生まれつき両目がなく、口唇口蓋裂と手足に異常がある状態で生まれた山崎音十愛(おとめ)さん。「この子と死んでしまいたい」と思うほどの絶望の中で、母・理恵さんを支えたのは、周囲の小さな優しさだった。今では重症児の支援施設を立ち上げ、同じ境遇の家族に寄り添う理恵さん。“障害があっても地域で生きていける社会”を目指して、母娘は今日も前を向く。
『先生、目を探してください』と泣きながらお願い
「赤ちゃんのことで先生からお話があります」
2005年1月。高知県に住む山崎理恵さんは、看護師からそう告げられた瞬間、嫌な予感がした。
待望の第3子を授かり、出産を間近に控えた妊娠41週目に「羊水がなくなっている」と診断を受け、2日前に緊急の帝王切開で女の子を出産したばかりだった。出産後、赤ちゃんは別室に連れていかれ、まだ会うことは叶っていなかった。
医師からは、赤ちゃんに口唇口蓋裂(上唇や口の中の上部が割れている状態)があり、手足にも先天的な異常があることが説明された。そして、最後に告げられたのは、「実はこの子には両目がありません」との言葉だった。
「頭の中が真っ白になって、どういうこと? 嘘でしょう?と。その現実を受け止められなくて『先生、目を探してください』と泣きながらお願いしたほどでした」(山崎さん、以下同)
看護師でもあった理恵さん。5歳と3歳の子どもを育てながら、出産ギリギリまで仕事を続けていた。
「夜勤をして無理をしたことや、それまで暮らしていた高松から高知に引っ越して環境がガラリと変わったこと、台風で洪水が起き、胸元まで水につかりながら仕事から帰宅していて……妊娠中のあれこれを思い出しては、何が悪かったのかと、自分を責め続けました」
悲しみの中で、理恵さんの希望の光となったのは、夫からの「3人も産んでくれてありがとう」という、感謝の言葉だった。
赤ちゃんには、高知にゆかりのある坂本龍馬の姉の名前「乙女」にちなみ、「音十愛(おとめ)」と名づけた。
「目が見えなくても、音を感じ、愛で満たされるように─。そんな願いを込めました」
いくつものチューブがつながれ、ミルクを飲むこともままならない音十愛さん。悲しみに浸る間もなく、壮絶な子育ての日々が始まった。
周囲の人に何度も救われてきた
「口唇口蓋裂の手術をするにもある程度の体重がないとできないのですが、ミルクを飲めず逆流してしまう状態。さらに目が見えないことから、頭を打ちつけたり、叩いたりと激しい自傷行為がありました。また、昼夜問わず泣き続ける、自分の便をこねるなど、いっときも目が離せない状態でした」
入院期間は3か月を過ぎ、理恵さんも睡眠不足と疲労でボロボロになっていく。
「それでも入院中は、世間の目を気にせずに守られていました」
勇気を出して街に出れば「気持ち悪い」「かわいそう」という言葉が飛んでくる。
「この子とふたりで死んでしまいたい」と思ったことも、一度や二度ではなかったという。しかし、上のふたりの子は、すんなりと音十愛さんを受け入れてかわいがり、友達にも見せたがった。
「子どもって素直だから、初めは怖がっていても、だんだん変わるんですよね。何回か家に来るうちに“音十愛ちゃ~ん”って、普通に接してくれる。ああ、人は知らないから怖いんだとそのときに気づきました」
それから理恵さんは音十愛さんをベビーカーに乗せ、外にも出るようになった。回数を重ねるうちに、目を背けていた人も、励ましてくれるようになったそう。
「自分ひとりじゃとてもやっていけなかったと思います。出産後ずっと泣いていたときに、助産師さんが“お母さん、いちばんつらいことは何?”と寄り添ってくれたことで、少し心の整理ができ、ソーシャルワーカーにつないでもらったり、そこから大学の教授につながったり、盲学校の幼稚部に通えることになったり……。周囲の人に何度も救われてきました」
最初は音十愛さんの病名や障害の原因は不明だったが、のちに遺伝子変異による「ゴルツ症候群」という難病であることもわかった。
小児科、眼科、耳鼻科、口腔外科など、病院通いは続いたが、音十愛さんが5歳くらいになると、体調が少し落ち着く。しかし、今度は夫がうつ病を発症。その後、離婚することとなり、理恵さんはシングルマザーとして生活することに。
仕事を掛け持ちし、介護も続ける中で疲弊し、家庭は荒れていく。理恵さん自身も心療内科に通う日々が続いた。
「生活は苦しく、もう生まれ故郷の高松に帰って実家を頼ろう」と思っていたとき、最後だと思って引き受けた講演で、地元の高知新聞の記者と出会う。
音十愛さんと理恵さんの歩みを記事にしたいとのことで、連載が始まり、それはとても大きな反響を呼んだ。
「各地から応援の言葉をいただき、自分の生き方を認めてもらったようで、自己肯定感を上げてもらいました。同じような状況のご家族など、そこからまた、いろいろな人につながっていくんですね」
そのひとりが、名古屋で社会福祉法人「ふれ愛名古屋」を主宰し、重症心身障害児のためのデイサービス・ネットワークを設立した故・鈴木由夫氏だ。
重度心身障害の子どもたちには“大人の世界”が足りていない
彼の“なければ創ればいい”との言葉に押されるように、2017年、理恵さんは重症児向けのデイサービス事業を行うNPO法人「みらい予想図」を立ち上げた。
現在、音十愛さんは20歳。リハビリのかいもあり、11歳ごろから歩けるようになり、今は10メートルほど歩くことができる。人と触れ合うのが好きで、名前を覚えるのも得意だ。摂食訓練によって口から食べることも可能になり、特に麺類が好物だという。
理恵さんの主宰する事業所に週2日、他の事業所に4日通い、スタッフや仲間と触れ合いながら、社会性を育む訓練を積む日々を送っている。
それでも理恵さんは、「重度心身障害の子どもたちには圧倒的に“大人の世界”が足りていない」と感じている。いつか来る“親がいなくなった日”を見据え、「自立支援のための小規模なグループホームや生活コミュニティーをつくりたいと考えています。いえ、つくらないと死ねないですから」と笑う。
困難を抱えても、助けを求めれば誰かが手を差し伸べてくれる社会へ─。理恵さんは、これまで支えてくれた多くの人への感謝を胸に、同じような困難を抱える人のために道を切り開いていく。音十愛さんとともに目指す社会は、夢ではなく、希望であることを教えてくれている。
取材・文/小林賢恵
今年1月、高知市主催の成人式に参加。初めてお化粧をした2005年に生まれた音十愛さんと母の理恵さん。出産直後、医師から両目がないと告知された。ほかにも知的障害、口唇口蓋裂、両手首・足先の先天性異常などの障害がある母の理恵さんと二人三脚で講演活動。地域の小学校に訪問して知ってもらう活動を現在も継続中3歳のころ。入退院の合間に発達の訓練に通っていた。音の出る教材に耳を傾けている様子
