チャリティーバザーで、中近東やアフリカの民芸品などを購入した佳子さま(2025年10月28日)

「いい大会になるといいですね」

「楽しみでございますね。日本で初めての大会ということで記念すべき年になりますね」

 天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が10月28日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた。秋晴れのもと、日本中央競馬会(JRA)騎手の武豊さんら約1500人が出席したが、今回は、途中から両陛下と分かれて愛子さま、秋篠宮ご夫妻や佳子さまら皇族方が、招待客と歓談した。

得意の手話で懇談した佳子さま

園遊会では愛子さまと佳子さまが共に赤色の装いで出席し、姉妹のようだと話題に(2025年10月28日)

 報道によると、国際的な「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」として知られ11月15日に開幕した「東京2025デフリンピック」について、全日本ろうあ連盟の石野富志三郎・元理事長と歓談した両陛下は、冒頭のように、手話通訳者を介して答えていた。

 皇后雅子さまは、以前から手話を習ってみたいと考えていることも明かすと、石野元理事長は、「何かの折に一つでも手話でお話しできたら、大変うれしゅうございます」などと喜んでいたという。また、佳子さまは得意の手話で石野元理事長と懇談した。

 その佳子さまは赤を基調にしたスーツと同じ色の帽子を着用し、愛子さまは、ワインレッドのスーツと帽子姿だった。若くて華やかな2人は、招待者たちから人気を集めていた。

 女性週刊誌の表現を借りると、佳子さまと愛子さまは、「皇室最強ペア」ということになるらしく2人の活躍に、心がなごみ、励まされる国民も多いのではないだろうか。

 園遊会が開催された同じ10月28日の午前、佳子さまは東京・日本橋のホテルで開かれた中東やアフリカの子どもらを支援するチャリティーバザーを訪れている。このバザーは、中東やアフリカで暮らしたり、関心を持つ女性たちでつくる「日本中近東アフリカ婦人会」が主催している。

 エジプトなど25の国・地域の在日大使館などが参加し、収益は大使夫人らを通じてアフリカなどの子どもや女性の支援活動に寄付されるという。佳子さまは、手芸品や木彫りの工芸品を手に取り、とても興味深そうに各国のブースを見て回っていた。

《二十九日土曜日 この日、満六十歳の御誕生日を迎えられる。午前、天長祭を行われる。

 皇居広庭にお出ましになり、皇后・皇太子・同妃・正仁親王と共に天皇誕生日の一般参賀を、午前三回・午後四回の計七回にわたりお受けになる。参賀者総数は八万三千九百十人に上る。お出ましに先立ち、あるいは各お出ましの間に、御進講室において、皇族・元皇族等、宮内庁長官始め部局長等、侍従始め側近奉仕者等、旧奉仕女官等の拝賀を受けられる。(略)

 正午、北の間に出御され、内閣総理大臣・国務大臣・衆議院議長・参議院議長・最高裁判所長官・国会議員・認証官等をお招きになり、天皇誕生日宴会の儀を行われる。(略)》

 1961年4月29日、昭和天皇は満60歳、還暦の誕生日を迎えた。その当日の様子を『昭和天皇実録』から紹介してみた。佳子さまの父親である秋篠宮さまは今年11月30日の誕生日で60歳の還暦を迎えるが、昭和天皇は秋篠宮さまの生まれる4年半ほど前に還暦を祝っていた。

昭和天皇が還暦に詠んでいた悲しい歌

1934(昭和9)年に撮影された昭和天皇一家。左から東久邇成子さん、昭和天皇、池田厚子さん、香淳皇后、上皇さま、鷹司和子さん

『陛下、お尋ね申し上げます』(文春文庫)によると、1961年4月24日、昭和天皇は還暦の誕生日を前にして、長崎・雲仙のホテルで記者会見を行っている。

「還暦をお迎えになるのですが、60年を振り返って、楽しかった思い出はどんなことがおありですか」と、記者から尋ねられ、次のように答えている。

《いろいろあったが、何といってもいちばん楽しく感銘が深かったのはヨーロッパの旅行です。中でも英国でバッキンガム宮殿に三日泊まってジョージ五世陛下と親しくお会いし、イギリスの政治について直接知ることができて参考になった。

 当時、私はナポレオンやフランス革命史をおもしろく読んでいたので、フランスではベルサイユ宮殿でルイ王朝をしのび、国民会議発祥の地ジュ・ド・パォームを訪ねて非常に感銘が深かった。偶然ナポレオンの死後百年祭に当たって、いろいろなものがあっておもしろかった》

 1921年(大正10年)3月から半年間、昭和天皇は、イギリス、フランス、ベルギーなどを見て回っている。当時、昭和天皇は19〜20歳で、ちょうど佳子さまの弟である悠仁さまと同じ年頃だった。

 第1次世界大戦が終わった直後のヨーロッパを肌で知り、イギリスの名君として知られるジョージ5世ら多くの要人たちとも触れ合い、大きな刺激を受けた。このときの感動や感激が還暦を迎えた当時、一番の思い出として刻まれており、『昭和天皇実録』によると、このような和歌を詠んでいる。

《むそとせをふりかへりみて思ひでのひとしお深きヨーロッパの旅》

 一方で、昭和天皇は還暦に際して、このような悲しい歌も詠んでいた。

《還暦の祝ひのをりも病あつく成子のすがた見えずかなしも》

 昭和天皇が還暦となった同じ年の7月23日、昭和天皇と香淳皇后夫妻の長女、東久邇成子さんが35歳という若さで、病気で亡くなった。成子さんは上皇さまの姉で、秋篠宮さまの伯母にあたる。

 称号は照宮で、東久邇宮盛厚王と結婚し、戦後の混乱期を生き抜き、3男2女を育てた。現在の愛子さまや佳子さまのように、成子さんは国民からの人気も高かった。

《二十三日日曜日午前一時五十分、昨日より宮内庁病院に東久邇成子を見舞われていた天皇・皇后は、控室の皇族・御親族、及び成子の子女五名を病室に招き入れられる。三時十五分、成子が死去する。天皇・皇后は一旦病院内の御休所に入られ、宮内庁長官宇佐美毅より職員を代表して弔意の言上をお受けになる。(略)

 皇后お手ずから或いは御指示により、成子の化粧直しがなされた後、天皇・皇后は再び病室に入られ、御永訣になる。(略)》

 1961年7月23日、東久邇成子さんが亡くなった当時の様子が、『昭和天皇実録』に綴られている。

 前回のこの連載で触れたように、宮内庁は、10月9日、香淳皇后の生涯を記録した『香淳皇后実録』を公表した。その中にも、最愛の娘との別れの様子が紹介されている。成子さんが亡くなる前、香淳皇后は昭和天皇と一緒に28回、単独で34回も、成子さんの見舞いのため宮内庁病院に足を運んでいた。

《はりつめし心もゆるびいささかの言の葉にもまた涙こぼれて》

『香淳皇后実録』には、このような成子さんをしのんで詠んだ和歌も収録されている。

 還暦の喜びから約3か月後、昭和天皇は深い悲しみに包まれることとなる。天皇、皇族といえども生身の人間である。私たちと変わることのない喜びや悲しみと隣り合わせで生きている。人生、悲喜こもごもに彩られながら、佳子さまもまた、大きく成長されることだろう。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など