさんの持論だ。

「育児は男女関係なく、子どもがいれば当たり前にやることでしかないと思いますね」

 実は、サトルさんの育った家庭は、今のサトルさん夫婦とは対照的だ。広告会社勤務の父親は徹夜も土日出勤も多かった。IT会社に勤めていた母親は23歳で一人息子を出産。ほぼワンオペで育ててくれたが、サトルさんが中学生のころ会社を辞めて専業主婦になった。

「何かを途中でやめるのは子ども心によくないと感じましたが、理由は聞けなかったです。母にこの本を渡したら『中身が重すぎて、ちょっとずつしか読めない』と言っていたので、もう少し育児が落ち着いたら、母が後悔していないか聞いてみたいですね」

子を持たない選択もできるように

 取材の終盤、母親を父親に置き換えて、「父親になって後悔していますか?」と聞くと、サトルさんは「難しいですね」と言って考え込んだ。

「後悔していないと言えば嘘になりますが、激しくは後悔していない。だけど、子どもを持たない人生を折に触れて考えてしまう。既婚でも子どものいない同僚や独身の人を見たりするとね」

 サトルさんは自宅で仕事をしていても途中で抜けることが多い。娘が熱を出したと保育園から連絡が来れば、迎えに行かざるを得ないからだ。会社の人事評価では「家庭に時間を割きすぎ」と言われて、モチベーションが非常に低下してしまったとこぼす。

「父親になることで別人になったといえるほどの変化がありましたし、子育てによって得られたものの多さは計り知れません。それでも後悔を感じてしまうことがあるのは否めませんね」

 こうした葛藤を抱いたことを含めて、サトルさんは娘が大人になったら、すべて伝えようと思っているそうだ。

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「いいことも悪いことも、リアルな情報として、絶対に伝えなきゃいけないと思っています。母親になれば自然と何かが変わるわけではないので、いろいろ聞いた上で、母親になるかどうか、娘には自分で判断して選択してもらいたい。

 僕たちのように子育ての大変さを知らずに突入するのと、知っていて突入するのでは、天と地の差があると思うので」

 サトルさんが言うように、これから子どもを持とうと思っている人には、親たちのリアルな声にもっと耳を傾けてほしい。

 また、取材を通して、多くの母親たちは知らないうちに「理想の母親像」を刷り込まれており、必要のない罪悪感やプレッシャーに苦しめられていると感じた。

「理想の母親像」を壊していくための第一歩は、つらさを抱え込まず、自分の思いを声に出して発信することだ。親たちのリアルな声が、支援する公的機関や祖父母世代にも届いて、子育てを心から楽しめる社会になることを願ってやまない。

はぎわら・きぬよ 大学卒業後、週刊誌記者を経て、フリーライターに。社会問題などをテーマに雑誌に寄稿。集英社オンラインにてルポ「ひきこもりからの脱出」を連載中。著書に『死ぬまで一人』(講談社)がある

取材・文/萩原絹代