「このたびの博覧会を契機に、多くの人々がここ夢洲に集い、つながり、相互理解を深め、人類が直面している共通の課題への解決策について、共に考える機会を得たことは、非常に意義深いことと思います。これからも世界が手を携え、『いのち輝く未来社会』を創り上げていくことを期待しております」
万博・名誉総裁の秋篠宮さまが述べたお言葉
「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに184日間、大阪市の人工島「夢洲」で開かれた大阪・関西万博が10月13日、閉幕した。閉会式には、佳子さまの両親である秋篠宮ご夫妻らが出席し、名誉総裁の秋篠宮さまは、冒頭のように述べた。
4月13日に開幕した万博は、国内開催では過去最多となる158か国・地域、7国際機関が参加した。一般来場者数は累計約2557万人に上った。
佳子さまも8月に大阪・関西万博の会場を訪れ、今年6月に公式訪問したブラジルや、2023年秋に公式訪問したペルーのパビリオンを視察した。また、国の重要無形文化財に指定されている津軽塗づくりを体験し、石川県の輪島塗の大型地球儀を鑑賞している。
日本工芸会の総裁を務める佳子さまは、10月10日、京都市下京区の京都高島屋で「第72回日本伝統工芸展」の京都展を鑑賞した。会場には陶芸や染織、金工など7部門325点が展示されていた。佳子さまは、滋賀県大津市を拠点に活動する重要無形文化財保持者(人間国宝)で木工芸作家の宮本貞治さんと陶芸家の神農巌さんらの作品について、それぞれ作家本人から説明を受けた。
また、日本テニス協会名誉総裁でもある佳子さまは10月12日、東京都江東区の有明コロシアムで、「全日本テニス選手権」の男子シングルス決勝を観戦し、選手たちに大きな拍手を送っていた。報道によると、第100回の記念大会にあたり、優勝した選手に天皇杯を授与し、「おめでとうございます。本当に良いプレーでした」と声をかけていた。
《三十日 火曜日 午前零時二十二分、皇太子妃が出産し親王が誕生する。同四十分頃、上直の側近奉仕者より、親王誕生の報告をお聞きになる(略)なお、この日、御使として女官長保科武子を宮内庁病院に差し遣わされる。また、親王誕生に際し、天皇・皇后より皇太子・同妃(現在の上皇后さま、筆者注)にそれぞれ五種交魚代料を賜う》
《二日 木曜日 午後、宮内庁病院にお出ましになり、院長村山浩一の拝謁をお受けになる。二階御静養室において出産後の皇太子妃をお見舞いになり、新誕の皇孫と初めて御対面になり、皇太子妃にお庭のバラの花束を御贈進になる(略)》
《五日 日曜日 (略)夕刻 天皇と共に宮内庁病院にお出ましになる。先着の皇太子よりお出迎えをお受けになった後、皇太子妃の主治医東京大学教授小林隆より説明をお聞きになり、また、東宮大夫鈴木菊男より関係医師の紹介をお受けになる。ついで皇太子妃をお見舞いになり、新誕の皇孫と御対面になる》
宮内庁は10月9日、昭和天皇の后である香淳皇后(1903~2000年)の生涯を記録した『香淳皇后実録』を公表した。戦況や銃後の状況を把握しようと努める戦時中の言動など、香淳皇后の動静が初めて詳述されたが、その中から、1965年11月30日に佳子さまの父・秋篠宮さまが生まれた当時の『香淳皇后実録』の記述を抜き出してみた。
香淳皇后と秋篠宮さまのご対面
秋篠宮さまが生まれて2日後の12月2日、香淳皇后は、宮内庁病院に上皇后さまを見舞い、初めて秋篠宮さまと対面している。祖母はどんなにうれしかったことであろう。その新生児も、今年11月30日で60歳の還暦を迎える。
「6月に香淳皇后の崩御がありまして、その後に宮殿においていろいろな行事があったわけですが、その中で例えば殯宮の祇候とかですね、それから、これは斂葬の儀の当日になりますけれども轜車発引の儀のときに、玄関のところでお見送りをした。
このようなことは、本人たちにとっても貴重な経験ではあると思うんですが(略)私たちが子どもたちを連れて時々、大宮御所のほうにご挨拶に行って、そういうことから非常に、その何と言うのでしょうか、自然な形で親しみがあったんだと思うんですね。
ですから亡くなる前日ですが、そのときもお見舞いに行ったわけですけれども、こちらが行こうと言って連れて行ったというよりも、子どもたちのほうからぜひともお見舞いしたいというようなことを言ってくれまして」
以前、この連載で触れているが、2000年6月16日、香淳皇后は老衰のため、97歳で逝去した。
このとき、佳子さまは5歳で、学習院幼稚園に通っていた。同じ年の11月、35歳の誕生日を迎える前の記者会見で、香淳皇后の大喪儀などを通じての子どもたちの成長ぶりなどについて尋ねられた秋篠宮さまは、前述のように佳子さまたちのエピソードを交えながら答えている。
遺体が納められた棺は、皇居・宮殿内の「殯宮」と呼ばれる場所に移され、通夜にあたる「殯宮祇候」が行われたが、佳子さまはこれに参列した。
7月25日、本葬である「斂葬の儀」が行われた。この日朝、皇居・宮殿では香淳皇后の棺を轜車という霊柩車に移し、葬儀場への出発を見送る「轜車発引の儀」が営まれ、この儀式にも参列するなど晩年の香淳皇后と佳子さまとの思い出は小さなものではない。
戦前、戦中、敗戦、そして、戦後の繁栄と、香淳皇后は、昭和天皇を支えながら激動の時代を生き抜いた。平和な時代を生きる佳子さまや愛子さま、それに悠仁さまら若い皇族が『香淳皇后実録』を読んで、曽祖母の生涯から学ぶべきものは少なくないはずである。
<文/江森敬治>
