スノーボード選手の竹内智香さん 撮影/RomanSchmid

 東京都を皮切りに一部自治体で卵子凍結の助成金制度が始まっている。加齢による卵子減少などに備え、若い年代のうちに採取・保存しておく卵子凍結は、女性にとって新たなライフプランの選択肢として注目が集まっている。しかし、まだ社会に浸透しているとはいえず、詳しくは知らない人も多いのでは。実際に経験した竹内智香さんが、赤裸々に実体験を話してくれた。

もし将来後悔したとしても、それは納得できる後悔」

 冬季オリンピック6回連続出場と、日本女子で最多記録を持つスノーボード選手の竹内智香さん。

 現役最後の大会となるミラノ・コルティナ冬季オリンピックを前に、12月6日から始まるワールドカップに向けて準備を重ねる日々だ。そんな竹内さんが卵子凍結に踏み切ったのは30代半ばのときだった。

2018年の平昌オリンピック出場後、2年間の長期休養に入りました。引退も考えましたが、競技から離れて子どもたちの指導にあたるうちにスノーボード自体を心から楽しめるようになって。もう一度挑戦したいと思ったんです」(竹内さん、以下同)

 2022年の北京オリンピックを目指すなら、終わるまで妊娠・出産はできない。20代で卵巣の手術をしたときから、卵子凍結のことは常に頭にあった。

 一般的に卵子の質は35歳から低下し始めるため、遅くとも39歳までの卵子凍結が推奨されている。この先、覚悟を持って競技を続けるためにも、「やるなら今しかない」と考えた。

人間って、失いかけて慌てて手にしたくなる動物でもあると思うんです。でも、目の前の不安から解放されたいという思いだけでするべきことではない。今後の人生を真剣に考えたうえでの結論でした

 活動拠点がヨーロッパということもあり、卵子凍結や不妊治療について友人同士で比較的オープンに話せる環境だったことも後押しとなった。

卵子凍結をしたからといって、必ず子どもが授かれるわけではありません。でも、これは実質的に30代までしかできないこと。その時々で自分ができることにベストを尽くしていれば、もし将来後悔したとしても、それは納得できる後悔になるはずだと思ったんです

 卵子凍結に至るまでには、まずは検査を経て、その後内服薬やホルモン注射によって排卵を誘発し、卵胞を複数育てることから始めなければならない。

この間は胸やおなかの張りなどの不調が続き、トレーニングもままなりませんでした。でも同じ時期に始めた友人は、いつもと変わらないと話していたんです。薬に対する反応は、体質によっても大きく違うようです

 順調に卵胞が育っていることがわかれば、いよいよ採卵。膣から採卵針を刺して卵胞を一つひとつ採卵するため、かなりの痛みを伴う。

ドーピング防止の規定により、麻酔を使うことはできなかった

卵子凍結当時、ヨガでリフレッシュをする竹内智香さん 撮影/RomanSchmid

 局所麻酔か静脈麻酔を用いるのが一般的だが、竹内さんはドーピング防止のための規定により、オフシーズンながら麻酔を使うことはできなかった。

大変な痛みでした。例えば10個採卵する場合、最低でも10回、針を刺して抜いて、という工程が必要です。とはいえ必ず一度で採れるわけではないので、実際に刺す回数はそれ以上。とにかく痛かったですね

 一方で友人は、静脈麻酔で眠っている間に採卵できたという。竹内さんはアスリートならではの大変な試練に直面したが、それでも「会社員の人に比べて、予定は立てやすかったと思う」と話す。

採卵後は思った以上の不調に見舞われましたが、そんなときも、会社員の方だと長期で休むことは難しいですよね。採卵日も卵胞の育ち具合によってピンポイントで決まるので、病院から“○〜○日の間に来て”と言われたら基本的に変更は難しい。働く女性にとって、卵子凍結のために柔軟に休みが取れるかどうかは大きな課題だと感じます

 一連のプロセスを終え、無事に凍結に至ったあとは、ほっと安心した気持ちになったという。

凍結した卵子がすべて子どもにつながるものではないですが、妊娠・出産に向けてひとつステップアップしたような感覚でした

 選手に復帰後、しばらくして卵子凍結の事実を公表。大きな反響があった。

当時の時代性もありますが30歳を過ぎたあたりから、さまざまな方々に、結婚は、出産はと聞かれることが多くなったんです。悪気がないことは理解していますが、決して心地のよいものではなくて。区切りをつけたい思いもあり、公表に踏み切りました

 同年代の女性から「励まされた」という声が届くなか、少数ではあるが「自然の摂理に反しているのでは」などの意見もあったという。

私にできることは、実体験を伝えることだけ。一人ひとりが自分ととことん向き合い結論を出すべきことですから、卵子凍結をすすめることはもちろん、アドバイスすらできる立場ではありません。ただ、医療の発達によって選択肢が広がり、多くの女性が自分にとってベストな選択ができればいいなと思います。その結果、幸せに過ごせる人が増えればうれしいです

 凍結した卵子を使って出産する場合、45歳までをひとつの目安とする医療機関は多い。今月42歳を迎える竹内さんに、まったく焦りはない。

卵子凍結によって、大事なタイムカプセルを埋めてきたような気持ちでいます。今は毎日がすごくハッピー(笑)。引退を決めて挑むシーズンは最初で最後の経験ですし、これまで以上に練習に集中できています。オリンピックに向けて、一日一日を大切に過ごしていきたいですね

取材・文/植木淳子

竹内智香・たけうちともか(41) スノーボード選手。2014年のソチオリンピックにて日本人女性初のスノーボード競技で銀メダル獲得という快挙を達成。