子育てに悩む親たちに希望を届けているインスタグラムがある。発信者は、岡山県で夫と2人の娘と暮らす蓬郷由希絵(とまごう・ゆきえ)さん。フォロワーは22万人を超える。
インスタで話題を呼ぶ自閉症児と家族の日常
家族の日常を発信する由希絵さんの投稿には、もうひとりの“主役”がいる。中学2年生の次女・ゆいなさんだ。
ゆいなさんは、重度知的障害を伴う自閉スペクトラム症(自閉症)で、曖昧なことが苦手で強いこだわりがある。そのため臨機応変な行動やコミュニケーションが難しいが、投稿にはいつも笑顔とユーモア、家族の温かさがあふれている。
くりくりのパーマヘアに黒ぶちメガネ、時には顔を白く塗って仮装もする由希絵さん。インスタでの、明るくチャーミングなその姿と言葉に元気づけられている人は多いが、現在に至るまで、何度も涙を流し、思い悩む日々を過ごしてきた。
限界まで追い詰められ「ゆいなを連れて死のうと思ったこともあります」(由希絵さん、以下同)
ゆいなさんに診断が下ったのは2歳のとき。
「目が合わない、声を発さない、抱っこを嫌がり、片時もじっとしていない……。なんとなく、そうではないかと思っていました。でも、実際に“自閉症”と診断されたときは、大きなショックでした」
由希絵さんは、高校・大学時代は福祉を学び、自閉症児について卒論を書くほどの知識を持っていた。それでも、わが子の現実を受け止めることは、容易ではなかった。
さらに「この子は言葉が出ないでしょう」との診断に打ちのめされた。
必死にすがる思いで駆け込んだ療育施設。身体や知的、発達に障害のある子どもたちが、日常生活や社会に必要なスキルを学ぶ場だ。その施設は、自宅から車で1時間半もかかる距離だったが、いくら遠くても関係なかった。
「療育に受け入れてもらったときはホッとしました。プロにまかせて、自分はラクになると思ったんですよね」
だが、現実はそう甘くはなかった。
「療育で学んだことを家で繰り返し練習させなきゃいけない。むしろ、家に帰ってからが本番。私がやるんかい!と、なりました」
特別支援学校ではなく、地元の小学校の支援級への入学を目標とすることに。療育の先生は、「教えてもいないことをできないと決めつけない」というスタンス。
「数秒も目が離せず、座れもしない子が無理でしょうと思いました。でも先生は、『やってみないとわからない。練習してもないでしょ?』と言ってくれたんです。衝撃でした」
指導は厳しかったが、その言葉は由希絵さんの小さな光に。そこから、療育と家での練習の日々が始まった。けれど、ゆいなさんは、練習をしたからといって、すぐにできるようになるわけではない。何度繰り返しても、変わったように思えない日々に「もう無理、もうやめたい」と叫んだことも、一度や二度ではないという。
家族への申し訳なさからふたりで死のうと思った夜
ある夜、疲れ切った由希絵さんは、眠るゆいなさんの顔に枕をのせそうになった。
「ゆいなにかかりっきりで、上の娘をかまってあげられない。子どもにも夫にも、笑顔で接することができなくなっていました。それが本当につらかった。でも、枕をゆいなの顔に持っていったとき、姉妹で手をつないで寝ているのが見えて。その瞬間、なんとか思いとどまれました」
月3回の療育に親子で通い始めて約半年。ゆいなさんは、繰り返す練習に意味があることを、少しずつ理解しはじめた。泣くことが減り、指示されたことに取り組めるように。由希絵さんも「一つひとつ練習すれば、できるようになるかもしれない」と、希望を持てるようになった。
“当たり前のことを、当たり前にできるように”。
「座る」「着替える」「ゴミを捨てる」など、日常の一つひとつを、何か月もかけて少しずつ覚えていく。それは、由希絵さんにとっても、とてつもなく根気のいることだった。けれど、もう途中であきらめはしなかった。ゆいなさんができるようになるまで、ふたりで何回も何回も練習を繰り返した。
「スタートしたら、絶対にゴールまで。例えば“ゴミを捨てる”を覚えさせるときは、お菓子を渡すところがスタートです。食べて、お菓子の包みのゴミを捨てるところがゴール。ゴミを手に持たせて、ゴミ箱の前まで行かせます。泣いても、わめいても、どこかへ走っていこうとしても、繰り返します。
ゆいなには“例外”や“特別”が通用しません。『今日はいいか』と途中であきらめてしまえば、ゆいなにとって『やらなくてもいいこと』になってしまうんです」
そうして、ゆいなさんは、ひとつ、またひとつと、できることを増やしていった。保育園に通い、目標だった小学校の支援級にも入学。
そして何よりも“言葉を発することはないだろう”と診断されていたゆいなさんが、年中のころには単語を発するようになったのだ。
「食べたいお菓子が届かない場所にあるなど、家の中に少し困った状況を、あえてつくっておいたんです」
そうして困ったゆいなさんが初めて発したのが、“取って”という言葉だった。
小学4年生のころには、家族以外にも言葉が通じるように。ゆいなさんの世界が少しずつ広がっていった。先生と細かく連携をとり、運動会や修学旅行などの行事も、どんなことをやるのか、どんなものを食べるのかを想定し、家で練習を重ねて参加をかなえてきた。
由希絵さんの願い
現在のゆいなさんは、料理が好きで、洗濯もでき、LINEも使いこなす。そして自転車で中学校に通っている。
「最近はゆいながプロレスに夢中で、一緒に会場に行って応援したり、私も影響を受けています。夫は高校の同級生で、療育にも付き合い、私の感情の受け皿にもなってくれました。
長女にはつらい思いをさせたと思いますが、いまでは頼もしい相談相手。将来、支援学校の先生になりたいと言ってくれたときは涙が出るほどうれしかった。でも、最終的には自分の好きなことをしてほしいなと思っています」
家族のために「死にたい」と思った日々も、家族がいたからこそ乗り越えられた。
身内で楽しむ感覚で2022年から始めたインスタグラムも、やがて由希絵さんとゆいなさんの世界を広げた。投稿を続けるうちに共感や子育てへの相談の声が届くようになり、取材や講演会の依頼も増えた。
そしてこの夏、これまでの歩みや家族への思いをまとめた著書『どうにかなるっちゃ』も出版した。
「ありがたいことに、講演でいろいろな土地に行かせてもらい、ホテルに泊まったり、レストランで食事をしたり。そうした経験が、ゆいなの良い訓練にもなっています」
中学卒業後は支援学校に進む予定だが、由希絵さんは電車での通学を考えている。そして、いずれは自立して、ひとりで暮らせるようになってほしいと願っている。
その日まで、ゆいなさんと由希絵さんのトライ&エラーは続いていく。広がる世界の中で、ふたりはまた新しい一歩を踏み出そうとしている。
取材・文/小林賢恵
