秋ドラマで台風の目玉となっているTBSドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』。旧時代の女性観を押し付ける竹内涼真が夏帆にふられて反省する姿が話題で、視聴率も第6話では8.1%まで伸ばしてきた。フジテレビ『小さい頃は神様がいて』も、北村有起哉が仲間由紀恵に熟年離婚を突き付けられて反省するドラマ。
なぜ男が反省するドラマが流行るのだろうか?
無神経な男性たち
確かにドラマの竹内と北村には無神経なところが多い。筑前煮が好物な竹内のために、さまざまな煮物料理を作ってあげた恋人の夏帆に対して「全体的に見た目が茶色い」と指摘。
しかも「これは文句じゃないんだ、鮎美(夏帆)のためを思って言ってるんだよ」とのたまう始末。
一方、北村は、バニラアイスを希望したのにチョコアイスを買ってきたり、具合の悪い仲間が「ゼリーなら食べられそう」と答えたのに、どや顔で「鍋焼きうどん」を買ってきたエピソードなどが登場する。
同じ男性として筆者は、希望と違うものを買って帰るなんて恐ろしくてとてもできないので、逆に勇気があるなと感心しつつ、そうした小さな積み重ねで「一緒にいるのは無理」という結論に達するのも理解できなくはない。
でもおそらく視聴者も感じているのは、竹内も北村もそこまで悪い男じゃないということだ。別れを切り出されてブチ切れたり、ストーカー化したりする男なら、わかりやすく「悪い男」だろう。でも2人は相手を批判することもなくただうろたえ、「自分のどこが悪かったのか」と反省するばかりなのだから。
竹内の役は昭和の男といわれているが、料理を自分で作れるように繰り返し努力するし、夏帆の新恋人に「鮎美は遠慮するけど、本当は皮膚が弱いから強い洗剤は使わないで。トイレットペーパーも、ダブルにしてあげて!」とお願いするなど、とても昭和の男とは思えない細やかな気配りは、ちょっと笑ってしまうほどだ。
北村もラジオ体操の会場で、「愛しているから別れる。離婚まで仲良くいよう!」と、人目もはばからず号泣するのだ。
そう、この2人の男に共通するのは、反省してよく泣くこと。それが女性視聴者からすれば愛すべきキャラクターと映るのだろうし、自分も夫や恋人に泣いてもらえたような気がして、胸のつかえがとれるのかもしれない。
それにしてもなぜ、さほど悪くない男たちが、妻や恋人に別れを突き付けられてしまうのか。その理由は、要約すると女性たちが「自分らしく生きたいから」ということのようだ。
視聴者からのもっともな感想
だがネット上の反響を見ると、竹内や北村のような男性なら、「もっと早くから女性側の希望を口にしていれば修繕できたのでは?」という声も多い。竹内と夏帆は大学時代からのカップルだから10年以上の付き合いだし、仲間は19年前に育児ノイローゼになってからずっと我慢してきたというのだから、視聴者の感想ももっともだ。
仲間や夏帆の不満は、夫や恋人個人に対してというよりも、長く続いてきた男性優位社会への不満が、代表して夫や恋人へ向けられた気もするのだ。
男性である筆者からすると、本当にそんなに、男ばかりがのんきに得をしてきたのか疑問もあるが、私の周囲も含めて世の中の女性全体が、鈍感で苦労知らずの男たちに傷つけられてきたというムードがあって、その根深さに暗澹たる気持ちにもなるのだ。
ただ物語も中盤を過ぎて、夏帆や仲間も相手の良さに気づき始めている。結局、問題の解決には男女が互いに分かり合おうとすることが大事だという、極めて当たり前だけど、そのことが難しいというところにたどり着くのかもしれない。
ふた組が元鞘に戻るのかは終盤の最大の見どころになるが、このコラムを書いていて筆者自身、気づいたことがある。それは、答えの出ない男女の問題を「あーだ、こーだ」と考えるのは、けっこう楽しいということだ。世の多くの男女がそうして、離婚や破局にまでは至らずに過ごしているのではないだろうか。今年前半にヒットした『続・続・最後から二番目の恋』や『対岸の家事』にもそういった要素があった。
近年は刑事ドラマや法廷ドラマ、医療ドラマなど、日常から離れた大事件が起こるドラマが大勢を占めていた。
対して男女の問題はささいな事柄だけど、誰にとっても身近で、永遠に解決することがない問題だ。
それを「あーでもない、こーでもない」と考えたり、誰かと言い合ったりできることが、ドラマの新しい鉱脈になっているのかもしれない。
